火野正平の自転車旅
「こころ旅」を楽しみにしていて
朝夕録画している
今週は宮城県の旅
昨日は気仙沼の大島
震災の後5月にスクールカウンセラーとして心のケアに入ったのが大島
フェリーも瀬戸内の貸与品。大島には2隻が陸に打ち上がっていた
今日の夜「とうちゃこ版」を見ていたら
何やら見た風景
これは
あそこだ!
高校の坂下だ!!
震災後は支援者の宿が無く、離れた米谷工業高校の会館が各県の臨床心理士の宿舎になっていた
気仙沼市と南三陸町の担当者の宿舎
毎週西日本の各県が交替で心理士を派遣していた
毎朝タクシーが迎えに来て、道路の不通があったので山道を迂回し
1,5時間以上かけて気仙沼へ通った
一生の間で毎日3時間もタクシーに乗ったのはこの時だけ
その宿舎の坂下にお店があった。
タクシーが出発するときにはまだ開いていなく帰りはもう閉まっていた
一度だけ南三陸の担当が早く終わった時に開いていたとお菓子を買ってきたことがあった
今日のテレビはそのお店が出ていた
目的地はすぐ近くの神社
向かいには体育館のような大きな民家があって(2枚目の写真)その裏が北上川
毎日早朝、散歩に土手を歩いた
たった5泊を5月と7月、2回ここで過ごしただけだが(2学期からはホテル)
忘れられない
高校の入り口看板が写っている
みんなが交替で持って来たカップ麺が残ったのや、賞味期限直前の支援品をもらったりで押入れが一杯になった。どうしようと考えていたところ
土日に高校生の部活合宿があるというので張り紙をした
「全部食べてください」と
次の週に行った人は何もなくて「ありがとうございます」の手紙が置いてあったという
そんなことを思い出した「こころ旅」でした
「こころ旅」を楽しみにしていて
朝夕録画している
今週は宮城県の旅
昨日は気仙沼の大島
震災の後5月にスクールカウンセラーとして心のケアに入ったのが大島
フェリーも瀬戸内の貸与品。大島には2隻が陸に打ち上がっていた
今日の夜「とうちゃこ版」を見ていたら
何やら見た風景
これは
あそこだ!
高校の坂下だ!!
震災後は支援者の宿が無く、離れた米谷工業高校の会館が各県の臨床心理士の宿舎になっていた
気仙沼市と南三陸町の担当者の宿舎
毎週西日本の各県が交替で心理士を派遣していた
毎朝タクシーが迎えに来て、道路の不通があったので山道を迂回し
1,5時間以上かけて気仙沼へ通った
一生の間で毎日3時間もタクシーに乗ったのはこの時だけ
その宿舎の坂下にお店があった。
タクシーが出発するときにはまだ開いていなく帰りはもう閉まっていた
一度だけ南三陸の担当が早く終わった時に開いていたとお菓子を買ってきたことがあった
今日のテレビはそのお店が出ていた
目的地はすぐ近くの神社
向かいには体育館のような大きな民家があって(2枚目の写真)その裏が北上川
毎日早朝、散歩に土手を歩いた
たった5泊を5月と7月、2回ここで過ごしただけだが(2学期からはホテル)
忘れられない
高校の入り口看板が写っている
みんなが交替で持って来たカップ麺が残ったのや、賞味期限直前の支援品をもらったりで押入れが一杯になった。どうしようと考えていたところ
土日に高校生の部活合宿があるというので張り紙をした
「全部食べてください」と
次の週に行った人は何もなくて「ありがとうございます」の手紙が置いてあったという
そんなことを思い出した「こころ旅」でした