◎戦時だから文字も節減すべきだ(稲垣伊之助)
『科学評論』の一九四一年(昭和一六)一一月号に掲載されていた稲垣伊之助の論文「国語国字問題最近の動き」を紹介している。本日は、その四回目(最後)。
代用語のカンガエ
人の生活には、衣食住の三方面が数えられるが、文化の進んだ人類の生活には、衣、食、住、文字の四つを数えるがよいと思う。
今は戦時として、生活物資すべてが不自由で、欲するままに使えない時である。国民は衣食住の材料の不足勝ちなことは覚悟している。このような時に、生活材料の文字も不自由すべきだとゆうカンガエでみちびいて、漢字制限を強制するがよいと思う。
例えば、「タスク」とゆう漢字は、
助、援、輔、佐、扶、佑、祐、相、資
等の漢字がある。漢字通にしてみれば、「助く」の字を使うところ、「輔く」の字を用うるところそれぞれ区別したいであろうが、すべてを「助く」またカナガキで「たすく」とかいて、他の字は使わないようにする。この考を実行すれば、〝訂す、(正す)涜す、穢す(汚す)曵く、牽く、挽く、輓く(引く)〟等は( )の中の字一字で事足りる。他の漢字は使わないで節減できる。
漢字のうちには、その事物にだけに用いて、他にまつたく使い場のないのがある。例えば、襤褸〈ボロ〉、枇杷〈ビワ〉、裲襠〈ウチカケ〉のごとき漢字は、そのもの以外には使わない漢字であるから、まずこのような漢字は思い切つてカナガキする。
また、保姆〈ホボ〉の姆の字も他に使うことがないから、保母(母とゆう字を代用字として)とする。編輯は編集とする。「練・煉」は、練の字に合せ、〝煉成〟は〝練成〟の代用字とする。
このような漢字の使い方はいかにも不都合だとゆう反対もあろうが、古来漢字の使い方の変遷のアトを調べると、必ずしも乱暴な使い方でないことがわかる。文部省の読本ですら、「注文」「註文」などと変つているのである。今戦時にあつて、生活の資料を極度に節減せねばなら時、この位の改変は当然の処置であるといつてよい。
漢字制限の文学ト修養書
松坂忠則氏創作、支那事変軍事小説「火の赤十字」(昭和十五年三月出版)は、財団法人カナモジカイ制定の漢字五百字案で書いた作品である。この小説は山本有三氏が、この書に序文して
「いま盛んに行われている戦争小説にくらべて見ると、まさるところはあるとも、決して劣る作品ではないと思います。ことに、これだけの内容のものを、五百字以内の漢字で書いたといふことは、この方面におけるレコードです。五百字でも、これだけのものが書けるのだとゆうことは、国民に大きな問題を投げかけたものとゆうべきでしよう」
と評されている。
山本氏のことばが、もつともよくこの作品の内容と、国語問題における価値を証明されている。
私は本年六月に「心の小読本」と題する宗教修養書を著作したが、これもカナモジカイの五百字漢字でかいた。五百字の範囲で書いたが、この本に使つた漢字は三四四字である。これだけの文字で、宗教味を帯びた心の問題を書き得たのであるから、思い切つて制限すれば、漢字はよほど節減することが出来ることの自信を得た。漢字を制限するのは不自由山だとゆう心持にならなかつた。文をわかり易くするとゆう効果が著しく、漢字制限の実行は、国語問題の解決に大きなハタララキをなすものであることを一層切実に知つたのである。
国語国字問題はもはや議論の時でなく、この整理統一の必要を知つたものが、めいめい自分の考を文字文章の上に試みて見る時である。箪に試みるだけでなく、実行を続けて行くべきである。一人の実行は必ず周囲の人々に何等かの反響をよびおこすものである。それがこの問題解決の方法であり、国策にそうことになると信じる。(昭和十六、七、三〇日……八月興亜奉公日の旗印〝生活の正義の実現〟を思い浮べつつ)……
―本文は文部省国語調査会案発音式カナヅカイによる。―
*昨日、柏木隆法さんから、退院の朗報と同時に、五〇日にわたる入院中も執筆されていた(!)という「隆法窟日乗」が、すぐには読み切れないほど送られてきました。明日以降、逐次、紹介させていただく予定です。
*昨日のクイズの解答(「余白」さん、お答えいただき、ありがとうございました)
肇国(ちょうこく)
喫緊(きっきん)
翹望(ぎょうぼう)
掉尾(ちょうび)あるいは(とうび)
思惟(しい)、仏教語としては(しゆい)
芟除(せんじょ)あるいは(さんじょ)
曠古(こうこ)
卑陋(ひろう)