◎ゴーン氏は、「悪しきリーダー」と目されていたのか
一昨日(7月22日)のブログで、鈴木博毅著『「超」入門 失敗の本質』(ダイヤモンド社、2012)という本を紹介し、その「失敗の本質18 リーダーこそが組織の限界をつくる」から、末尾の節、および「まとめ」を引用した。
その時は、引用しなかったが、「失敗の本質18」には、最初から二番目に、次のような節がある。
リーダーとは「新たな指標」を見抜ける人物
自己の権威や自尊心、プライドを守るために、目の前の事実や採用すべきアイデア、優れた意見を無視してしまうリーダー。
このような人物は、最終的には自ら組織全体を失敗へ導いているのです。
最悪のリーダーシップとは、インパール作戦のように「この人にもう、何を言つても無駄だ」と部下に思わせてしまうケースでしょう。
日本軍は民間技術者や科学者を活用する場合でも、権威的な態度で接し、「言う通りに動けばそれでいい」という姿勢が随所に見られますが、新しい技術開発の可能性があっても、
・軍部に何を言っても無駄
・こちらからいい意見を出すのは無意味
という認識を関係者全員に与えてしまえば、日本軍自体が結果として技術的なイノベー ションを逃し、勝利を遠ざけることになるはずです。
優れたリーダーとは、組織にとって「最善の結果」を導ける人であり、自分以外を無能と断定する人ではないはずです。
アイデアやイノベーションは、環境さえ整えれば、組織のあらゆる階層から生まれます。
「上」の考えていることが一番正しいという硬直的な権威主義は、直面する問題への突破・ 解決力を大きく損なう誤った思想なのです。新たな指標としての戦略は、現場から生まれることが多く、リーダーはその価値を見抜く必要があるのです。
この記述を読んで、こんなことを考えた。カルロス・ゴーン氏は、日産自動車を「驚異のV字回復」に導いたあと、20年近く、ワンマンとして君臨し、その間に、硬直的な権威主義に陥ったのではないか。「悪しきリーダー」と化したのではないか。少なくとも、解任事件当時の日産自動車の社内には、カルロス・ゴーン氏のワンマン支配を嫌い、彼を「悪しきリーダー」として意識するような空気が醸成されていたに違いない。そうした空気が、「解任劇」を生み出したのであろう。――
企業のリーダーが、「硬直的な権威主義」に陥るということは、ありうることである。当該の企業が、みずからの存亡を賭けて、「悪しきリーダー」を追放するという事態も、起こりうることである。
2018年のゴーン氏解任事件も、そうした事態のひとつだったのだと考える。ただし、同事件に関しては、大きな問題が指摘できる。
第一の問題は、検察庁特捜部と組んで、ゴーン氏を「犯罪者」に仕立てたことである。そういう方法をとることなく、円満な形で、ゴーン氏に会社を退いてもらうことはできなかったのか。
第二。もしもゴーン氏が、「悪しきリーダー」と化していたのであれば、日産自動車は、そのことを、内外に、明確な形で説明すべきであった。日産自動車は、検察庁特捜部と組んだことによって、その説明は、特捜部が代行することになった。日産自動車は、みずからの力で、ゴーン氏を解任し、その理由を、みずから、内外に、堂々と説明すべきであった。
第三。日産自動車は、ゴーン氏を解任したあと、ゴーン氏に匹敵するリーダーを選び、その存在を内外に誇示すべきだった。しかし、そうしたリーダーは、ついに登場しなかった。そもそも、そういう人材は、日産自動車の社内には存在しなかった。だからこそ日産自動車は、検察庁特捜部と組むという方法を選択したのであろう。
明日は、『アジアは一つなり』(1943)の紹介に戻る。