死は生の対極としてではなく、その一部として存在している
最近村上春樹のエッセイを時々読んでいます。また村上春樹かって言われそうですが、仕方ないんです。年を取ると新しいものに手を出せなくなっていくんです。
「村上春樹堂」は1982から1984にかけて連載されたエッセイ集です。その後、この名前を冠したエッセイ集はいくつか出版されましたが、今読んでいるのは『村上朝日堂』 (1984年7月) 、『村上朝日堂の逆襲』(1986年6月)、『村上朝日堂はいほー!』(1989年5月)あたり。過去に読んだことはあるので読み返しているという方が正確ですね。
改めて読んでみて何が一番インプレッシブだったかというと、これを書いているときの村上春樹が今の僕と同じ34歳だということ。
34というと若者というにはそろそろ苦しくなりつつも、中年というにはまだ早いかなと思うんですよね。30年前の社会状況は今とは違うはずだけど、34歳が社会に感じることとというのは時代が変わってもあまり変わらないみたいです。もちろん、共感できない部分も多々ありますけどね。
もっと年を取ってしまうと、このエッセイを読む気がわかなくなるんじゃないかと心配しています。普遍的なものならば読者の年齢は問わないかもしれないけれど、エッセイというスタイルには賞味期限があるように感じています。なんだか寂しいですが。
村上春樹の小説は嫌いだけどエッセイは好きという読者も少なくないと聞きます。正直、僕も今小説を読み返そうとは思わないけれど、エッセイぐらいならさっと読めてそれなりに満足感が得られます。
本を読むのにも年齢制限を感じてしまうとは…年はとりたくないものですね。
スピッツ「花と虫」 弦楽四重奏風アレンジ
スピッツ16番目となる最新アルバム「見っけ」(2019)より「花と虫」を選んでアレンジしました。
弦楽四重奏風にしてみましたが実際に演奏可能かどうかは不明です。笑
弦楽四重奏と言いながら音源は相変わらずピアノ風です。
無料の弦楽器音源はどうしても違和感が払拭できないんですよね。
(このピアノ音源も強弱の表現に結構苦労してます…音がすぐきつくなる)
有料の弦楽器音源を買ってもいいなあと思いつつも、使い込ませないと嫌だなとしり込みしてしまっています。
だって高いんだもん。
個人的にはこのアルバムで一番好きな曲です。
繰り返されるシンプルなメロディと正宗節の歌詞が相まって、何とも言えない魅力を発していると思うんですがいかがでしょう。
色々な昔のことを思い出しながらしみじみと感傷に浸りたくなる一曲です。
「終わりのない青さは 終わりがある青さで」
秋の行楽シーズンも終わりを告げつつあります。
今季、一度だけ近くのキャンプ場でテントをレンタルして一泊しました。
火起こしに苦労し、霧雨に降られ、翌日子供は風邪ひくし、なかなか大変なキャンプでしたが、それでも楽しかったです。
子供も楽しんでくれたと思います。
流行に乗るようでなんだか癪ですが、その後もキャンプしたい欲がじわじわ湧いてきています。
夜、薪をくべて火を大きくしながら、熱いコーヒーを片手にぼんやりと過ごすのが今のちょっとした夢です。
一方で、面倒くさいという気持ちも無視できません。
特に子供を連れて準備するとなるとその気持ちが倍増します。笑
無心になれることを探すっていいですよね。
晴れた日に青空眺めるだけでも悪くありません。でももうちょっと非日常感が欲しいところです。
焚火で検索するとyoutubeで焚火動画がたくさん出てくることに気が付きました。
でも動画を見るのだけで満足するようになっては・・・さすがにダメだと思うんですよね。
今日もホームセンターのキャンプコーナーを時間をかけて歩き、結局何も買わずに帰りました。
スピッツ「春の歌」バイオリン多重録音
この時代、楽器を上達する最短の方法は自分の演奏動画をネットに上げることだという人がいます。
「本番」を意識して演奏することは当然上達につながるでしょう。
くわえて、客観的に自分の演奏を評価でき反省点がはっきりわかるのがよいそうです。
なかなか説得力のある意見ですよね。
というわけで僕もやってみました。
この新型コロナの時代にあっては人と顔を合わせて合奏をするのは難しいですが、
そもそも僕の近辺には楽器仲間もいないので、コロナの影響がないことに気が付きました。
あと、被り物をつけると演奏の難易度が上がることが分かりました(笑)
かぶってなかったらもう幾分まし…ということにしておいてください。
メトロノームに合わせて弾くのは大事とはいえ、物足りない気持ちはあります。
ただポップスはクラシックと違いテンポが一定であることが心地よさに繋がるらしいので、
こういう多重録音とかリモート演奏でのミックスには適しているんでしょう。
でもやっぱり、一緒に演奏したいですよね。
オンラインで音の遅延がない合奏環境を作り出すことはいつの日か可能なんでしょうか。。。
結婚して5年が経ちました。
10進数の世界を生きる僕たちにとっては5というのは節目の年だと感じます。
結婚5年目を木婚式と言うそうです。
木にちなんだ贈り物をすることもあるのだとか。
実用的なものにしようと思って箸を買いました。
食洗器対応のものを選んだのは僕なりのこだわりです。笑
5年の中で子供が2人生まれ、当時は思ってもみなかったつらいことも経験しました。
今は幸せですが、人生いつ何が起こるかわからないということは常に考えています。
自分の健康もかなり危うくなってきました。
残念ながらもう健康診断でA判定になることはなさそうです。
最近、病院のスタッフにもやせたとよく言われるのですが、
あまつさえ久々に会った患者さんにまで言われてしまいました。
人に元気になってもらう仕事をしているのに自分が不養生では説得力がありませんね。
このブログを見ているのがどういう層なのかまた分からなくなりました。
アクセスが多い記事はゲームをやりこんだ紹介記事とか経口抗生剤が嫌いだという記事や経口補水液の作り方とかですが、
トップページのアクセスが一番多いのでブックマークしている人が一番多いのかな。
誰に宛てるわけでもない独り言を今後も続けていこうと思います。

真夜中に警察が自宅にやって来て、インターホンを鳴らされる経験ありますか?
職場で職場恋愛の雑談をしていた時のこと。
「職場内で元カノとすれ違うなんて嫌じゃない?」ともうすぐ結婚予定の女の子は主張していました。
「元カレなんて見たくもない。たとえ円満に別れたとしても」。
業務が近い部署同士で別れるときまずいよね、という話でした。
それはもちろんそうでしょう。
だけど、「顔も見たくない」とまでなるものなのかなと男の僕は思います。
別れて時間もたったので、今なら元カノに会って話をしてみたいです。
確実に相手はそう思っていませんが。
男女によって違う感じ方の傾向って興味深いですよね。
医者という仕事柄、患者さん本人だけでなく家族と話すことが多いです。
そうしているうちに気づいたことがあります。
本人と配偶者のキャラクターってどこか似てるんです。
血のつながりはないわけだから、
似ているとすれば後天的な要因ということになるんだろうけど、
なんか同じ波長を感じることが多いんですよね。
せっかちな雰囲気の人たち、
怒りっぽい人たち、
どこかぼんやりしている人たち、
静かな感じの人たち、
神経質な感じの人たち、
色々ですが、あー夫婦なんだなあと思うことがしばしばあります。
本人たちはそんなことないと否定しそうな気もしますし、
全然違う雰囲気の夫婦ももちろんたくさんいますけどね。
同じ時間を共有して生きていくと少しずつ近づくところがあるんだと思います。
外見に関していえば、娘とは似ているとよく言われる一方、息子と似ていると言われることはほとんどありません。
自分の子供だからということももちろんありますが、
よきにつけあしきにつけ、家族だから似てくるところもあるんだろうなと思います。
自分の悪いところが受け継がれないといいなあと願うばかりです。

エビかつサンドが好きです。