アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
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世界に広がるジャスミン革命

2011年02月27日 23時28分11秒 | 二大政党制よりも多党制
Sights and Sounds, State Capitol Rally, February 15, 2011


●中国ジャスミン革命、27日は23都市に拡大、当局「厳罰処分」対決姿勢強める(産経新聞)

 中国で一党独裁の終結を求める27日の「中国ジャスミン革命」集会の呼びかけが、これまでの18都市から23都市に増えたことが25日、明らかになった。20日に呼びかけられた1回目の集会は13都市だった。毎週日曜日に行うと予告された集会の呼びかけが、さらに広がる可能性がある。
 インターネットでの呼びかけによると、中国で2回目となる27日の集会は当初は18都市だったが、25日には新たに大連や青島、南昌など7都市が追加される一方、済南とチベット自治区ラサの2都市がはずされて23都市になった。集合時間は午後2時(日本時間同3時)に指定されている。
 2回目の集会では、上海などで集会場所を微妙に変えるなど、民主化を求めるグループが当局の動きをみながら調整している様子もうかがわれる。だが、集会が呼びかけられた場所では警察当局による厳重な警備が予想されるほか、ネット上で、「ジャスミン革命の集会参加者は国家政権転覆罪で厳罰に処す」などとして対決姿勢を強めている。
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/110225/chn11022517310002-n1.htm

●北朝鮮に中東デモのビラ、当局は火消しに総力(朝鮮日報)

 北朝鮮で、中東の反政府デモ関連のニュースが市場や各大学を中心に広がっていることを受け、北朝鮮当局は電話回線を遮断するなどの非常手段でこれを食い止めるための対応に乗り出したことが25日、分かった。米国の自由アジア放送(RFA)が同日報じたところによると、北朝鮮当局は情報の遮断と言論統制に総力を挙げているが、大学や市場を中心にうわさは徐々に広まっているという。
 RFAによると、両江道恵山市に住む大学生は「アフリカや中東で連鎖的な住民暴動が発生し、政権が転覆しているというニュースが広がっている」と話した。各大学に配置される保安員(警察官)の数も、従来の1人から4人に増員されたとのことだ。
 北朝鮮向けラジオ「自由北韓放送」は同日、咸鏡北道の消息筋の話を引用し「最近、人が集まる場所では必ず保安員が見張りをしている。国境地域では(情報の流入を防ぐため)家の電話回線が遮断されたほか、テレビを視聴できないようにするため、わずかに供給されていた電気までストップしている」と報じた。
 だが、こうした北朝鮮当局の統制にもかかわらず、エジプトやリビアの民主化デモのニュースは住民の間に広まっている。北朝鮮向けラジオ「開かれた北韓放送」は同日、両江道恵山市の消息筋の話を引用し「24日朝、恵山市ヨンプン洞一帯に、エジプトの民主化デモのニュースを伝えるビラが大量に散布された」と報じた。同ラジオによると、北朝鮮当局は、国家安全保衛部(韓国の国家情報院に相当)や保安部(警察)などの要員を総動員して事態の収拾に乗り出し、拾ったビラをすべて焼却するよう住民に指示したという。
 韓国軍と北朝鮮関連団体も、中東の民主化デモの内容を伝えるビラを北朝鮮に向けて散布する予定だ。韓国軍は近く「世襲政権、独裁政権、長期執権は滅びる」との内容を記したビラを大量に飛ばす方針だ。2003年から北朝鮮に向けてビラを散布する活動を行っている団体のイ・ミンボク代表(キリスト教脱北者連合会)は「今年は中東の民主化デモなどの内容を伝えるビラを数千万枚飛ばす計画」と語った。民間団体はビラを散布する際、1ドル紙幣のほかに、アスピリンや消化剤などの薬品類、ボールペン、ライター、ストッキングなどの物品を同梱することが多い。イ団長は「ラーメンなど食料品を付けると、保衛部が故意に毒薬を入れる可能性もあるため、注意している」と語った。
 http://www.chosunonline.com/news/20110226000021

●米ウィスコンシン州の反乱:反組合法案に数万人がデモ・州議会議事堂を占拠(労働相談・労働組合日記、上記YouTube動画参照)

ウィスコンシン州の公務員労働者・市民・学生約3万人が2月15日~17日、ウィスコンシン州マジソンの州議会前で共和党のスコット・ウォーカー知事に抗議のデモを行いました。知事は現在保障されている公務員の団体交渉権のほとんどすべてを否定し、給与や手当を大幅削減する「反組合法案」を提出しました。この法案はオバマ大統領ですら「組合つぶしだ法案」だと批判しています。
州議会議事堂を「占拠」したのは、ユニオンに組織されている警察官もふくめた公務員労働者とそれを支援する州の労働組合や市民、学生です。彼らの合言葉は「エジプトの次はウィスコンシン!」だそうです。
この「反組合法案」は他州での提案も予想され、アメリカ全体での労働者・市民の決起・反撃の拡大も必至です。
 http://blogs.yahoo.co.jp/cyoosan1218/53457589.html
※組合つぶし先導役のティーパーティなんて、KKKと同類の、日本で言えば勝共・在特レベルの屑ウヨじゃないか。そんな奴らなんかに負けるな!

●日本は非民主主義国だと自信をもって断言できるようになってしまいました。(1)~(4)
(村野瀬玲奈の秘書課広報室)

民からの抗議に一切耳を貸さず、力づくで押さえつけ、排除する。日本の非民主的なところがはしたなくもどんどん明らかになっています。
・沖縄・高江でのヘリパッド建設強行抗議の申入れを米国大使館に行おうとした二名を赤坂警察が不当逮捕(2.20アメリカ大使館前弾圧救援会)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2320.html
・沖縄・高江でのヘリパッド建設強行との闘い(やんばる東村 高江の現状)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2321.html
・中国電力による上関原発建設強行とその手下に成り下がった日本の裁判所(祝島島民の会blog)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2322.html
・公務員から休日のビラ配布の自由まで奪おうとする世田谷国公法弾圧事件、いよいよ舞台は最高裁へ(くろすろーど)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-2323.html

 上記記事のいずれとも、それぞれコメントを付けるべく準備していましたが、なかなかその余裕が出来ずにいました。このままではいつまで経っても記事に出来そうに無いので、事実だけでも告知すべく、まずは転載だけでもする事にしました。言いたい事はただ一つ、
「資本主義であろうと社会主義であろうと、人民を抑圧する政治に対しては、人民も決して黙ってはいない!」
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告知情報:SANAによるスタディー★カフェの取り組み(CMLより)

2011年02月27日 22時24分59秒 | その他の国際問題
[CML 007858] ◆3/4『立ち上がる中東の労働者・市民。エジプト、そしてイラクでは』
こんにちは、メディアスタジオSANA川島です。
3月4日は、中東などの民衆革命の動きについてと占領下で連帯行動を起こした
イラク民衆の闘い、そしてグローバル資本の中東支配崩壊について週刊MDSの豊田記者の解説で学習・意見交流します。ぜひ、ご参加ください。

**************転送歓迎****************

★3月4日(金)19時 スタディー★カフェ
           『立ち上がる中東の労働者・市民。エジプト、そしてイラクでは』
            お話し 豊田護さん(週刊MDS記者)

            30年にわたる軍事独裁政権を倒したエジプトの人々の闘いは圧政と貧困に
           対抗するアラブ諸国の民衆に大きな希望と勇気を与えています。それは
           同時にアメリカ・グローバル資本主義の中東支配崩壊の始まりを意味して
           います。
            中東民衆に連帯して闘うIFC(イラク自由会議)のメンバーもこの間の
           デモを通じて治安部隊に連続して逮捕されています。デモの鎮圧現場を放映した
           SANAテレビも機材を押収されています。中東、イラクの民衆の動きを週
           刊MDS記者の豊田護さんから解説していただきます。

            
★3月11日(金)19時 スタディー★カフェ
            映画『語りかけるイラク帰還兵 IVAW 』(立ち上がるIVAW PART5)
             製作 マブイシネコープ 33分 2011年2月完成

           『冬の兵士・証言集会』以来、内外の関心を集めている反戦イラク帰還兵の
           会。2010年秋、その設立期からの中心活動家が相次いで来日。
           ジェフリー・ミラード、ホゼ・バスクェズ、ギャレツト・レパンヘーガンの
           生死をかけた体験を肉声で届けます。3人の訪日は日本の平和運動との
           距離を一挙に縮めてくれました。
           憲法、自衛隊、沖縄へのかかわりを熱く率直に語ってくれます。
           アメリカ・日本をつなぐ反戦運動を考える機会を必ずや作ってくれる
           でしょう。

★3月18日(金)19時 スタディー★カフェ
           『 イラク戦争検証委員会を設置しよう!
           地方議会から意見書採択へ!』

            2月4日東京都議会委員会では賛成多数で「イラク戦争検証委員会を
           設置するよう国に求める」決議が趣旨採択されました。国会でも検証
           委員会設置を求める議員連盟ができ提案がされようとしています。
           市民の声として、イラク戦争に日本が参加した過ちを認め、2度と戦争に
           参加しないようにと各地で要請を行っている地方議会での意見書
           採択のとりくみを報告、交流します。


★いずれも参加費 500円  学生・障がい者300円(飲み物付き)

  
メディアスタジオSANA
〒540-0004
大阪府大阪市中央区玉造2丁目26-70

地図http://www.geocities.jp/mediastudiosana/map.html

JR環状線「玉造駅」から徒歩10分/
地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」
1番出口から徒歩5分
大阪女学院北裏すぐ ニエモンビル

<連絡先>
TEL 090-8162-3004(川島)
TEL/FAX  06-7493-0230

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リビア革命に見る歴史の発展

2011年02月27日 14時21分05秒 | その他の国際問題
リビアを知るための60章 エリア・スタディーズ
塩尻 和子
明石書店

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 北アフリカ・チュニジアの「ジャスミン革命」を機に、その親米・反米の別を問わず、中東・アラブの独裁政権下にある国々に広がった民主革命の波が、いよいよリビアにまで押し寄せてきました。過日紹介したフィフィさんのブログでは、「反米のリビアでは革命は起きない」と書かれていたにも関わらず。
 私は、このフィフィさんの意見には必ずしも同意出来ませんでしたが、それでも、チュニジアやエジプトとは桁違いの豊富な石油収入があり、王制打倒の革命後はそれを一定国民にも分配してきた<筈の>リビアで、何故、前二国と同種の食糧暴動が広がったのか、ずっと疑問に思っていました。そして、今や自国民を爆撃するまでに堕落したリビアのカダフィ政権が、もはや「社会主義」や「アラブ民族主義」とも無縁の、ただの独裁政権にしか過ぎない事が次第に明らかになりながらも、その一方で、かつての王族によるカダフィ批判に対しても、「国民の困窮を他所に石油収入を独占していた輩が、何を今頃になって民衆の味方面しているのか」と、ずっと違和感を抱き続けていました。
 「@amnkLibya さんによるリビア情報」というツイッターサイトに、その疑問を解くヒントが含まれているように思いますので、こちらでもその「つぶやき」の一部を紹介しておきます。但し、一部といってもそれなりに長文です。また、そのまま転載したのでは読みづらいので、ツイッターの「つぶやき」を繋ぎ合わせて小見出しを付けました。
 もっと詳しく知りたい方は、くだんのツイッターサイトに参加してみたら良いかも知れません。私は、どうもまだツイッターには馴染めないので、紹介だけに留めておきます。確かに、「SOS」発信場面でのツイッターの即効性については分かるものの、140字超ごとに投稿を繰り替えさなければならない様では、余り即時的とも思えないのですが。

(前略)
●ベンガジという都市とリビア東部地域について

ベンガジは、1969年のカダフィによるクーデターの後に首都がトリポリに移されるまで、リビア(当時はリビア王国)の首都でした。当然、当時の王族やリビア東部の大部族、イタリアの植民地政策に抵抗した英雄を輩出したイスラーム教団の政治的・社会的基盤が非常に強かったわけです。だからこそカダフィとその同志達は、1969年の革命が成功した際に首都をリビア西部沿岸のトリポリに移したわけですが、それ以来ベンガジではリビア政府に対する不満がたまっているといわれています。2006年2月に起こったムハンマドの風刺画騒動(http://bit.ly/i9I5cI)に対する抗議デモが、最終的には体制批判に転じたように、首都トリポリの発展を前にして、ベンガジには政治的・社会的不満がたまっていたようです。つまり、ベンガジでの暴動は、単純に独裁的・非民主的な体制に対する抗議と民主化の要求というよりは、発展の集中するトリポリに対する不満、リビア東部を拠点とする部族勢力の政治的台頭の思惑などが、「民主化」の看板を借りて顕在化している状況だと考えた方が適切だと思われます。ただし、ベンガジの人々も、自身の立場を正当化するためのレトリックとして、「カダフィの独裁に対して立ちあがれ」「この国は腐敗している」「正義と民主化を!」といったメッセージをたくさん流しているわけです。

●カダフィ個人に対する国民の評価

オイルマネーのバラ撒きのおかげもあり、ベン・アリやムバーラクのように、国民の貧困を改善しないままカダフィと家族だけが富を私物化しているという批判は、国内ではそれほど聞かれません。とはいえ、革命から間もない70年~80年代には、「ジャマーヒーリーヤ思想」に代表されるラディカルな思想を国民に押し付け、思想統制や焚書を行い、多くの政治犯や亡命者、さらには革命の同志までもを処刑したことも事実です。実際、近年では09年のNYでの国連総会における演説や「テント騒動」、WikiLeaksで暴露されたような言動に代表されるカダフィの「予測不能」な振る舞いに、リビア国民自身が辟易していたのは確かでしょう。ただし、チュニジア同様リビアも国民の5割近くが25歳以下であり、つまりリビア国民のほとんどは、カダフィによる弾圧の嵐が吹き荒れ、国連や欧米による経済制裁によって物資が困窮していた時代を経験していません。例えばJETROは1981年の報告書で、「カダフィは「北アフリカの空隙地帯」「存在しない国」と言われていたこのリビアから、まさしく存在する国家を作り上げ、リビア人に地域主義や部族主義よりも一国の国民としての感情を優位に立たせることに成功した 」と述べています。砂漠で生まれ育ち、幼い頃から遊牧民の伝統とイスラームの教理に従って生活し、成長するにつれ旧王制の腐敗と外国勢力による搾取を糾弾し、ついには若くして革命を実行したカダフィ青年は、当時のリビアの人々が強い共感を得る要素をふんだんに兼ね備えていたといえます。「指導者に特別な思考能力や実行力があるということは別にして、普通指導者の性格構造は、彼の主張を受け入れるひとびとの特殊な性格構造を、より端的にはっきりと表していることが多い。指導者は、その支持者が既に心理的に準備している思想を、よりはっきりと率直に述べているのである」E.フロム 80年代に顕在化した米国との対立も、結果的にカダフィによる支配の正統性を高め、権威の確立に貢献したといえます。野田正彰は、リビア国民の間に「世界最大の国アメリカにこれほどまでに叩かれる国もまた、偉大に違いない」という「取り入れ」の心理機制が働いていたと述べています。カダフィとリビア政府は弾圧によってリビア国民を苦しめてきただけではありません。カダフィが断行した石油産業の国営化と石油価格のつり上げは、国家収入を劇的に増加させました。革命前の5年間の石油収入合計は約6000億円であったのに、革命後の5年間の合計は2兆円となったのです。政府は民衆の側からの自発的な組織と発言を厳しく禁じる代りに、オイルマネーによって家、自動車、病院、工場など国民が必要とするものを整備し、民衆の生活は確実に向上しました。教育制度も整備され、授業料は無料となったために識字率は大きく上昇したといわれます。で、某ハッシュタグを眺めていると、例えば以下のようなTweetが流れて、拡散されているわけです。(注:原文のまま。ツイートした人の名前は伏せます)「リビヤはアフリカ最大の産油国/最高のGDP、PP。にもかかわらず国民の3分の2は貧困層の一日$2以下の生活水準。」しかし以下のグラフを見て頂ければ、それが真実からかけ離れている、ということが分かるかと思います。「リビアの一人当たりの購買力平価ベースのGDP推移(1980~2010年)」http://bit.ly/hqK2cV 参考:世界経済のネタ帳「リビアの一人当たりのGDPの推移」http://bit.ly/dXU4Pf いまや「カダフィ大佐」の名と切り離してリビアを語ることはほぼ不可能であるほどに、カダフィと現代リビアが結びついているのは事実ですが、カダフィ個人をリビア社会の“突然変異分子”や”悪性腫瘍”として、彼自身が抱える文脈から切り離して捉えることはできません。さらに、そのようにして文脈から切り離され「アラブの狂犬」「狂った独裁者」とレッテル付けされた「カダフィ大佐」の動向をリビア人全体の表象として捉えてしまうと、そこからは極めて一面的なリビア像しか描かれ得ないと考えています。

●地域主義と部族主義にもとづいたベンガジでの局地的な反政府運動が、なぜ首都を含めたリビア全域に広がり、政府高官や外交官の辞職・離反などに結び付いたのか?

まず、反政府運動に対する武力を伴う鎮圧がきわめて苛烈なものであり、多数の死傷者が出たことに、国民がアレルギー反応を示したという点。政府の対応には当然ながらカダフィの判断が伴っており、ベンガジでの蜂起そのものとは異なる部分でカダフィ個人への批判が高まったと思われます。繰り返しになりますが、ベンガジに対する鎮圧があそこまで苛烈であったのも、前述の通りトリポリの現政権とベンガジの間に潜在的な対立・対立意識が根強く残っていたためだと思われます。リビア国内、もしくはリビア人からのものだと思われるTweetを眺めていると、「リビア国民のために」「国のために一致団結して…」といった表現がよく出てきます。裏を返せば、これはそのような枕詞によって反体制側の団結心と正当性・正統性を高めようとしている・・・という見方もできます。また、政権が動揺する中で、「もはやカダフィ/個人による独裁の時代ではない」という風潮は確実に高まっているでしょう。この点に関しては、これまで大きな動きこそなかったものの、リビア政府内部でもある程度の共有はなされていたと思われます。
(後略)

 また、チュニジア・エジプトの記事で紹介した「中東の窓」ブログでも、リビア情勢について次のように解説しています。私も、この解説で述べられている内容が、概ね妥当な所ではないかと思います。

●リビア情勢(カッダーフィについて)

(前略)
(カダフィも)要するに当時はアラブ民族主義の旗手の一人として颯爽と登場し、また歴史的にもそれなりの役割もあり、また彼自身もそれなりの理想を有していたと思います。しかし、その後、アラブ民族主義などと言う旗印そのものが歴史的役割を終了し、独裁体制を維持するイデオロギーに堕落して行ったのではないかと、と言うことです。
それはイラクのサッダム・フセインにしろ、シリアのアサド大統領にしても同じことが言えるのではないでしょうか?
石油からの莫大な収入と個人的な政治的マヌーバーの力量で、ナセル、サダト、ムバラクと言う時代を生き抜いてきたが、矢張り彼の政治は時代錯誤になり、単なる独裁抑圧政治に堕して行ったのではないか、と言うのが一つの感想です。
彼の政治が耐用期限が過ぎたと申し上げたのはそう言う意味です。
しかし、あの老醜をさらしているカッダーフィも若い頃は颯爽としていたな、と改めて思いました。
(後略)

 要するに、かつてのスターリン・毛沢東やアラブの指導者と同じく、「ミイラ取りがミイラになってしまった」という事でしょう。革命の波がベンガジなどのリビア東部から始まったのも、その背景には植民地時代からの部族・地域対立がある。王制時代は国王出身地として優遇されていた東部が、カダフィ政権によって冷遇され続けた事への反感が、革命の原動力となったのだ。本来ならそれを是正すべく、社会主義・民族主義を唱えたはずのカダフィも、結局はその壁を乗り越えられずに、かつての国王と同じ縁故政治に陥ってしまった。そういう意味で、「ミイラ取りがミイラになってしまった」のです。
 だからと言って、「昔の旧ソ連や帝政・王制時代の方が良かった」で終わっていたのでは、単なる懐古趣味でしかない。大事なのは、「もっと幸せになれる世の中に作り変えていかなければならないし、それは今回の革命からも明らかなように、充分可能だ」という事です。リビア西部にも広がった革命の波が、カダフィの限界をも乗り越える事が出来るかどうか、非常に気になる所です。
 そして翻って日本ではどうか? 二年前の「政権交代」が、ひょっとしたら50~60年代当時のナセルやカダフィによる最初の革命に準える事が出来るのかも知れません。それが今や「歴史的役割を終了」(実際は直ぐにメッキが剥げただけだったのですが)し、「昔の古い自民党政治への後戻り」ではなく、「もっと幸せになれる世の中に作り変えていかなければならない」という事ではないでしょうか。

(参考資料)

●リビアの地域区分
 リビア国内は、東部のキレナイカCyrenaica(中心都市ベンガジBenqhazi)、西部のトリポリタニアTripolitania(中心都市・首都のトリポリTripoli)、内陸部のフェザーンFezzan(中心都市セブハSabha)の、以上三地域に分かれる。
 

●リビア近現代史略年表(ウィキペディアの記述より)
・1911年イタリアがオスマン・トルコに宣戦布告、リビアを植民地化。サヌーシー教団の反乱などを順次鎮圧。
・第二次大戦下の連合国による占領を経て、1951年に連合王国として独立。当時は西部のトリポリ、東部のベンガジによる二首都制だった。
・1955年の石油発見によるオイルマネー流入を背景に、当時のイドリス国王が中央集権を強化。連邦制を廃して単一国家に。
・1969年にカダフィら自由将校団による王制打倒クーデターで、リビア・アラブ共和国となる。後に直接民主制に基づく独自の人民主権国家(ジャマヒリア)を宣言。
・次第に周辺諸国と関係悪化。チュニジア・チャドに内政干渉。
・80年代には米国とも対立、1986年にレーガンによるトリポリ爆撃を招き、1988年にはパンナム機爆破テロ事件を起こす。
・1992~1999年には国連による経済制裁を受ける。
・2003年イラク戦争の頃から対米和解の方向に進む。米国とはテロ支援国家指定解除を経て2006年には国交正常化。
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