礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

尊氏反せざる以前、北朝何れに存在せりや(三浦梧楼)

2020-03-12 03:07:11 | コラムと名言

◎尊氏反せざる以前、北朝何れに存在せりや(三浦梧楼)

『日本及日本人』第五百五十四号(一九一一年三月一五日)から、「観樹将軍の正閏観」を紹介している。本日は、その二回目。なお、観樹将軍というのは、明治大正期の軍人・三浦梧楼のことである。

 一体、正閏問題など云ふのは、枝葉の議論で、テンで物になりはしない。つまり腐れ学者が暇つぶしに反古〈ホゴ〉調べをやつて、え体の知れないものに屁理窟を附けて、人騒がせをやらうと云ふ虚栄が原〈モト〉ぢや、段々世の中が腐つて来るから、重野安繹〈ヤスツグ〉みたやうな者が幾人も出来て来て、物好き半分にコヂ附議論を唱へて、名前でも売らうと云ふのが関の山サ。例へて見るがよい、此所に一本の大木がある、其幹の方は一向に見ないで、唯だ北側の枝ばかり見て居る者は、此の木は北の方が本当ぢやと云ひ、南の枝ばかり見て居る者は、此の木は南の方が本当ぢやと争ふやうなものぢや、何もそんな枝や葉などを見る必要はない、チヤンと一本の幹が通つて居る大木だ、どちらの枝が大きいからうが、そんな事は彼此〈カレコレ〉云ふの必要はない、どこが幹であるかと云ふ事を見定めれば、それで文句は尽きるのである。マア此の一言で足れりだ、『尊氏反せさる以前、北朝何れに存在せりや』、どうだい、これでもう議論を挟む余地はあるまいぢやないか。
 支那ならいざ知らず、我が日本には、正閏なるものがあるべき道理がない、況して〈マシテ〉対立などゝ云ふ事は、天に二日〈ニジツ〉ありと云ふやうなもので、何処を押してもそんな音の出るべき筈がないのである。支那の如き異姓簒奪相継ぐ国柄でさへ、天に二日なく、地に二王なしなどゝ云つてゐるぢやないか。況して万世一系の 皇統連綿たる我が國體に向つて、さう云ふ不条理至極の理窟を唱へる者があるならば、実に我が立国の基礎を紊る〈ミダル〉ものであつて、乱臣とも賊子とも譬へ方ない痴れ者〈シレモノ〉と云はねばならぬ。
 又た南北両朝とも、事 皇室に関するものであるから、之れを批議するのは畏れ多いと云つて、其の論議を避けやうとする者もあるらしい、これ亦た甚だしい誤解であつて、そんな位なら一切歴史などを論ぜん方がよい。此の万国に卓絶せる我が國體を万世に維持し、其の光輝を八紘に輝かさんとするのは誰れの責任であると思ふか、一に〈イツニ〉懸つて吾人臣民の双肩にある、当然臣民の担ふべき大責任である事は云ふ迄もない事である。然らば則ち其の万国無比なる原因を明かにし、皇徳の超絶せる理由を発揮するのは、亦た吾人臣民の最も努むべき一大義務であらう。それだからして彼の徳川光圀は、大日本史に於て神功皇后は摂政であらせられたと云ふ事で、御正統の中に加へず、又た 天武天皇をば簒奪なりと明記して憚らなかつた次第である。是等の事から考へれば、南北正閏論とか、両朝対立論とか云ふやうな邪説俗議をなす者あれば、粉砕撃破して遺孽〈イゲツ〉なからしむるのは、寧ろ我々臣民の責任にして義務であると思ふ。又た或る俗論中には、畏れ多くも 今上陛下は北朝の御血統にあらせるゝが故になどゝ唱へる者もある由だが、さう云ふ者こそ、聖徳を汚がし奉る事甚だしいもので、北朝も南朝もある訳のものでない、一系御連綿として皆是れ 神武天皇よりの御血統を享けさせられて居るのは申す迄もない事で、斯かる枝葉の言を挟むのは却つて大不敬の罪を免れない事である。【以下、次回】

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