木綿街道の成り立ちは水運でした
海からは50㎞も離れていても海の満ち干で水深が変化するので掛けだしの高さは3段になっています
そのままの姿が残っているのはもう我が家のこれだけになりました
平田船川、宍道湖、中海を通って日本海に出られます
私が小学校時代には平田船川にはたくさんの船が係留されていましたの
松江までの貨物船も運航されて、沢山の荷物がやって来ます
我が家は塩問屋もやっていたので、裏の掛けだしから藁で作ったかますに入った塩がやって来ます
その為の荷揚げ場所が掛けだしです
海からは50㎞も離れていても海の満ち干で水深が変化するので掛けだしの高さは3段になっています
冬は水位が下がり、昔ながらの掛けだしの遺構が顔を出します
そのままの姿が残っているのはもう我が家のこれだけになりました
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