◎國體護持が今次戦争最後の一線(情報局総裁談話)
雑誌『自由国民』第一九巻二号(一九四六年二月)から、迫水久常の「降伏時の真相」を紹介している。本日は、その十二回目。
十一日、十二日、十三日の頃は政府、軍ともに全く極度の興奮と混乱の裡〈ウチ〉にあつた。宮中でも総理大臣の前歴者、皇族、元帥を相ついで御召しになつて叡慮の程を親しく御示しになつたと拝察される。而してこの間の事態を如何にして国民に知らしむべきかが、実に重大な問題である。十二日の閣議では、この事態を速かに公表すべしとの論議が一部閣僚から提案せられたが、然るときは出先軍隊に如何なる事態が生ずるやも計り知れずとして反対せられ、結局〔下村宏〕情報局総裁の談として國體護持なることが今次戦争最後の一線なるべきを発表することゝしたが、それと時を同じくして〔阿南惟幾〕陸軍大臣の全軍に与ふる訓示なるものが発表せられた。その訓示の色彩は前述した情報局総裁の談話とは殆ど対蹠的なものであつて人をして迷はしむるものあるを惧れ〈オソレ〉、私は新聞紙に掲載せられることを阻止しようとして努力してみたが時間の関係で遂に成功しなかつた。私はこの訓示を新聞紙に掲載し公表することを阿南陸軍大臣が事前に承認せられたものであるかどうか、最も多大の疑問を持つてゐる。
十三日の午後になると、米国側の新聞放送には我方の回答遅延を責め、不誠意を詰る〈ナジル〉の声が現れて来た。これに対しては適時に同盟通信社の係員と連絡して適当な新聞放送をもつて応酬せしめたのである。しかもこの事は軍当局から厳重な抗議があつて同盟通信社の係員は長谷川〔才次〕君を始め相当に圧迫を受けたのであるが、よく私と連絡して時宜の措置を講じて頂いたことは感謝に堪へない。
十三日の午後三時頃には陸軍大臣も〔梅津美治郎〕参謀総長も全然知られない大本営発表なるものが、新聞社に配布せられた。しかもその内容は現に政府の歩みつゝある方向と全く反対なものであつた。これは勿論陸軍大臣の措置によつて直に〈スグニ〉取消され外部には出なかつたけれども、もし、私がボンヤリしてゐたら大変なことになつたと思ふ。漸次醞釀〈ウンジョウ〉せられつゝある軍のクーデター的雰囲気に於て阿南〔惟幾〕陸軍大臣がどんなに苦心せられたか、私は大臣の傍〈ソバ〉にゐて親しく之を見て居ただけに今考へても目頭が熱くなる。軍務局長の吉積〔正雄〕君が中間に在つて苦心されたととも察せられる。しかして海軍側はこの間にあつて静かなること林の如きものがあった。【以下、次回】