◎大東亜戦争は貪慾限りなき米英の野望に発する
『アジアは一つなり』(1943)の「一、大東亜会議と大東亜共同宣言」の部は、「大東亜会議の経過」の節のあと、「会議の意義」、「大東亜共同宣言の根本理念」、「大東亜戦争の原因」、「大東亜戦争の共同完遂」、「共存共栄の原則」、「独立親和の原則」、「文化昂揚の原則」、「経済繁栄の原則」、「世界進運貢献の原則」、「大東亜建設と我々の使命」の節が続く。
本日は、これらの節のうち、「大東亜戦争の原因」の節を紹介してみたい。
大東亜戦争の原因
大東亜戦争が何故起つたかについては、二年前の敵米英の東亜に対する出方を想ひ、あの宣戦の大詔を拝するとき、多言を要せずして明らかである。一言にしていへば、今次の戦争によつて世界における米英の覇権を確立し、アジアにおけるその植民地的支配を回復しようとする貪慾限りなき彼等の野望に発するものである。
英帝国は、過去数世紀に亘り侵略と征服とによつて、全地球上に広大な領土を獲得し、その優越的地位を飽くまで維持しようとして、世界各地において他国をして相互に対立抗争せしめて来た。他方、米国は、欧洲の動乱常なき情勢に乗じて米大陸に覇権を確立するにとゞまらず、米西戦争を契機として、太平洋及びアジアに爪牙〈ソウガ〉を伸ばすに至り、遂に第一次世界大戦を転機として英帝国と共に世界制覇の野望を逞しうして来たのである。
そして今次の世界大戦勃発後は、米国は更に北アフリカ、西アフリカ、大西洋、濠洲〔オーストラリア〕、西南アジア、進んでインド方面に対しても、次第にその魔手を伸ばして、英帝国の地位に取つて代らうとして来た。
彼等はアジアに対してどういふやり方をやつて来たであらうか――彼等は政治的に侵略し、経済的に搾取し、さらに教育文化の美名に匿れて〈カクレテ〉固有の民族性を喪失せしめ、相互に相衝突せしめて、その非望の達成をはかつたのであつて、かくしてアジアの諸国家、諸民族は常にその存立を脅威せられ、その安定を攪乱〈コウラン〉せられ、民生はその本然の発展を抑圧せられて今日に至つたのである。
勿論、今日までに、東亜の諸国、諸民族の間において、解放の義挙の起つたことは一再にとどまらなかつたのであるが、或ひは米英の暴戻〈ボウレイ〉あくなき武力的弾圧により、或ひは彼等の異民族統御の常套手段であるところ悪辣〈アクラツ〉極まる離間策により、多くは失敗に帰したのであつて、それは正しく〈マサシク〉抑圧された東亜民族の血と涙と怒りによつて綴られた圧制の歴史であつた。
この間にあつてたゞ一つ、わが国が明治維新以来、急速に興隆の一途をたどりつゝあることは、米英にとつて最も好ましからざるものとなつたのである。そこで彼等は、一方において事毎に〈コトゴトニ〉日本抑圧の態度に出ると共に、他方においてわが国と東亜における他の諸国家諸民族との離間〈リカン〉を策することを以て、彼等の東亜攻略の要諦とするに至つたのである。何故ならば、彼等が東亜を隷属させてゆくためには、東亜においていづれかの国が強国として勃興することは、また東亜の諸国家、諸民族が団結することは、彼等にとつて最も不利とするところであつたからである。
かくして彼等は、蒋介石を使嗾〈シソウ〉して日華両国の国交を阻碍〈ソガイ〉し、その極、遂に不幸な支那事変の勃発に至らしめ、これが解決に対しても、あらゆる手段を弄して〈ロウシテ〉その妨碍〈ボウガイ〉を策したのであつた。
そして今次の欧州戦争が勃発してからは、戦争の必要に藉口〈シャコウ〉して平和的通商を妨碍し、さらに進んでその本質において戦争と異らないところの経済断交の手段に愬へ〈ウッタエ〉、他面、東亜の周辺において武備を増強して、我に屈従を強ひようとし、東西の安定ほ根柢より重大な脅威を受けるに至つたのである。
帝国は、隠忍自重〈インニンジチョウ〉、最後まで平和的交渉によつて時局の収拾を図つたのであつた。しかるに米英は却つてますます脅喝と圧迫とを強化して帝国の存立を危殆〈キタイ〉に瀕せしめたので、帝国は自存自衛の為め蹶然〈ケツゼン〉立つて東亜に対する米英の挑戦に応ずるの已む〈ヤム〉なきに至り、こゝに一切の障碍を破砕して、東亜永遠の平和確立のため、国運を賭して〈トシテ〉征戦に邁進することになつたのである。それは二年前の、あの十二月八日のことである。