◎意想まとまらず筆を擱くやへとへとなり(大佛次郎)
大佛次郎『終戦日記』(文春文庫、2007)を紹介している。本日は、八月十五日の日記を紹介する。このあと、二十日までの日記を紹介する予定である。表記は、文春文庫版のとおり。
八月十五日
晴。朝、正午に陛下自ら放送せられると予告。同盟二回〔同盟の原稿二回分〕書き上京する夏目君に托す。予告せられたる十二時のニュウス、君ヶ代の吹奏あり主上親【みずか】らの大詔の放送、次いでポツダムの提議、カイロ会談の諸条件を公表す。台湾も満洲も朝鮮も奪われ、暫くなりとも敵軍の本土の支配を許すなり。覚悟しおりしことなるもそこまでの感切なるものあり。世間は全くの不意打のことなりしが如し。人に依りては全く反対のよき放送を期待しありしと夕方豆腐屋藤崎来たりて語る。午後感想を三社聯盟の為書く。岡山東取りに来たる。昂奮はしておらぬつもりだが意想まとまらず筆を擱【お】くやへとへとなり。夕方村田宅を訪ね工場の様子を尋ねる。啞然とせるもの多しと。健ちゃん熱をおして出勤せるもの、長広大佐以下全然知らずにおりしと話す。大佐少将級で何も知らずにおり報道を聞き愕然とせしらし。篠崎を相手に残りいる酒飲む。床に入りてやはり睡れぬなり。未曾有の革命的事件たるのみならず、この屈辱に多血の日本人殊に軍人中の一途の少壮が耐え得るや否やを思う。大部分の者が専門の軍人も含めて戦争の大局を知らず、自分に与えられし任務のみに目がくらみいるように指導せられ来たりしことにて、まだ勝てると信じおるならば一層事は困難なるらし。特に敵が上陸し来たり軍事施設を接収する場合は如何?
夜の総理大臣放送も大国民の襟度〈キンド〉を保ち世界に信義を失わざるようと繰返す。その冷静な良識よりも現実は荒々しく、軍には未経驗のことに属す。阿南〔惟幾〕陸相責を負い自刃と三時の報道あり。杉山元も自刃したと伝えられしが虚報らし。
〔山本惣治立ち寄る。〕
〔市中に入りおりし海軍水兵原隊復員にてトラックで続々立去りおる由〕
〔今日出海夕方来たり。放送局に将校現れ十二時前に我々に話させろと強要。放送せしも空襲中にてスウィッチ切れおりしと。〕
敗戦時、杉山元〈ゲン〉は、第一総軍司令官。8月15日に自決を決意し、当日付の「御詫言上書」をしたためたが、実際に自決したのは、9月12日のことであった。8月15日の段階で、杉山が自決するらしいという噂が広がり、大佛次郎も、この日、どこからか、その噂を聞きつけたということか。