毎年この日が来ると
スクールカウンセラーとして気仙沼へ派遣されたのは5月中旬
5月はカメラを持っていたが気が引けて被災現場では1枚も撮れなかった
何となく心がサワサワする
スクールカウンセラーとして気仙沼へ派遣されたのは5月中旬
初日は気仙沼湾に浮かぶ大島
アメリカ軍のトモダチ作戦の基地となった事もあるためなのか、学校には水や支援品が山積みされていた
その後、7月10月2月と派遣されましたが1年目は瓦礫撤去もなかなか進まず、行く度に全く変わらない町の様子だった。
ただ地盤沈下が激しく
満潮時は道路が海水で川のようになっており、タクシー運転手は足回りに汲んできた真水を掛けていたと話されていた
5月はカメラを持っていたが気が引けて被災現場では1枚も撮れなかった
それでも携帯電話で何枚か撮ったが凄く罪悪感が残ってしまった
上の写真は5月に大島の連絡船乗りばの近くの瓦礫の中から拾った鯉のぼりを倒れた電信柱に立てて見ました
2枚目は10月の道路の様子です
4年目の最後の派遣が終わり、お世話になったホテル観洋女将さんに「次は観光に来て泊まります」と言ったが、未だに実現していません😔
一刻も早い完全復活を祈ります