◎関東大震災(1923)と鞍馬天狗の誕生(1924)
昨日の続きである。加太こうじ『国定忠治・猿飛佐助・鞍馬天狗』(三一新書、一九六四)を紹介している。本日は、その二回目。
昨日、引用した部分のあと、次のように続いている(「Ⅴ 知的で清潔なアウトサイダー」の「1 若がえるヒーロー」より。一七七~一七八ページ)。
鞍馬天狗の誕生 鞍馬天狗の誕生については、大仏次郎が鞍馬天狗全集の観がある中央公論社版『鞍馬天狗――第三巻」昭和三十五年〔一九六〇〕七月発行のものに、あとがきとして書いているから、その大意を紹介させてもらう。
『鞍馬天狗』を書くようになったのは、大正十二年〔一九二三〕九月一日の関東の大震災のせいである。当時、大仏次郎は鎌倉に住んでいたのだが、家は半分かたむいた。大仏は外務省に嘱託としてつとめていたが、少年時代から文学を好み、押川春浪の冒険小説に熱中したほどである。その大仏が大震災で世の無常を感じ、それまでも役人になる気持はなかったのだが、震災を機として外務省をやめた。
大仏は震災前も博文館の『新趣味』という雑誌に外国物の抄訳をやって原稿料をもらっていた。そこで、震災後、焼失した博文館が再建されるのを待っていた。それまでも大仏をかばってくれていた『新趣味』の編集長鈴木徳太郎が、博文館再建のために作家のところへ足をはこんでいたので、大仏のところへも来た。そして「新趣味はやめることになった。ポケットという小型雑誌をやる。あなたが髷物〈マゲモノ〉を書くようなときは、原稿を拝見しましょう」といった。
大仏は金がほしかったので『隼の源次』という講談体の読み物を書いて、大正十二年末に博文館のポケット編集部へ持っていった。これはアラン・ポオの小説『ウィリアム・ウィルソン』から思いついた、顔かたちのよく似たふたりの人間をあつかったもので、ポオのように人間の自意識を主題にしたものではなく、もっぱらシチュエーション(境遇)のおもしろさだけを狙ったものだった。鈴木徳太郎は「おもしろかったから掲載する、また、何かできたら見せてください」といった。
大仏はつづいて『鬼面の老女』〔一九二四〕と題した中編を書いた。これはこれだけで独立したものだったが、主人公は謡曲の鞍馬天狗から思いついて、鞍馬天狗と名乗る武士にした。大仏はこの主人公との念入りに長い交渉がその後結ばれようとは、さらに考えなかった。その場かぎりの原稿だったし、この一編で、この鞍馬天狗という人も退場して消滅する予定だった。
すると、鈴木徳太郎が数日後に、わざわざ肥った〈フトッタ〉体で鎌倉まできてつづきを注文した。読物として雑誌の心棒にするという申し出だった。大仏は自信はないが引き受けた。
これが三十数年も書きつづけた『鞍馬天狗シリーズ』の門出となり、髷物作家としての大仏の出発にもなった。大正十三年〔一九二四〕は毎月読み切りで一編ずつ、ちいさいながら、まとまったかたちでつづけた。次の一年は『御用盗異聞〈ゴヨウトウイブン〉』で、これは長編の連載だった。次の年が『小鳥を飼う武士』である。
大仏は、アルセエヌ・ルパンやダルタニヤンにくらべると、女色や金銭についてはつつましく気弱い鞍馬天狗は、道徳的で清潔でそれを弱味とさえしてしまう、古風な日本人だといっている。
《だが鞍馬天狗は読者の道徳観ともたたかおうとする気骨だけは持っている。かれの真価は、いつも権力に敵対することにあるのだと称してもいいすぎにはなるまい。鞍馬天狗が常に浪人だということも偶然ではない。かれは人間の善意には動かされるが、人間にいつも善意があるとは甘く信じていない。また人間がねつ造した権威を信じない。(中略)
あと十年続くか二十年続くか、最期の時まで、私は鞍馬天狗を道連れとして歩くつもりである。私がこの世を終る時、彼も死ぬのだ。そのためには、彼に隠して、この快男児が彼らしく堂々と終る場面を持った小説を、ひそかに準備しておかねばなるまい――》と大仏は、鞍馬天狗についていう。(《》内原文のまま)
上記によれば、大佛次郎は、鞍馬天狗を、女色や金銭につつましい、道徳的で清潔な「古風な日本人」として造形したようである。
松竹映画『鞍馬天狗 角兵衛獅子』(一九五一)』においても、この造形は守られている。映画のラストは、八丁礫のお喜代が、鞍馬天狗の手紙を読むシ-ンである。なぜか杉作も、隣にかしこまっている。手紙には、簪〈カンザシ〉が添えてあり、「この簪は、あなたの形見と思って頂戴しておくつもりだつたが、改めてお返します」云々とあった。お喜代は鞍馬天狗に心を寄せており、最後、それを隠そうとはしなかった。しかし実は、鞍馬天狗のほうも、ひそかに、お喜代に心を寄せていたのであった。江戸に向かうことになった天狗は、簪を返すことにより、お喜代への未練を断ち切った。こういう形で、この映画は、大佛次郎が造形した「古風な日本人」の姿を戦後に継承させたのである。【この話、続く】