「木綿街道」を発信して約15年が経ちます
当初は少し離れた平田本陣記念館に人を呼ぼうかと月見の茶会を企画したのが始まりです
その時、「昔の街並みで楽しいことをやって、街を発信しよう」という話になり、街の名前を考えました
平田は木綿の集積で栄え、運河で品物を運びました。幕末には三井との取引が多く22万反を出していました。
そこで「木綿の港」などが上がっていたが、ちょうど世の中は「街道」ブームだったので「木綿街道」と命名しました。
ネイミングのインパクトが強かったのか、次々とマスコミに取り上げられて行きました。正に民主導の街づくりが進み、何年かたった頃から行政がバックアップする様になりました。
そして5月のイベントには多くの人出がありましたが、マンネリ化して何を目的にしたイベントなのか曖昧になってきました。イベントを始めた当時は、歴史の講演会や街並みに昔の道具や木綿を飾ったりそれなりに街を大切にしていたように思います
活動には資金が必要
でも、そこに執着すれば文化的な発信がなくなるし、住民とも心が離れていくようになるし、このあたりでもう一度はっきりしたコンセプトを作る必要があるように感じています。金太郎飴のような街づくりではないもの・・・・
木綿街道でないとできない活動、それも住民を巻き込んだ・・・・
ここが今の課題です
イベントに合わせて飾られた民家の玄関