延岡で降りて
レンタカーに乗り換え高千穂へ
高千穂神社にお参りし、夜神楽に行きました。
出雲神楽とも石見神楽とも違う調子の神楽でした
演目はやはり天岩戸です
島根はオロチ退治
それぞれの人気演目もご当地流ですね
宿からは素晴らしい高千穂の山並みが‥
お決まりのボートで
その後西都原古墳群へ
この古墳群の中に一つだけ出雲式の方墳があり、原田常治は「古代日本正史」の中でこれが現地妻のもとでなくなった大国主の墓と書いています。残念なことに博物館は休館日のため色々と聞くことができませんでした。(ほんとうにこの方墳なのか)
畑を囲むようにすごい数の古墳があり、もし畑が無ければ何倍もの古墳があったと想像できます。周りの民家の森の中にも明らかにそうだと判る盛り上がりが見えています
やはりここが邪馬台国でしょうか
卑弥呼は素戔嗚の現地妻という彼の論評を思い出しながら回りました
すごい数の円墳です
そして最近調査が終わった前方後円墳
これが問題の方墳です(原田氏のいう方墳かはわかりません)
大国主にしては規模が小さいような気がします
説明には隣の大きな前方後円墳に仕えた人だろうと書いてありました
チョット変わった古墳も
そして翌日は飫肥へ
以前から街並みを観たいと思っていました
飫肥の武家屋敷は敷地が広~い
重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。指定が早かったのが幸いし、ほぼ家屋や石垣が修景を終えていました。
中には広いお屋敷(服部家)を利用した食事処がありました。素晴らしい建物と庭園です
でも私が一番魅かれたのは城主と家臣のお墓でした
初代の石塔の周りには追い腹をした家臣の墓が並んでいて、中には27歳家臣も‥
「安部一族」の世界が本当にあったという事を感じました。
帰りには鹿児島まで行き、新幹線に乗ったが、山は完全に初夏でした
今シーズン初の海釣り
膝を悪くしたせいで大きく出遅れてしまいました。
岩をバタバタ歩くのもちょっとつらいので座って釣れる波止場から手?足慣らし。
赤い桜鯛も期待しつつ海士の日の津波止へ
ここは海士の波止では最も水深があります
ウキした約6ヒロ取って流すが、メバル、と小グレのみ
魚も冷たく、やはり連休後からでしょうか
撃沈!!
来月に期待です
明日の早朝から宮崎へ3泊4日
日向は出雲の分家なのか確かめます
また携帯からの更新です
外孫の1歳の誕生日
ちょうど帰省中だったので我が家で祝い
一升餅を担いで好きなものを取らせます
お金=将来富豪なる
筆= 勉強家や芸術家に向く
そろばん=商人に向く
巻尺=職人に向く
という事でスタート
計算機を~と思ったが
すぐに
取ったのは筆、おいしい?
3週間、3歳と1歳がいて
毎日戦場でした
最近美人秘書と話すと「子育てのころが大変だったが人生で一番良い頃かもしれない」と言っています
爺婆はくたびれているのに娘は平気で子育てを楽しんでいるようです。娘ながら母親になると違うなと感心しています
本日父親が迎えに来て、長い~春休みが終わり、京都へ帰って行きました
明日からは超静か?な時間が流れます
すぐ近くには長女が嫁いでいますが、近くの孫は来ても半日で帰ってしまい、泊まることもありません。
昔は皆そうだったかもしれません。