風吹く豆腐屋

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自己犠牲のヒロイズム

2011-01-21 01:51:27 | Weblog
「新ブラックジャックによろしく」を8巻まで読みました。

あの漫画の主人公ははっきり言って大嫌いですが、
各登場人物の心理描写が丁寧で、フィクションとしてとても面白いです。

この構図、前回の話と似ているなとか、
この設定はさすがに無理がないかとつっこみたくなるところはやはりありますが…。

まぁ、いずれにしてもなかなか面白いので、
興味のある方は、ぜひ読んでみてください。



物語の中で「自己犠牲のヒロイズム」という言葉が出てきます。


昔ここに書いたこともありますが、
「自己犠牲」は僕にとってとても重要なキーワードです。

質のほどはさておき、五体満足に生まれてしまった僕は、
この幸運を社会に還元する義務があると常々思っています。
ある意味では自己犠牲という形を取って。

物語の中で、大嫌いな主人公にそういう発言をされてしまいました。
・・なんだか悔しい 笑

アンチ主人公の僕の目には安っぽい正義感と映ってしまいますが、
近しい思いを抱いているところはあります。


漫画に出てくるテーマは「生体腎移植」という分かりやすい自己犠牲です。

僕は、もし自分が脳死になれば、
すべての移植可能な臓器を速やかに取り出してくれてかまわないと思っています。

でも、生きているうちだとだいぶ話が違ってきます。
そうやすやすと承諾できません。

たとえそれが2個ある腎臓だったとしても。


主人公は「他人」のための生体腎移植のドナーとなりたいと言い出します。

物語の中では、他人じゃ無いじゃん、愛だ恋だのがあるじゃんとなるわけですが、
それはまあ読んでもらえばいいとして。

とりあえず確かなのはこの「他人のための自己犠牲」が偉大な行為であるということです。
どんなにドナーがレシピエントに好意をもっていようとも、なかなかできることじゃありません。
どんな状況にあっても、結局のところ人を動かすのはエゴでしかありえません。



僕は実習中、現実に母から子へ生体腎移植がなされようとする現場も見ました。

あらためてその行為の崇高さに気付きました。
その後どうなったのか知らないけれど、うまくいっているといいな。。
 

新のヒーローならば、公共性・平等性を欠いてはいけません。

だから、誰か特定の相手のための自己犠牲はヒロイズムにものづく行為とはいえません。
だけど、それは決してヒロイズムに比して劣っているものではないんだろうなと思いました。