あれから3年が過ぎて行きました
この震災に初めて関わったのは一次派遣消防隊の惨事ケアから
そして5月には現地のスクールカウンセリング開始
あれから9回現地のスクールカウンセラーとして入りました
時々行くと、街は確かに変わっています
ほとんど電気のなかった町が、少しづつ明るくなり復興は感じられます
でも、心の復興は時間がかかりそうです
やっと心のブロックが解け始めたように感じています
総理が避難所の皆さんの心のケアが必要と言っていましたが、本当にそうだと思います。
心のケア=子ども
という考え方が一般的で、大人は大人だから大丈夫という認識があるように思います。教師にもそのような認識があるように感じます。
私は子供の方が可塑性が大きく、むしろ大人のケアに力を入れないと‥と思います。大人達の安定こそが子どものしっかりした愛着をはぐくみます。
また、大きく開く格差が高齢者の方を不安に陥れる原因になっています
スクールカウンセリングを1~2日延して避難所を回ってもいいのかな?。
でも行政は縦割りだから‥
亡くなられた方のご冥福と、行方不明の方々が一日も早くご家族のもとに迎えられることをお祈りします。
朝一でスクールソーシャルワークの仕事
その後虐待アドバイザーの仕事
午後はお寺の教区役員会
夕方からスクールカウンセリングの面接
学期末は学校の仕事満載になります
今週は一番きつい週になりそうです
頑張らなくっちゃ
もうすぐ楽しい春休みになります
が!
膝が十分でない‥本当に治るかな??
今年度は今日で終わりました
毎年、3月の最後の勉強会は講師の藤岡大拙先生を囲んでちよっとした直会をします。
私は不肖の弟子で半分は出られません
なので毎回が初めてで何年たっても読めません
読むというより内容に興味津々です
4月からは
もっと出れるように計画を入れないと‥
元々勉強は苦手だしー
根気
紅白梅と孔雀
飾りました
観る人もいないけど虫干しです
感心するのは細密な描写
私にはぜった~い無理です
3~4センチ四方くらいならば何とかなるかもしれませんが‥
古画の感心するところです
昔の職人の手間暇かけた細工物もそうですが
これからの時代だんだん廃れていくのは寂しい限りです
逆に考えると貧富の差が大きかった時代がそういう文化を支えていたかもしれません
みんなが裕福になったけど、そういう職人を抱えるほどの富豪は少なくなったという事でしょうか?少し複雑な気持ちがします。
江戸時代の蓄財は、土地、金、道具に三等分するのがいいとされてきました。道具が投資、蓄財の先になったのも技術の発展に寄与したと思われます。
ゆっくりした時間、心の余裕、効率化を考えない生き方‥‥
‥‥今の私には‥‥やっぱ無理!
今から非行の相談に行きます
出雲弁では「たんびがはじめて」という言葉があります
「たんび」とはその都度という事です
何かというと、それは確定申告です。
毎年、電子申告をするのですがその時にいつも混乱しています
もう肩こりとイライラ
毎年の行事です
最後には医療費などが面倒で細かいものは止めてしまいます
所得税は源泉で少しづつ税金を払っていますが
地方税が怖いです
今日はスクールカウンセラーの研修日
県主催の研修日は年4回程度、あとは心理士会の研修で補うことになっている。
研修は色々な方法で行われますが、今日は各自困難事例を持ち寄っての協議でした。他の人の考え方など大変勉強になります。
私は来年も今年と同じ程度の時数をする予定です。最低の時数ですが私としては精いっぱいです。
でも年齢なりの責任も感じるし、他の事もしたいという狭間の気持ちと、モチベーションを上げるには研修で補うほかありませんね
昨日の夕方帰りました
心配していたアニバーサリー反応
少し出ているように感じました
これからの10日間はテレビで色々な報道を目にすることでしょう。日が経ち、心のブロックがだんだんゆるくなってきている時期の刺激はかなりこたえると思います
全校生徒へは「気持ちは言葉にしよう」「決して否定はしないで聴き、話題にしよう」というような話をしました。それは先生へのメッセージを込めたものです。
ホテルでは「きっかけバス」の大学生が日替わりで来ていました。静岡、山梨、愛知、岡山、和歌山‥「島根は終わりましたよ」と岡山の学生が言っていました。
港付近は明かりが多くなってきました
シャークミュージアムも化粧直しの最中です
かさ上げも工事の真っ最中で全国のナンバーを付けたダンプが行きかいます