アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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面談闘争勝利、好条件配転勝ち取る!

2011年02月21日 23時54分10秒 | 職場人権レポートVol.1
 とりあえず報告です。今までとは別のスーパーの子会社に異動となりました。今日がその出勤初日でした。身分は今までと同じ業務請負会社の契約社員のままなので、形式的には単なる異動にしか過ぎません。しかし、勤め先が私の様なアウトソーシングの請負会社の場合は、賃金や労働条件も異動先企業によって左右されます。異動先がブラック企業なら請負会社の待遇もブラックで、そうでなければ請負会社の方もまだ比較的マシという訳です。

 今までの会社が正にその「ブラック」でした。時給は下げられ、逆に仕事は増やされる中で、今度は契約時間の短縮を言ってきました。それが「S勤」という名の時間カットです。それも、本当に仕事が減っての時間カットではなく、仕事は減らないのに赤字減らしの為だけに、契約時間を削って少ない人数で仕事を回さなくてはならなくなりました。
 「その様な契約変更は納得がいかない」という事で、契約更改面談で逆にこちらから再面談を申し入れ、配転希望を出しました。「会社都合による人減らし・時間減らしでこうなったのだから、会社の責任で配転先を斡旋しろ」と要求・・・ここまでが、前回記事「面談闘争 S勤大パニック」の話でした。

 その再面談時点ではまだ、会社側からは色好い返事がありませんでした。「斡旋するにはするが、何処も似たり寄ったりだよ」という返事だったので、諦めていた所に、先週末に「好い所がある」として紹介されたのが、今日から出勤の職場です。この20日が給与の〆という事で、週明け21日から早速異動という、急転直下の展開になりました。
 異動によって、時給は880円から900円へと、賃下げ以前の水準に戻りました。
 勤務時間も、9時15分始業の18時15分終業と、今までの様な極端な早朝勤務ではなくなりました。これによって、翌日勤務の事を気にする事無く、前日に普通にテレビを見たり、労働組合の会議に出たりする事も可能になりました。
 昼の食事も、職場には食堂があるので、今までの様に弁当を用意する必要もなくなりました(仕出し弁当の注文も出来たが、まずい弁当で不評だらけだった)。我々ブルーカラー労働者の職場は大抵、埋立地などの辺鄙な所にあるので、通勤の交通手段とメシの確保も、賃金・労働時間などと同じ位に、重要な意味を持ちます。
 その代わりに、交通機関がJRから地下鉄に変わった事で、定期代が跳ね上がってしまい、規定支給の交通費だけでは賄いきれなくなりました。
 
 確かに、純粋に収支勘定だけでみれば、今回の異動で、そんなに得した訳ではありません。交通費まで含めれば、少し損になったかもしれません。しかし、精神的には遥かに得した気分です。何故ならば、今までの様な「切り詰められる一方」の、「上がり目の無い」職場ではなく、時給も元の水準に戻り、時間カットも、PC積み替え問題に抗議して順法闘争(残業拒否)する必要も無くなり、「頑張れば頑張っただけの見返りが期待できる」ようになったからです。
 それは初日の会社側の対応にも現れています。配転を取り計らってくれた次長が、異動初日の面通しにまで付き添ってくれたし、異動先でも、安全教育や危険箇所の告知は勿論の事、タイムカードの打刻の仕方から食堂・トイレの場所まで含めて、新任地の所長が直々に、懇切丁寧に教えてくれましたから。

 本来はそれ位「懇切丁寧」なので当たり前なのでしょうが、昨今、人をまるで使い捨てのボロ雑巾の様に扱う会社が余りにも増えてしまったので、その本来「人としてごく当たり前の事」が、恰も「何かとてつもない凄い事」のように思えてしまうのです。
 それでも、同じ流通現場でもやり方はガラリと違うわ、覚えなければならない事は山ほどあるわ、商品の流れてくるスピードもそれなりに速いわで、実は結構面食らっているのですが。
 そんな丁寧さと比較すると、先週までいた私の職場なんて、まさに最悪でしたね。「次にどの商品を仕分けすれば良いですか?」との初出勤の派遣の新人さんからの質問に対して、「団塊」改め「バカウヨ・パワハラ・パニックおやぢ」なぞ、いきなり「リョーショクや!」の一言だけで済ましてましたからね。「菱食」が納品業者の名前で、「リョーショク」と読むなんて、その界隈の人間以外は殆ど誰も知らないにも関わらず。私も何度切れかけた事か。

 その今回の私の人事異動ですが、確かに「労働組合の影響を排除せん」とする会社の思惑もあるでしょう。私の配転希望が「渡りに船」となった可能性は否めません。今回の異動についても、今まで勤めていた部署が閉鎖になった訳ではなく、あくまでも次長の判断(例外措置)によるものです。そこで「上司から突っ込まれた時に言い訳する材料が欲しい」という次長からの要望で、「今回の異動はあくまでも私からの申し出によるものです」という誓約書を書く事になりました。これは恐らく「不当配転だ」と後に話がこじれた時の布石でもあるのでしょうが、たとえそうであっても、私から異動希望を出したのは事実なので、何のためらいも無く書きましたが。
 しかし同時に、これはいささか手前味噌ですが、私がこの間、「パニックおやぢ」の件で会社に申し入れた事や、この間の面談闘争に至る経緯が、逆に評価された面もあると思います。こういう積極性や客観性・分析性は、仕事をする上でも絶対に必要です。事実、前任地の所長も、「××さんのように、きちんと筋道立てて指摘してくれる人が他にいない」と、私の前でしきりにぼやいていましたから。

 ひょっとしたら、前任地のバイトの中には、今回の異動を「抜け駆け」「裏切り」と取る向きもいるかも知れません。でも、我が身が一番可愛いのは誰しもです。私はその中でも、労組に加入して会社と団交したり、新聞を発行するなどして、出来る限りの事はやって来たつもりです。後は、それをどう生かすかは残ったメンバー次第です。権利の上に胡坐を掻き、無知や臆病を口実にして愚痴るしか能の無い人間に、私を批判する資格なぞ無いと考えます。
 今回の件でも、「パニックおやぢ」のように保身の為に会社に媚びへつらったり、会社に睨まれるのが嫌さにそれに渋々従う生き方だけでなく、「納得行かない事、不当と思われる事には堂々と異を唱える」生き方もあり、寧ろそれでこそ道が開ける場合もあるのだと言う事を、バイトの前に示す事が出来たのが、私にとって何よりもの収穫でした。しかし、それを当の前任地のバイトがどこまで理解しているか。「文句言えば飛ばされる」との捉え方から抜け出せない限り、そのバイトはずっと奴隷のままです。

・・・という事で、職場新聞やブログの「職場人権レポート」シリーズも、とりあえずはこれで一旦お開きとします。また問題が起これば再開します(余り無いようにして欲しいです)が・・・。
 地域労組の方も、勤務地が変わる以上は、本来ならそのまま異動(移籍)するのが筋ですが、異動先の組合も不活発ならば、一層の事、今まで通り「城北友愛会」に所属して、争議の時のみ近隣組合に支援要請する方がベターなのかも。

   
 これが新しい異動先の、作業場風景の一部と食堂メニュー。設備は古いがメシは豊富(定食以外にもカレー・うどんなどの単品や、社内販売のおにぎりなどもある)。次長も「ここのメシはうまい」と言っていたw。

※「職場人権レポート」シリーズをひとまず終わるに当たり一区切りつける意味で、今回の記事も職場新聞に一応編集しました。但し、記事執筆時点では私は既に異動を完了しているので、この職場新聞最終号(ワーキングプア解放新聞№11)は、それまでの職場読者にとっては、紙ベースでは配布されない「幻の紙面」となってしまいました(泣)。
コメント (2)
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