◎昭和75年を絶頂として総人口は減少へ
先月三〇日のコラム「『日本週報』創刊号と岩淵辰雄」の中で私は、『日本週報』創刊号は、「紙が重ねられているだけで、綴じられていない。その代わり、表紙右ハシに、綴じ穴を示す○印が二か所ついている」と書いた。
そう書いたあと、『日本週報』の前身である『週報』にも、「綴じられていない」号があったのではないかと思って調べてみたが、少なくとも私の架蔵している号について言えば、すべて針金で綴じられており、かつ、表紙右ハシに二か所の綴じ穴があけられていた。
さて、本日は、その『週報』の343号(一九四三年五月一二日発行)から、「決戦下の結婚問題」という文章を紹介してみたい。
決戦下の結婚問題 厚 生 省
第一線に激闘される強兵も、銃後の生産戦を戦ひ抜く健民も、つまるところは、健全な結婚によつて初めて生れるのです。
健全な結婚であるためには、結婚に対する十分な準備と、しつかりした心構へが出来てゐなくてはなりません。
結婚に対しして限りない大きな希望と責任をもたれる皆さん方に、次ぎの一文をお送りする所以です。
戦争と人口の関係
戦争は結局、人と人の戦ひであり、従つてこの大東亜戦争を戦ひ抜き、大東亜共栄圏を設するといふ聖業を完遂するのは、実に私ども日本人以外の何者でもありません。このことは、これまでたびたびいはれてゐて、いはゆる常套文句になつてゐますが、この言葉のもつ真【まこと】の意義と、その重要性を思ひますとき、それは人口戦といふ言葉がピッタリとする程の激しさと厳しさをもつてゐるといへます。
だいたい戦争といふものは、人口に大きな影響を及ぼすもので、例へば第一次大戦当時ドイツとフランスの出生数〈シュッショウスウ〉はどちらも半減し、またイギリスでば二割弱、イタリアでは三割三分の減少となつた程で、同様のことは我が国にもみられるところです、
わが国の人口はどうか
即ち、昭和十三年〔一九三八〕を昭和十二年〔一九三七〕に比べますと、出生減二十五万、死亡増五万、計三十万の自然増加が減つてをり、さらに昭和十四年〔一九三九〕には出生減二十八万、死亡増六万、計三十四万の減少となつてゐます。
尤も昭和十五年〔一九四〇〕には、いろいろと条件が好転して出生減は六万五千、死亡も逆に二万ほど減つて、自然増加の減少は僅かに四万五千となり、さらに昭和十六年〔一九四一〕には出生二百二十一万、自然増加百七万といふ、まことに喜ばしい数字になつてゐますが、しかし戦争の影響はいよいよ大きくなるものと思はれますから、決して楽観は出来ません。
このやうに、我が国の出生数は、二百万を突破してゐる有様で、まことに心強い限りですが、しかし、この数を総人口数で割つた出生率〈シュッショウリツ〉をみますと、大正九年〔一九二〇〕の三六・二を絶頂にして、次第に低下して来てをります。尤も幸ひなことに、死亡率の方も低くなつて来ましたので、自然増加の実数は、年々八十万から百万になつてゐる現状です。
出生率は低下する一方
この自然増加はとにかくとして、出生率が年々低下して来てゐることは、わが国の人口問題の将来に大きな暗翳〈アンエイ〉を投げかけてゐるもので、私どもとして真剣に考へなければならぬことです。
つまり、これまでのやうな出生率の底下が続くものとしますと、昭和七十五年〔二〇〇〇〕には一億二千三百万の総人口に達する計算になるのです。ところが、これを絶頂として、それ以後は逆に減つてゆくことになるのです。世界に冠たる優秀な我が皇国民族が次第に減つてゆくことになるのです。問題はまことに深刻です。
では、この減少してゆくのを喰ひ止めるには、どうしたらよいでせうか。【以下、次回】