こんなこと考える人、あんまりいないだろうなあと思いつつ。
ヤンジャンで連載されている漫画「推しの子」にはまっています。
そもそもアイドルに興味がない僕がアイドル漫画に興味を持つこともありませんでした。
ただ、今年YOASOBIの「アイドル」が相当流行りましたよね。
カラオケ(で楽器弾くとき)の持ちネタになるかなと思って聞いてみました。
最初はピンときませんでした。
こんなもんかと思っていたら・・結局この曲の中毒性にあてられて、気づいたらループ再生していました。
今では子供らまで毎日のように口ずさむようになってしまいました・・笑。
YOASOBIは原作を踏まえた歌詞を書くということで、これをきっかけに漫画のほうに興味を持ちました。
短期間で最初から最新話まで一気に読んでしまいました。笑
アイドルの話ではあるけど、ミステリーというかファンタジーというか、ちょっと特殊なジャンルで面白いです。
この漫画で描かれる「アイドル」は、周囲に求められる像を徹底して演じ、本心は近しい人間すら読めないという特徴があります。
そういう傾向はおそらく現実世界でもそうなんだろうと想像されます。
でもそれって、アイドルに限った話ではありませんよね。
本音と建て前を使い分けること。
組織における自分の立ち位置、需要を理解した上でそれを供給すること。
それは職業に限らず、集団生活を送るときには常に必要とされる行為です。
それをアイドルという分かりやすい構造で提示しているところが、人気の一因ではないかと思いました。
そして、チャイコフスキーのバイオリン協奏曲。
長調の曲だけど、昔から悲しい曲だなと思うんです。
娘に、1楽章にどんな印象受ける?って聞いたら楽しそうと答えました。
まあ、それが普通ですよね。
でも、ひねくれている僕はそうは思いません。
一言でいえば、強がりの音楽に思えるんです。
僕はこんなに楽しいんだ、幸せなんだと朗々と歌いながら、次々と浮上してくるそうでない面を必死に押し殺し表面を繕う。
自分は幸福だと自己暗示をかけるように同じテーマを繰り返し主張する。不安や恐怖から目を背けるように。
なんか「アイドル」と似てるなとふと思ったんです。
陰鬱な本音を包み隠して美しい外見を取り繕う感じ。
文字に起こしてしまうとひどく陳腐な話ですが、普遍的なモチーフだろうと思います。