風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

向上心と劣等感

2022-06-01 20:49:51 | Weblog

自分語りをだらだらと書きます。

 


最近、外科医の友人や先輩と会う機会がありました。久しぶりに話して色々刺激を受けました。

世の中色々な人間がいると思いますが、僕の周囲には向上心の強い人間が多いです(外科を専門としているせいもあるかも)。今の30代はゆとり世代、さとり世代だとか言われ、キャリアアップのためにがつがつしない、給料も少なくていいから少しでも仕事を減らしたいというスタンスの人が多いと言われます。確かに昔のように残業を当たり前のように強いられることには抵抗があります。

でもそれは向上心がないのとは別次元の話ですよね。

人の人生に直結する仕事をしている以上、最低限の努力は怠らないようにしなければいけないとは思っています。ただ、少し上を見るだけで敵わないなと思う人たちがたくさんいます。偉いなあと思うと同時に劣等感を感じます。


社会人になって10年以上がたち、一体どれだけのことができるようになったのかといつも自問しています。

外科医としてのスキルは正直症例数の多い病院の3~5年目の医者と変わりありません。
今の病院にいても経験症例が増えることはないし、僕の能力ではこの環境下ではそれほど能力を伸ばせません。
外科以外の仕事のほうが多いくらいです。

経験年数の割に何もできないという劣等感は異動にも影響を及ぼします。
プライドの問題はあるけれど、それ以上に臨床能力を期待されている病院には行けないという現実的な問題があります。

医局人事的には田舎の病院で文句を言わず、周囲と特に問題を起こさない僕は扱いやすいコマです。
そういう意味では期待通りの働きをしている自負はあるんですけどね。

 

また、僕は変化を極端に嫌うタイプです。

同世代には転職をサラッとする人も多いですが、新しい環境でこれまで培ってきたスキルをどう生かしていくのか、
それとも心機一転してゼロからのスタートと考えているのか僕には全く想像がつきません。

今の僕は一つの仕事すら満足にできません。

医局内でも10年を超えてくると外科医をやめる人たちがちらほらでてきました。
僕も自分に見切りをつけてそういう選択肢を取るのもありかなとは思っているのですが、踏ん切りがつかないのとそうした場合のビジョンが見えません。

友人と会うのは楽しいのですが、その後しばらくは劣等感にさいなまれます。
何がしたいのか、何ができるのか、何を求められているのか自分でも整理しきれていません。

悩ましいことはつきません。


焚火を眺めながら思う

2022-05-22 20:18:19 | Weblog

「自分がどんな死に方をするかなんて、考えたこともないよ。

そんなこととても考えられないよ。

だってどんな生き方をするかもまだぜんぜんわかってないのにさ」

三宅さんはうなずいた。

「それはそうや。でもな、死に方から逆に導かれる生き方というものもある」

「それが三宅さんの生き方なの?」 「わからん。ときにはそう思えることもある」

 

                  村上春樹「アイロンのある風景」

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キャンプのたびに焚火をしています。
妻や子供が寝た後に一人でお酒を飲みながら、ただぼんやりと火を眺めて過ごします。

村上春樹に焚火が出てくる短編があったはずなんだけど、なんだっけなーともやもやしていました。
調べてみて「神の子どもたちはみな踊る」にある「アイロンのある風景」だったと分かりました。

この短編集はすべて阪神淡路大震災に関連した話になっています。
どの話も暗く読むのにエネルギーがいる本だったので、ほとんど読み返すこともありませんでした。
いざ読もうと思うと見当たらず、文庫本を買いなおしました。

読み返してみて、ああこれは大人が読む本だなと思いました。

20歳そこそこの学生には話が沁みなかったのも仕方ない。
いつものようによく分からないプロットは多いし、
面白いかと言われると答えるのが難しいけれど、2回読み直してしまいました。
ざらりとした読後感があり、それが何かを確かめるためにもう一度読みました。

昔は死はまだまだ縁遠いものでした。

でも、あれから東日本大震災も起こりました。
僕自身も年を取りました。
孤独がどういうものか、最近少し分かってきたように思います。

 

死が規定する生き方は確かにあると思います。

 

でもそれは事実としてそうであるというだけで、
だからどうしなければいけないとか、どうしておいた方が望ましい、というような話ではないように思います。

それもなんだ不思議な気がするんですが、今の僕はそういう風に感じています。


車でクラシックを聴く方法

2022-05-15 23:13:32 | Weblog

家族で出かけるにあたって妻の車では少々手狭なので、新しく車を購入しました。

今回も高校時代の友達の紹介という形で買いましたが義理での購入ではありません。笑

昔は流行のものに飛びつくのは嫌でしたが、
流行るにはそれなりの理由があるのだと最近は思うようになっています。

でもやっぱり人とかぶるのは嫌なんですよね。
特に色については白銀黒の車は選びたくありません。
おしゃれに皆目興味のない僕が色だけはこだわるのも自分でも不思議ですけどね。

結局色々迷って、今回のマイナーチェンジから増えた新色にしました。
土色という何とも言えない名前ですが、気に入っています。

 

今の新車には普通、CDプレイヤーはついていないようです。
おそらく通常のオプションにもなかったはず。

となると音楽を聴くにはスマホと車のオーディオをbluetoothで接続するしかありません。

現代っ子はサブスクで音楽を聴く人が多いのでしょう。
音楽だけの通信量ならたかが知れているのかもしれませんが、
wifiのない環境で通信しっぱなしというのはおじさんには抵抗があります。笑

また、端末内に音声ファイルを保存する方法もあるみたいですが、
それだとサブスクであるメリットが薄くなりますよね。

そして何より、クラシックはいいサブスクサービスがありません。
そもそも僕が聴きたいと思う曲はかなり限られているので、
サブスクサービスにはお金がかかる割に満足できません。
(結局ベルリンフィルのサブスクサービスもやめました)

以上から、聴きたい曲を端末内に保存しておくしかないというのが僕の結論です。

音質に関してはハイレゾ音源を有線接続するのがいいのでしょうが、
正直僕の耳ではハイレゾだろうとmp3だろうと聴き分けられません。
車内で聴くならなおさらです。

 

というわけで僕が行った手順

  1. スマホのSDカード大容量のものに変える

    僕は256GBのものを購入しました。この用量でもネットで安く買えます。
    ぎりぎりで運用していると音楽ファイルですら用量を圧迫するので十分すぎる用量にしました。

  2. 聴きたい音楽をmp3にしてSDカード内に入れる

    CDならmp3で取り込むのが便利です。
    WMAのままだとスマホで聴けなかったので変換作業が必要でした(これがまた面倒くさい)。
    また、クラシックCDから取得した音楽ファイルはアルバム情報が整理されていないことが多いです。
    WMPの機能を利用して、アルバム情報をネット経由で取得して更新しておくのが吉。
    それでもトラック番号がめちゃくちゃに振られて、楽章がその通りにならないことがしばしば…
    やってみると分かりますが、CD経由で音楽ファイルを取り込むのは意外と手間がかかります。

    それ以外の方法としてmp3ファイル自体をダウンロード購入するのがおススメです。
    amazonにもmp3をダウンロードする方法があるようですが、品ぞろえが豊富とはいいがたいです。

    今回調べてみて一番よさそうだったのがPresto Musicというサイトです。
    日本語非対応、クレジットカードもJCBは非対応ですが、
    CDの音声ファイル(mp3)をトラック単位で購入できました。
    他にFLAC, High-Res FLACも対応しているようです。

    この方法のメリットは音声ファイルの情報がきちんと整理されていること。
    CDからとりこんだときのようにトラック番号などがぐちゃぐちゃになっていることはなさそうです。

    パールマンのチャイコフスキーのコンチェルトあるかなーと思って検索してみたらちゃんと出てきました。
    僕ぐらいの浅いクラシックファンには十分な印象です。笑

    ピアソラのオブリビオンも色んな音源がヒットしました。
    1トラック100円から200円くらいなのでジュースを購入する感覚です。

  3. あとは車で実際に聞いてみる

    まあ、これはbluetoothの接続さえできれば問題ないでしょう。

しかし、mp3なんてファイル形式が30年も生き残っているのはすごいことですね。
mp3は圧縮音源で音質は劣化しているとのことなのでFLACやハイレゾFLACのほうが当然いいんでしょうが、
ファイル用量が大きくなってプレイヤー側の汎用性が下がるなどのデメリットがある以上、
今はmp3でいいじゃないかと思ってしまいます。

今後聞き比べてみて違いがあったら移行してみようかとは思います。

 

 

 


かき揚げの思い出

2022-05-07 17:26:02 | Weblog

妻と子供が実家に帰って一人だったので、夕ご飯を食べに職場のそばのうどん屋に行きました。

35歳にしてしっかり糖尿病の診断基準を満たしてしまったので、
内服薬を始めると同時に炭水化物は控えるようにしています。
甘いものも甘くない炭水化物も大好物の僕としてはつらいところではありますが、
食事制限と内服薬を始めてから少し体調がいいような気がします。

でもたまにはいいんです。たまには。

1玉ではちょっと物足りないけど、2玉食べると多いので、妥協して1.5玉。
サイドメニューに野菜かき揚げを取りました。
野菜を食べたら健康になるなんて無茶苦茶なことは言いません。
単純に僕が好きだから取っただけの話です。
かき揚げ、おいしいですよね?

かき揚げをかじりながらふと昔のことを思い出しました。

22歳の時だったから・・・今から14年前。
僕に14年前があったなんてなんだか嘘みたい話のように感じますが、間違いなく現実です。

あの年の夏、部活の同期で海水浴に行くイベントを企画しました。
当然ではありますが、都合が合わなくて何人か参加できませんでした。

自分で言うのもなんですが、こういうことに関しては僕はフェアです。
自分が企画に参加したいのに参加できない人が出るのはかわいそうだったので、
参加できない人を誘ってかき揚げパーティしました。
当時のブログにも書いたかもしれません。

かき揚げを選んだのは僕の独断です。
別に参加できなかった同期が特別かき揚げ好きだったわけではありません。たぶん。笑。
かき揚げパーティが海水浴の穴埋めになったのかどうかはよく分かりません。
拒否しなかったということはそれなりに楽しんでくれていたのだと信じたい。

あれ、でもそもそもかき揚げってパーティするようなものだったっけ?


何を言いたいのかというと、年を取ったんだなと感じたという話です。
少し前だと思っていたことがもう14年も前だなんてちょっと衝撃的です。

その月日に見合うものを僕は身に着けたのか。

働くのに必要なスキル、技術。
家庭。妻と子供。
自分自身の精神的な成熟。

正直あまり自信がありません。

この前、子供が誘拐されるドラマを見ていてものすごく不快な気持ちになりました。
ああ、自分にも親としての感覚がいつの間にか備わっているんだなと感じました。
妻からすればまだまだ親として不十分なことが多いのでしょうが。

自分には瞬発力がありません。
地道に少しずつやっていくしかないなーと思う今日この頃です。


働いている姿

2022-04-14 22:46:41 | Weblog

 

この前、事務の子に僕が救急車対応しているところがかっこいいってほめてもらいました。

普段眠たそうにボケーっとしているときとのギャップに驚いたんだそうです。

10年以上働いてきましたが、働いている姿がかっこいいなんてほめられたのは初めてです。

そして多分今後もないかな。笑

学生時代、実技試験で緊張でがちがちになり、学年で数人しかいない不合格者になったことを思い出します。

まさかそんなところを褒められるとは思っていなくて、ちょっとびっくりしました。

 

普段からパラメディカルにキレないように心がけています。

腹立たしかったり小言を言いたくなったりすることも多いですが、無用に高圧的になることはないようにしています。

そういう点では病院のスタッフからそれほど嫌われてはいないだろうなと思います。

(キレる医者って多いんですよね、ほんと)

 

職場では自制できるのに、子供には自制できません。

こんなに怒るメリットはないだろうと客観的にみれば思うのですが、

子供にはかなり口うるさい父親になってしまっています。

職場のスタッフがどれだけ成長しなかろうが、僕が我慢すればいいだけならあきらめもつきます。

でもやっぱり子供にはそうもいかないんですよね。

こうなって欲しいと求めることは多岐にわたります。

結果としてそれがマイナスにならなように気を付けなければいけないのは分かってはいるんですが・・

 

 

病院には30人近く医者がいるはずなのに、なぜか救急車対応の5分の1のを担っている僕としては

そこを褒められると少し意外と同時にうれしかったという話でした。


カルテットは麻雀と似ているらしい

2022-04-02 20:42:00 | Weblog

村上春樹のエッセイに「カルテットは麻雀と似ている」という一節があります。

 

四人で行うこと、

四人の実力が近くないと成り立たないこと、

そしてちょうどよい四人が集まるのはなかなか難しいということが共通しているそうです。

僕は麻雀はできないけれど、なるほど確かにそうなんでしょうね。

 

プロであれアマチュアであれ、実力や好みなどに不均衡があればバランスが取れないのは間違いありません。

そういう不均衡はトラブルや衝突の元になります。

アマチュアでやっているのに、音楽を楽しめなくなっては本末転倒です。

純粋に好きな音楽ができるという点において、

アマチュアはプロよりもはるかに恵まれた環境にあると僕は思っています。

下手くそでも下手くそなりに楽しめる環境は大事です。

そして下手な音楽を人に強要することがあってはなりません。

 

優れた音楽家であっても食っていくのが難しいのは、

それにお金を投じてまでも聴きたいと思う人がいないから。

時間だってそうです。

貴重な時間を割いてまで聴きたいと思わない人に、それを強要するのは罪深いことだと思います。

プロですらそうなんですからアマチュアならなおのことです。

自己満足でしかないことが人に迷惑をかけてはいけません。

 

コロナが流行る前に何度か企画した病院演奏会はその問題はクリアしていたと思います。

入院して時間を持て余している人で興味があれば来てもらう形にしていたし、

下手くそすぎて不快であれば途中で帰ってもらっても全く問題なかったから。

…まあ、快く思ってない人もいたかもしれませんけどね。

 

下手くそな僕は今では演奏の場を失ってしまっています。

本当は下手な僕の演奏でも喜んでくれる人達の前で演奏したい。

でもこの時代、叶わぬ願いです。

 

なので最近は、カラオケで自分が好きな曲を弾いたのを録音し、

他の人が歌うのと重ねるサービスで遊んでいます。

カルテットの例でいうと、自分の実力を知ったうえで重ね撮りしてもらえるのでマッチングしやすいし

重ね撮りなので同時に行う必要もなく、時間的な制約もありません。

わざわざ再生するのも興味を持ってくれている人だけです。笑

 

生の合奏に比べるとビビッドさは欠きますが、

ある意味ではカルテットを組む難しさを克服している現代的な有効な手法だろうなと思います。

 

カラオケに(楽器用)コンデンサマイクを接続する方法はすでに自分の中では確立しました。

してみたいけどカラオケの機材にマイク端子を指すのが怖いという人のために、まとめて記事にしてみようかな。

このブログの人気記事はFFTのガフガリオンから正宗ゲットする方法について書いた記事です。

そういうニッチな記事は意外と人気なんですよね。笑


相手は人間だから

2022-03-30 21:06:24 | Weblog

野生のオシドリ。長望遠レンズで撮ったので画質がやや粗いです。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

無条件にお医者様と言われて敬われるような時代ではなくなりました。

外来の待ち時間が長すぎると患者に文句を言われたり、なぜかけんか腰で接されたりすることは少なくありません。

病院の待ち時間は長いく、確かに申し訳ないところはあります。

たけど、一時の感情に任せて暴言を吐く人たちは結果的に自分が損していることを知りません。

 

こちらも人間なので、けんか腰で来られたら不快な気持ちになります。

当然感情は押し殺しますが、その患者に対する心象は急降下します。

そんな人に心を込めたサービスを提供しようという気持ちはなくなります。

どんな相手だろうと最低限のサービスは提供します。

ただ、彼らは数値に現れないところで損しているのを自覚したほうがいいと思います。

そういう人たちには優しくなれません。

 

この前、車を買いました。

販売店で担当してくれたのは大学卒業間もない若い女の子でした。

経験不足のために不手際な点はなくはなかったけれど、こちらからすると十分及第点な対応をしてくれました。

押しつけがましくなかったところがよかったです。

納車の際、アンケートを求められました。

全て最高評価でほめちぎっておきました。

客観的な評価としては普通ですが、そうしておけば彼女もうれしいし、

今後より親切な対応しようという気になると思います。

打算的な行動といえばそれまでですが、そうすることで皆が幸せなんだからいいですよね?

実際、中年太りした初老のおじさんに担当してもらうより

若い女の子に対応してもらう方がよかったのは確かですし。笑

 

そんな簡単なことに気づいたのは実は最近のことです。

お世辞をいうというのも社会人として必要なスキルなんでしょう。

そちらはいまだに上手にできませんが、非言語的お世辞が使えるようになったことに気が付きました。

年を取ったものだと感じます。笑

 

世の中は相手への配慮から生まれる嘘であふれています。

お世辞を文面通り受け取ってはいけません。

相手がどういう気持ちでいるのか、よくよく考えないといけません。

いい大人なら、そんなこと言われなくても分かってほしいものです。


受けた恩義

2022-03-26 20:11:10 | Weblog

焚火って、いいですよね。

落ち葉を燃やすのも難しい現代では、キャンプが唯一焚火を楽める場となりつつあります。

 

― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 

 

昔から、受けた恩義には報いたいと思っています。

この人には良くしてもらった、親切にしてもらったと思ったら

いつかそのお礼をしなければいけないと感じながら生きています。

 

最近、勤務中にひどい頭痛に悩まされて医局で苦しんでいるとき

事務のおばちゃんが心配してくれて栄養ドリンクとココアをくれました。

「温かいものでも飲んで少し休んだらどうですか?」と優しい言葉をかけてくれました。

しんどい時に優しくされるとうれしいですよね。

自分でも不思議なんですが、僕の中では恩返しをしないといけない人とそうでない人はきっぱり分かれます。

その人もその時、恩返ししなきゃいけない人リストに加わりました。

 

ところが、この間、3月で退職するのだとその人に挨拶されました。

現実的にはその人に何か恩返しできるようなことはありません。

せいぜい事務が担当している書類などを滞りなく作成して、

なるべく負担をかけないようにすることくらいです。

だからその人が辞めなくても、恩返しする機会なんてありません。

じゃあ、何をすればよかったのか。

あの時はありがとうございましたと挨拶に行くこと?

…そんな甲斐性も僕にはありません。

 

もともと仕事上の直接的な接点はないので、寂しいという気持ちはありません。

ただ、やらなければやらないことをやりそびれたまま、

その機会を逸してしまったという後悔に近い気持ちがあります。

 

僕が恩を返さなければいけないリストに登録している人はたくさんいます。

このようなささやかなエピソードでリストに載るくらいなので。

そして、そのほとんどは今後会う機会がどれだけあるか分からない人たちです。

良くしてもらったことへのお礼をしたい。

その気持ちだけが残って少しずつ風化していずれは消えてしまいます。

ぼんやりとしたやらなければならいことをやり残した悔しさだけ心に残ります。

 

というわけで、僕に優しく接した記憶のある人は、困ったときに僕をぜひ頼ってください。

自分のできる範疇で最大限に力になりたいと考えています。


嫌われものへのシンパシー

2022-02-25 00:45:20 | Weblog
そんなに日々の生活がきついわけではないのに、なぜか強いストレスを感じることが最近多いです。
ストレスの閾値はたぶん人によってさまざまなんてしょう。ちょうど痛みの感じ方が人によってまちまちなように。
同じ状況を苦としないひともいるんだろうなーと思うと、自分の損な性格が嫌になります。まあ、仕方ないことですけどね。

弱っているとき、逆に少し優しくなれることもある気がします。

元皇族と結婚した人の私生活とか、不倫で仕事を失った俳優や芸人とか、ネットやメディアの多数の人たちは口を開けば非難ばかりしています。

そんなに躍起になって彼らを攻撃する理由が僕には分かりません。
なんとなくいけ好かない。
そう思うのは自由。
だけど、それをわざわざ文字にして発信する動機が分かりません。
関係者なら話はわかります。
でも、部外者でしょ?
放っといたらいいじゃない?

試験に落ちてしまえばいいとか、当然の報いとして幸せになってはいけないというような
「社会総意」の意地悪な期待がすけて見えるたびになんだか嫌な気持ちになります。

犯罪者の更生とは話が違います。批判する人たちはそんなに偉いんでしょうか。

最近多様性ばかり強調されることに僕も食傷気味ではあるけれど、自分と相容れないことがあることは相手を攻撃していい理由にはなりえません。

弱っているときは、批判されている人に自分を重ねてしまうのかもしれません。
少なくとも僕はあんなふうに社会から攻撃されたくない。

窮屈な世の中だなと感じてしまいます。
人は人、自分は自分、それでいいと思いませんか?
人に興味がない僕がこんなふうに感じるなんてよっぽどのことです(笑)



自分の考えをまとめるために

2022-01-18 23:00:18 | Weblog

夕暮れの燧灘に立つツクシガモ

 

― ― ―  

 

またかと言われそうですが、村上春樹の話。

「スプートニクの恋人」に出てくる、すみれという登場人物のことをふと考えました。

この小説の後半は行方不明となったすみれが主人公へ残したワープロ文章という形を取っています。

その膨大な置手紙の冒頭に、自分の考えをまとめ伝えるためにはこの形が最善だったと断っていた…ような記憶があります。

 

一般に、ストレスを感じた時の対処法として

自分を取り巻くストレッサーを1枚の白紙に書き出してみて客観視してみるとよいと聞きます。

自分が苦痛を感じている原因を探り対策を講じる手立てとなるし、

なんだ、つまるところはこれだけのことかと俯瞰することが可能となるんでしょう。

実際自分でやったことはないけれど、確かに効果はありそうです。

自分がストレスに感じていることを視覚的に、言語的に起こしてみるというのは有用そうですよね。

 

このブログを始めたころは、自分の中のもやもやを吐き出す場所としてここを利用していました。

誰もが観閲しうるネットでそういうことをする幼さに考えが至りませんでした。

・・今はそう思う、というだけの話ですけどね。

 

今ここにだらだらとしょうもないことを書き記すつもりはありません。

ただ、自分が漠然と感じている不安を、ここではない場所に個人的な文章として書き記してみるのもいいのかもしれないと思います。

ちょうど、小説の中のすみれがしたように。

 

自分が何を感じているか、自分でも把握できていないように感じることはありませんか。

もしくは本当は分かっているのに分からないふりをしているのかもしれません。

 

― ― ―  

最近、宇宙ブームが来ていますね。

去年、スプートニクのプラモデルが発売されたそうです。

球に棒がついているだけのシンプルなものですが、ちょっと欲しい。笑