昨日、新聞に教員セクシャルハラスメントで処分の記事が出ていました。生徒の主張だけが記者発表されていました。少し気になることがあります。
学校へ行くと生徒指導の熱心な先生にたくさん出会います。そのような方は夜でも生徒のために出かけ、自分の時間を割いて動いておられます。以前はその対象は非行系の生徒が多かったように思います。最近は、不登校や不安定な生徒への対応も多く、共感と受容のスキルで一生懸命生徒を支える方も多く見られます。
ここで注意しなければならないのは、その優しさの裏に隠された、裏メッセージがあるという事です。しっかり教員に受容された生徒はその先生の優しさに応えなければならないという暗黙のプレッシャーを受け取ることがあります。しかし、教員のほうは全く気づいていなく、生徒に寄り添ったケアだと思っている事もあります。生徒さんの側に立ったケアと思っても、不登校の場合は「頑張って出席しましょう」という裏メッセージとなる場合もあります。これは本人にとってかなりしんどいものです。
これが、養護教諭や、スクールカウンセラーの受容と、担任や、生徒指導の教師の受容との違いだと思います(一般論です)。
この裏メッセージが溜まったとき、ここから完全解放されるには大きな理由としてセクハラと言うカードを使うという選択もあります。究極の選択です。
悪意を持ったものではありませんが、結果の重大性は、教師の失脚を狙ったような悪意を持ったものと同様になることがあります。世間も非行系の生徒の主張には慎重ですが、今回のようなケースははじめから勝負ありという事になってしまいます。
教師として注意すべきは、その熱意と善意が裏メッセージとして相手を追い詰めるという事も、しっかり認識していくことも大切です。学級復帰を抱き合って祝福したことが、後で「廊下で抱かれた」ということにならないように…。