魚勝さん。
確証はないが、漢字で書くとこうだと思う。
「うおかつさん」とは、自分が幼かったころ、実家周辺に来ていた行商のおじさんのことである。
いや、それがおじさんのことだったのか、お店の正式名称だったんのかは定かではない。
とにかく、「うおかつさん」とは軽トラに乗って魚を売りに来るおじさんのことであり、
当時の私にとってはそれで十分だった。
何せ幼いころの記憶だから曖昧な点も多いが、朴訥な人だった気がする。
色黒で眉が濃く、いかにもと言った感じのエプロンをしていた。
その風貌から当時は漁師だと思っていたが、そんなはずはない。
かわいがってもらった覚えはない(そもそも話した記憶も無い)が、
私は「うおかつさん」が来るのを楽しみにしていた。
魚を眺めるのが好きで好きで仕方が無かったから。
軽トラの荷台には氷が敷き詰められ、その上に様々な魚が並んでいた。
その光景は今でも鮮明に目に焼きついている、と言いたいところだが、
実のところ、細かいことは全く覚えていない。
唯一はっきり覚えているのは、当時の自分の気持ちだけだ。
「さかなー。さかなー。」という覇気も商売っ気も感じられない声が聞こえると
居てもたっても居られず、道に飛び出していったものだった。
「うおかつさん」が来るのは11時ごろと決まっていた。
主婦たちが昼ご飯の準備を始めようかと言う時間に来るのである。
実際、我が家でも買ったばかりの魚が昼ごはんになったことも少なくなかった。
今でも「うおかつさん」のことを考えると、南中した太陽の日差しを一緒に思い出す。
おそらく商売上手な人ではなかったと思う。
魚を売りにくるタイミングは悪くないはずなのに、
うちのほかに魚を買っていた人を見た記憶はほとんど無い。
口下手なのも災いしたのかもしれない。
自分が小学校に上がるのに伴い、「うおかつさん」に会うこともなくなった。
そのため、いつごろまで魚を売りに来ていたのか分からない。
母に聞けば分かるかもしれないが、聞かずとも答えは想像に難くない。
なぜなら、「うおかつさん」はもう既に高齢であったし、
近くに新しくスーパーなどもできた。
「うおかつさん」は時代の流れに乗り切れなかった存在だったのだ。
幼少期の記憶と言うのは不思議なものだ。
今でも「うおかつさん」のことを思うと少しわくわくする。
そして今もどこかで「さかなー。さかなー。」と言いながら
軽トラを走らせているような気がしてならないのだ。
確証はないが、漢字で書くとこうだと思う。
「うおかつさん」とは、自分が幼かったころ、実家周辺に来ていた行商のおじさんのことである。
いや、それがおじさんのことだったのか、お店の正式名称だったんのかは定かではない。
とにかく、「うおかつさん」とは軽トラに乗って魚を売りに来るおじさんのことであり、
当時の私にとってはそれで十分だった。
何せ幼いころの記憶だから曖昧な点も多いが、朴訥な人だった気がする。
色黒で眉が濃く、いかにもと言った感じのエプロンをしていた。
その風貌から当時は漁師だと思っていたが、そんなはずはない。
かわいがってもらった覚えはない(そもそも話した記憶も無い)が、
私は「うおかつさん」が来るのを楽しみにしていた。
魚を眺めるのが好きで好きで仕方が無かったから。
軽トラの荷台には氷が敷き詰められ、その上に様々な魚が並んでいた。
その光景は今でも鮮明に目に焼きついている、と言いたいところだが、
実のところ、細かいことは全く覚えていない。
唯一はっきり覚えているのは、当時の自分の気持ちだけだ。
「さかなー。さかなー。」という覇気も商売っ気も感じられない声が聞こえると
居てもたっても居られず、道に飛び出していったものだった。
「うおかつさん」が来るのは11時ごろと決まっていた。
主婦たちが昼ご飯の準備を始めようかと言う時間に来るのである。
実際、我が家でも買ったばかりの魚が昼ごはんになったことも少なくなかった。
今でも「うおかつさん」のことを考えると、南中した太陽の日差しを一緒に思い出す。
おそらく商売上手な人ではなかったと思う。
魚を売りにくるタイミングは悪くないはずなのに、
うちのほかに魚を買っていた人を見た記憶はほとんど無い。
口下手なのも災いしたのかもしれない。
自分が小学校に上がるのに伴い、「うおかつさん」に会うこともなくなった。
そのため、いつごろまで魚を売りに来ていたのか分からない。
母に聞けば分かるかもしれないが、聞かずとも答えは想像に難くない。
なぜなら、「うおかつさん」はもう既に高齢であったし、
近くに新しくスーパーなどもできた。
「うおかつさん」は時代の流れに乗り切れなかった存在だったのだ。
幼少期の記憶と言うのは不思議なものだ。
今でも「うおかつさん」のことを思うと少しわくわくする。
そして今もどこかで「さかなー。さかなー。」と言いながら
軽トラを走らせているような気がしてならないのだ。