風吹く豆腐屋

内容はいろいろ。不定期更新中。

「老人と海」

2021-12-23 23:58:10 | Weblog

忙しくない当直の日に読もうと思って「老人と海」を買いました。

昔読んだことがあると思うけど、ほとんど覚えていません。

あらすじは有名だから読んだ気になっていただけかも。

 

帯には「これがノーベル文学賞だ」とありましたが、読み終わった後も正直ピンときませんでした。

そもそもノーベル文学賞を取った作品を読んだことないけれど。

解説も読んでふむふむとは思います。

根底に流れている人の温かみを感じ取りはしました。

ただ、大人になった今ならこの小説の良さがわかるかなという見立ては、早とちりだったみたいです。

年を取ることで良さが分かるようになるものって、実は思っているほどは多くないのかもしれません。

 

 

 


「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のやることだ。」

2021-10-22 23:53:27 | Weblog

 

ふと「ノルウェイの森」の永沢さんの言葉を思い出しました。

タイトルは小説の中で永沢さんが主人公に語る有名な言葉です。

 

読んだことがあればわかると思いますが、永沢さんはかなりアクの強い登場人物です。

変人ばかり登場する村上春樹の小説の中にあっても突出した存在だと思います。笑

外見もよく有能な人間なのに、私生活は「地獄を抱えている」と評される何ともかわいそうな人です。

 

タイトルの言葉がパラドックスを含んでいるような気がするのはさておき、

そういう意識をもって自らを戒めている姿はかっこいいなとふと思いました。

 

自分で解決できる問題なら自分で解決すればいい。

そして、自分でどうしようもない問題に直面しても自分はかわいそうだなんて思うなよ、

そんな風に注意を促しているような気がします。

 

ずっと昔に読んだ本の中の言葉を思い出すってなかなかない経験です。

ひっそりとしかけられた時限爆弾が静かに作動したような感覚です。

ノーベル文学賞で騒ぐのはいい加減やめればいいのにと毎度思いますが、

僕のような長い愛読者がいるのは確かですね。

 

村上繋がりというわけではありませんが、最近は「村上海賊の娘」を読んでいます。

舞台がしまなみや大阪ということで、地理的な親近感があって読み始めました。

それぞれの立場に置かれた登場人物のいろいろな思惑や感情が描かれていて

組織の軋轢にもまれながら生きる今の僕にはなかなかしみいるものがあります。

 

もう若者の恋愛小説はいいやと思ってたけど、村上海賊を読み終わったらまたノルウェイの森読み返してみようかな。


怒るという行為について

2021-10-11 00:21:50 | Weblog


「先生は怒らないよね?
怒ったほうが早いと思うこととかないの?」と上司に聞かれました。

腹立たしく思うことはあります。
休みの日に緊急性のない電話をかけてくる、逆に急ぐことなのに報告がない、下手したら患者が亡くなりかねないような危険行為をしているのに無自覚だとか、まあいろんなことで。

実害のない範囲であれば、ある程度は我慢します。文句の一つも言いたくはなるけど(笑)
危険行為については本人にはごく短時間注意するにとどめました。上にはきちんとチクりしたけどね。
僕はキレることはまずないし、職場では温和な人間で通ってると思います。

家庭ではどうか。

妻から見ると5歳の娘には厳しいらしいです。
確かによく怒ってます。
僕が主に接する夜は眠たくて機嫌が悪いことも多く、注意したくなることも必然的に増えるんですよね。

こういう言い方は良くないかもしれませんが、職場の仕事ができない人には正直諦めている感覚があります。
もう言ってもどうしようもないだろうと思っているところがあります。
娘には期待するところが多いので、そういうわけにはいきません。
見方によっては、外ヅラがいいくせに身近な家族には辛辣なことを言うアルツハイマー型認知症みたいに映るかもしれませんね。
(実際自分がアルツハイマーになれば厄介だろうなと今から心配しています 苦笑)

夫婦喧嘩も似ています。
相手に求めることが多すぎるのかもしれません。
自分にとって大切な相手ほど優しくなれないなんて皮肉な世界だなと思います。
分かっていることと正しく行動できることはまた別物です。

色々難しいものですね。

名医の定義

2021-09-11 23:44:38 | Weblog

週刊誌によく「危険な薬」「飲んでいはいけない薬」なんて見出しが並んでいるのを目にします。

確かに危険な薬はあります。というか危険じゃない薬なんてありません。

 

例えば、処方箋なくドラッグストアで買える鎮痛剤。

実はそれを1錠飲むだけで死ぬ可能性があると添付文書に記載されています。

もちろん具体的に死ぬと書かれているわけではありません。

たとえば、重大な副作用の項目にある中毒性表皮壊死症。これは死に至りうる副作用の一つです。

副作用の頻度は不明、つまりかなり低いということではありますが、発症すれば死亡率20-40%。

かなり高い死亡率だと思いませんか。

普段何気なく飲んでいる痛み止め1錠にも内服することで死ぬリスクがあるわけです。

 

だから必要ない薬は飲まないに越したことはありません。

だけど、現実には不必要と思える薬を大量に飲んでいる人はかなり多いです。

高齢な患者さんのお薬手帳見せてもらったら20種類くらい並んでいることもしばしば。

いくら安く出してもらえるからってそんなに要らないでしょう…。

 

週刊誌の記事はそういう日本ならではの医療体制に付け込んだ悪質な記事です。

監修しているのは大抵うさん臭い本を書いているような怪しげな医者です。

普通の医者とは考え方を異にしている人が多いです。

その記事の締めの文言は「ガイドラインにとらわれてはいけない。真の名医の主張に耳をかたむけるべきだ」でした。

 

啓蒙のつもりでそういうことを発信したいのだとしたら、あまりに罪深いと思います。

医療界のガイドラインは原則として絶対的なものです。(これも反論はありますけどね)

頭のいい優秀な医者が集まって、海外や国内の研究結果や実臨床の状況も踏まえ、

あーだこーだと議論したうえでこれが一番良い治療だというのを提示しています。

三人寄れば文殊の知恵といいますが、文殊が三人以上寄って決めているのがガイドラインです。

それよりもたった一人の変わり者の医者の言うことのほうが正しいと信じるに足る理由がありますか?

その週刊誌の記事を流し読みした限りでは、ガイドラインに反論するだけの強い論拠の記載はありませんでした。

ちなみに個人の経験に基づく診療というのは一番信用できないものとされています。

 

もちろん、月日が経って過去のガイドラインが間違っていたと分かることもあります。

だけど、ガイドラインを逸脱したことをしていて患者が不利益を被ったケースのほうが圧倒的に多いのは間違いありません。

標準治療はガイドラインに準拠した最も効果的な治療です。

それを逸脱した治療を行う場合は、大きなデメリットを伴う可能性があると分かったうえで行わなければなりません。

多くの場合、患者さんはそれが分かっていません。

だから僕は甘い言葉で患者を惑わせる「名医」が嫌いです。

 

最近もテレビでステロイド外用薬を否定するような番組をやっていたとか聞きますし、

HPVワクチンの副作用が重篤だとさんざん騒ぎ立てて

子宮頸がんが唯一増加する国日本を作り上げたメディアは誤りを訂正しようともしない。

 

報道や表現の自由は確かに大切なんでしょう。

玉石混交の情報を取捨選択できる人ばかりなら問題にならないでしょう。

でも現実はそうじゃないんです。

人を不幸にしうる情報をばらまいている人たちの倫理観を疑います。

良かれと思ってやっているのかもしれませんが、本音は違うのではないでしょうか。

 

僕は決して名医じゃありません。

自分が関わったせいで患者に不利益を与えないかいつもびくびくしています。

ただ、少なくともそうならないようにしようという自負はあります。


第三者に話すときの親の呼び方

2021-09-11 18:15:22 | Weblog

最近、テレビなどで耳について仕方がないのが「お父さん」「お母さん」という表現。

インタビューなどで若者が自分の親のことをそう呼んでいるのが気になって仕方ありません。

 

へりくだる必要まではないと思うけど、そこは「父」「母」であるべきじゃないの・・?

 

小学生のとき、国語の教科書でサザエさんの家系図を例に、●●からみたら○○は××にあたる、というようなことを習いました。

その際に、第三者に家族のことを話す際は「父」「母」「兄」「姉」「弟」「妹」と言いましょうと教わった気がします。


最近はむしろ「お父さん」「お母さん」と言っている人のほうが多いですよね。

そういう発言を見るたびに幼稚だなと思うんですが、僕の心があまりに狭小なんでしょうか。

そのうち、公的な場でもパパとかママとか言う人が増えるんでしょう・・。


でもこういう時代だからこそ、自身の親を「父」「母」と言っている若者を見ると相対的に感心します。

僕もいよいよじじくさくなってきました(笑)


石鎚山に登りたい

2021-09-06 23:15:24 | Weblog


子供を連れて石槌山に登りたい、というのが目下のささやかな願いです。


実は夏休みを取った平日に少し登りました。
5歳と2歳の子供を連れて妻とともに。


石鎚山は実は近畿より南では国内最高峰で1982mあります。途中の切り立った崖を鎖を利用して登る箇所が有名で、しかもそれが複数あります。
それだけ聞くととても素人が手を出せそうな山ではありませんが、実はロープウェーとリフトを使うと中腹の神社まで一気に登れ、鎖については迂回路がちゃんとあります。
ルートによっては子供でも登れる山とされていて、実際子供の頃に登ったことがあるという話をよく聞きます。

ただ、遭難事故や滑落事故、死亡事故は多く危険であることは間違いありません。僕自身、怪我して運ばれた人を今まで複数診てきました。

今回は、日帰り登山かつ子供2人連れてだったので無理はせず最初からすぐに引き返すつもりでいました。
それでもリフトで登った先にある神社から登山道に入るときは登山票をきちんと入れました。
こういうことはやっぱり大切。

そこから頂上までは大人の足で登り3時間、下り2時間半が目安のようです。距離にすればたった3.6kmですが、山道になるとやはり大変です。

途中までは緩やかな道が続くので、もっと行けるんじゃないかと騙されそうになりましたが、1km少々進んだところで急に傾斜がきつくなり、頑張って歩いていた上の子もごね始めたので引き返しました。結局片道1時間ちょっと登りました。

面白かったのが「帰るときのことも考えないと」と上の子に言われたこと。
確かにそのとおり。思いつきで行動する父より計画性があるかもしれません(笑)

ベンチを見つけてはおやつ休憩して(娘チョイスのミニドーナツがハイキングにはベストマッチだということを知った)、アサギマダラがふわふわ道案内してくれるのを追いかけて(ちょうちょーと下の子は喜んで追いかけてた)、晴れ間に緑に染まる木々に魅せられて、色んな種類キノコをひとつひとつ眺めて‥

景観のいい場所まで登れなかったので、正直なところ展望パノラマは楽しめませんでしたが、これはこれでなかなか楽しい登山でした。

調べてみると子供をかついで登山する用のバッグがあるようてす。
たけどそこまで本気で登山したいわけじゃないし、それが必要な期間がごく短いことを考えると、それに何万も出すのは馬鹿馬鹿しい気がします。

また安全第一で行きたいなとーと思っています。

実は今回、山の中も割と電波が入ることが分かりました。夏休みということで病院からの電話は控えてもらっていましたが、はてこれはいい事なのやらそうでないのやら‥



「みみずくは黄昏に飛びたつ」

2021-08-18 00:10:05 | Weblog

川上未映子の村上春樹との対談集「みみずくは黄昏に飛びたつ」を読みました。

村上春樹好きにとっては面白い本でしたが、それでも読むのは少ししんどかったです。

好きではない人はたぶん途中で読むのをやめると思います。

実際、amazonの書評もそういうコメント多いですし(笑)。

 

筆者自身も一村上春樹ファンとしてインタビューしている形です。

興味深かったのは、他のエッセイなどではあまり書いていない内容について触れられていること。

言葉のプロとして長編小説などもそれほど労多くせず言葉を紡いでいるのかなと勝手なイメージがありましたが、

何度も何度も書き直して膨大な努力の上に本を完成させているのだと知りました。

自分でも妙な感想だと思いますが、なんだかうれしく感じました。

世界的に売れる本を書く作家もたゆまぬ努力の上によいものを作り出そうと腐心しているということが、新鮮に感じたんですよね。

 

「騎士団長殺し」を書き終わった後の対談ということで、それについて触れられている箇所が多いです。

そして「騎士団長殺し」と共通項も多い「ねじまき鳥クロニクル」についても多く言及されています。

大抵の小説やエッセイは何度かは読み返しているんですが、

ねじまき鳥のほうはおそらく2回、騎士団長のほうは1回しか読んでいません。

ねじまき鳥を何度も読まなかった理由は残酷な描写が出てくるからだと思います。

グロテスクな描写はあまり好きではありません。

だけど、「みみずく」を読むことで再度読み返してみようかという気持ちになりました。

細かいところはだいぶ忘れてしまっていますしね。

そしてねじまき鳥を読み終わり、今は騎士団長殺しを読んでいます。

 

ねじまき鳥を改めて読んでみて思ったのは、そんなにグロテスクな本じゃないじゃないかということ。

昔感じた抵抗感が薄れているの気が付きました。

職業柄グロテスクなものへ耐性ができているのはあるかもしれませんが、

それとは別次元の問題ですっと受け入れることができました。

年を重ねて色々な経験をすることで、つらく絶望的な状況に対して目をそむけたくなるだけじゃなくて、

まあそういうこともあるだろうなというある種の達観というか共感する視点ができてきたんじゃないかと感じています。

単に加齢とともに心が摩耗して鈍感になっているだけかもしれませんが。

 

初めて呼んだ14年前とは違って楽しむことができました。

年を取るのも悪いことばかりではありませんね。笑

 

ちなみにねじまき鳥のモデルになった鳥は小型のキツツキ、コゲラだと思われます。

「ギィー、ギィー」とその辺の木々で良く鳴いています。

 

今もこのブログを更新するとmixiに連動して更新表示されています。

多分あっちを見ている人は数人程度だと思いますが。笑

ふとメッセージの受信箱を見て見たら昔のやり取りが少しだけ化石みたいに残っていました。

普通のメールほどたくさん来るわけではないので、消えずにそのままになっていました。

14年前、アメリカに短期研究留学していたあいつとしょうもないやり取りしていました。

最後のメインは幻想交響曲がよかったらしい。

なんだかものすごい昔のような、そうでもないような。

 

mixiにしてもfacebookにしても登録している友人の数はそれなりにいます。

ただ友人・・友達ってなんなんだろうなと思います。

ネットでいつでもだれとでも連絡が取りあえる今、日常的にやり取りするような友達はいません。

会話するのは家族、もっぱら妻とだけです。

お義母さんからみると僕と妻の会話は多いらしいです。

というか、僕が外でほとんど雑談をしないからうちで多弁になっているだけなのかもしれません。

そもそも30代半ばにもなればみなそんなものなのかもしれません。

転勤で地方に住んでいることや、このコロナの時代の影響もあるとは思いますけどね。

 

騎士団長殺しの主人公も友人がほとんどないという描写があります。

唯一心を許していた妻には去られ、親しい友達もほとんどいない。

年齢もちょうど36歳でほぼ同じ、結婚して6年というところもほぼ同じ。

フィクションの世界に浸るたびにどこかで主人公との共通項を探しています。

最初読んだときはなんだグレートギャッツビーか…正直あんまりおもしろくないなと思いましたが、

今回読み直してみたときにどんな読後感が得られるか今から楽しみです。

 


悔し涙

2021-08-10 21:12:50 | Weblog

 

古い写真を貼ってみました。

6年前の岡山の花火大会の写真です。

感染云々なんて気にしないで花火を楽しめる日が早く来てほしいなと思います。

子供たちが小さいうちに連れて行ってやりたいけど、どうなるか読めません。

 

 

オリンピックが終わりましたね。

 

一観客としては勝って流す涙より、負けて流す涙により心を打たれることに気が付きました。

勝つことは素晴らしいことだし、膨大な努力を経たうえで得た勝利は賞賛されるべき立派なものです。

一方で、それでも勝てなかった敗者の涙を見て、より感情移入してしまいます。

僕の性格に難があるのは間違いないにしても、そういう人のほうが多いんじゃないでしょうか。

負けた悔しさのほうが想像しやすいというのも多分ありますね。

我々の日常生活においても上手くいかなかった記憶の方がより深く残るものでしょう。

 

僕自身の人生を振り返ってみて成功体験がなかったわけでもないとは思うんですが

オリンピックの勝者が重ねてきた努力に比べれば微々たる努力しか積み上げていません。

負けた時だってその努力量に違いがあるわけでないのに妙にシンパシーを感じるのは、

敗者というだけで勝手に自分に近い存在のように見なしてしまう心理が働いていそうです。

掘り下げるほど自分の卑小さが浮かび上がってきます。笑

 

まあ、勝ち負けはいいんです。

開催前も最中もいろいろ言われてはいたけれど、平和の祭典というのは悪くないものだなと思いました。

 

追記。

円形脱毛症はほぼ治りました。発症してから治るまで5か月ほどかかりました。

針刺し事故もどうやら大丈夫そうです。お騒がせしました。


そのモニター音は何パーセント?

2021-07-02 23:06:18 | Weblog

 

なぜか病院の医局には漫画雑誌がたくさん置いてあるので、当直の合間にパラパラ読んでいます。

最近、面白いなと思うのが「チ。 ―地球の運動について―」という漫画。

地動説について探求する研究者たちと異端審問官の話です。

中世のヨーロッパが舞台ながら、そこに描かれる構図は現代の風刺とも読めます。

テレビとかでは割と話題になっているみたいだけど、周りに好きそうな人もいないので本当に人気なのかよく分かりません。

今日読んだ最新話がまあもうひどい話で・・・

倫理にもとる仕事はしてはならないということと、常日頃から子供には優しくしないといけないということをしみじみ思いました。

 

・・・

 

高校の時に、東大に行って政治家になると息巻いていたやつに

「医学部に行っても最終的に田舎で老人相手にほそぼそと働くだけだろ?そんなんでいいの?」と言われ

「それで十分だと思っている」と答えたことを今でもはっきり覚えています。

その気持ちは今でも変わらず、実際そういう生活をしています。

良くも悪くも現代っ子だったので、出世欲はありません。

手術の上手さで出世してやるとか、高難易度手術をばんばんこなしてやるというような野望もありません。

技術的には正直まだまだなんですが、それなりの手術を家の近くの病院で受けたいという需要にはマッチしているかなとは思っています。


昔から自分の中身は何も変わっていないように自分では思っているんですが、これは普通なんでしょうか?

単純な加齢や何かのイベントを契機に自分は変わったなと皆思いながら生きているんでしょうか?

自分の中のどうしようもない腐りきっているところは全く改善のないままですが、いいところも多分変わっていません。


ちなみに、老人相手に医者なんかといっていたそいつは東大を中退して医者になったのち、

働きなれた地元を飛び出し、都会の有名病院に飛び込んで日々研鑽を積んでいます。

そういうところは偉いと思います。ストレスは当然大きいし、給料的にも実は都会の病院ほど少ないですしね。

そいつと自分の生き方を比較してみても、変わるのは表面的なところだけで芯になる部分はそんなに変わらないんだろうなと思うわけです。


今後どうやって生きていくのかある程度自由の利く職種だけに、意志薄弱な自分は将来像がうまく描けません。

「志願者はあまりいないようですが、やってくれる人はいませんか?」

みんなが敬遠しがちなことを頑張ってやってみようというのは、僕が今外科に籍を置いている大きな理由です。

何かに秀でた能力があるわけではないから、マンパワーとして医療全体に貢献することが自分の存在意義かと割と本気で考えています。

だから、「やらなくていいよ。やりたいの?」と聞かれたら、なんと答えていいか分からなくなります。

まあ、少なくとも今いる環境は明らかに外科医不足なので、とてもやらなくていいなんてことにはならないんですが。


・・・


最近もっぱら気になることは日本光電の手術時のモニターの経皮的動脈酸素飽和度 100%のときの音はソ(G)でいいのかということです。

1%ごとに全音変わるのならわかりやすいけど、100に近づくと全音、離れると半音程度変わっているような気がします。

数字毎の音を記憶していればモニター見なくても数値が分かるじゃん・・と少し前から覚えようとしているのですが、なかなかできません。

趣味を仕事に活用するのって難しいですね。笑


山道のサイクリング

2021-05-18 21:34:11 | Weblog

 

休日に一人で山道をサイクリングしてきました。

誰とも接触しなければ感染拡大につながることは皆無のはずです。

傾斜とカーブの多い坂道だったので、頑張って(押して)上った割に、帰り道はあまり快適でありませんでした。

肉体を酷使するストレス解消は今後も続けていきたいけれど、なかなか機会がないんですよね。