Too Lateになる前に

2015-01-12 16:31:49 | 学習塾・勉強の仕方

子供たちに勉強を教える仕事をしていて、時に残念に思うことのひとつに、それをめぐる認識の違いが塾側と保護者の型との間にあって、それらがいつまでたっても埋まらないことがあります。

認識イコール考え方ですから、それ自体hあどちらがよくてどちらが悪いという性格のものではありません。

ですから塾側の考えを押し付けるというのではなく、ここではあくまで「残念」と書きます。

「残念」なのは、何で出来なくなる前に手を打ってこなかったのかという「過去に関するもの」と、何でい今やろうとしないのか、という「現在及び近未来」のものとがあります。

過去のことは言っても仕方ありません。

過去の経験(ここでははっきりと「失敗」と言ってもよいと思います)から何かを学んで将来に活かすことが出来れば、失敗は失敗では終わりません。

でも、それをしないのなら、過去の失敗は失敗として固定されるばかりではなく、将来また同じ失敗を繰り返すという愚かな道を歩むことでもありますよね。

では、こうした態度はどういう言動になって表れるのでしょうか。

塾の面談(おそらく学校の面談でも同じかと思います)で、「(勉強が)分からなくなったらまたやらせます」などと平気な顔で言ってのけるなどは、これの典型ではないでしょうか。

例えば今数学と英語を受講していて、どうしても理科や国語が遅れがちなケースで、保護者の方が「国語や理科がもっとわからなくなったらやらせます」などと言うこと。

あるいは、部活などが忙しいとか、子ども自身にやる気が無いからといって少しの間休会したいとかいう申し出の際「もっとわからなくなったらまたやらせます」などと言うこと。

それはそれで、そういう考え方もあるのかなとは思いますが、プロから言わせてもらえば、順番が違いますよ、というのが正直なところです。

これは、時間的にも費用的にも無理な話であって、「もっと出来なくなってから」やり始めたのでは、その時点で進行している単元の他に過去の単元までさかのぼって勉強しなおさなければならなくなり、時間と費用は単純に考えても倍になります(実際には倍どころの話で名ありません)。

そもそも「ガンが進行してから病院にいくかどうか考えます」と言っているのに等しいこのような考え方がベストなものとどうしていえるのでしょうか?

昔から言いますよね 「備えあれば憂いなし」。

備えもせず、後になって憂いを帯び始めてから備えようといっても、そんなもの、備えでもなんでもないんですね、という話です。

 


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コメント
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