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順法闘争開始

2010年05月14日 23時42分14秒 | 職場人権レポートVol.1
 私が地域労組に加入して以降の、職場の近況ですが、既に書いた給与の一部未払い以外にも、少し動きがありました。いずれも、ささやかな動きではありますが、こんな動きの積み重ねが、やがて職場を変えていく事にも繋がるかも知れないと、密かに自負している所です。

 

 一つは、業務改善に向けての、私のささやかな試みです。
 まずは上の写真を見て下さい。普段私が使っている、A・B両社からの資材箱数検品表の一部を、それぞれ対比したものです。いずれも、私の勤め先の元請企業たる大手スーパーが、この白紙の用紙を取引先のA・B両社に送り、取引先でそれぞれ納品個数を記入させた上で、納品・検品時に送り状として使用させている物です。
 A社に渡した検品表には、8品目とも記入欄があります。それに対して、B社に渡した検品表には、4品目しか記入欄がありません。これでは、それ以上に品目が増えても、欄外に書き足すしかありません。その所為もあって、B社の検品表では、最下段の箱数合計が間違えている事が、今までも往々にしてありました。その度に、私の所では、その誤った箱数合計によるハンディ検品の為に、後で余分な処理を強いられる事が、今まで何度もありました。
 こんなミスは、スーパーが白紙の検品表を取引先に渡す際に、B社の検品表も、全品目記載が可能なA社と同じ書式にすれば、たちどころに解決する問題です。それも、数量は手書きで記入の、パソコンの設定をいじる必要も無い書式を見直すだけの話です。その気さえあれば直ぐにでも改善できる筈です。

 ところが、そんな簡単な話なのに、直属のバイト・チーフはおろか、勤め先のスーパー二次下請け会社の社員も、一次下請け請負会社の社員も、誰一人として改善を図ろうとしないのです。「元請のスーパー様の決めた事だから、我々はその通りやるしかない」の一点張りで。
 もう「アホか」と思いますね。これでは、「金正日の命令には逆らえない」と、農業のやり方一つ変えれない、どこかの国と全く同じじゃないですか。確かに、下請けには決裁権はありませんが、それでも提案ぐらいは出来るでしょうに。それも無茶な事を言っている訳ではない。もっと仕事がやり易い様に、「手書きの書式を1枚見直してくれ」と言っているだけなのに。
 この、余りにも奴隷根性が染み付いた様に、私はとうとう業を煮やして、所長に直談判に及びました。現在、この案件については、所長の返事待ちとなっています。本来ならば、こんな話は、所長をわざわざ引きずり出さなくても、現場の担当者同士で幾らでも話が付く筈の内容なのですが。

 もう一つは、「有休闘争」(仮称)と名づけた試みです。
 来月6月度から、また契約社員(バイト)の勤務シフトが変更されます。今まで月8日の休みだったのが、月9日に増やされます。月8日休みの今でも、月によっては暦の関係で9日になる事がありましたが、今回の変更は、それとは性格が全く違います。月28~29日しかない2月でも、休みが月9日になるのです。従って、2月ともなると、出勤日数は19~20日にしかなりません。閑散期なので残業も殆どないでしょうから、月収は一気に14万円台にまで落ち込みます。時給制のバイトにとっては、正に死活問題です。
 ここまで書けば、もうお分かりでしょう。勤務シフト変更(月8休→9休)の目的が、決して労働者の健康を考えての事では無く、ただ単に総額人件費減らしでしかない事が。そうでなければ、出勤日における過密労働の説明がつきません。
 
 月8休から9休になると、月収は17万円から16万円に、年収も204万円から192万円に下がります。ここまで来ると、家賃払っているバイトは到底食べていけません。親と同居しているバイトでも、どうにか食べていくだけとなり、貯金が出来なくなる。そういう意味では、この月収16万円の線が「生存のボーダーライン」となります。
 ここで権利意識が弱ければ、「副業のバイトを探さなければ」となるのでしょうが、生憎、私はそこまで「奴隷」ではない。折角、有給休暇の権利があるのだから、これを有効に使います。どうせ禄に使えず、2年で時効を迎えてしまう有休なら、せめて時効で消えてしまう分ぐらいは、こちらで好きな様に使わせて貰います。月9日休みのうちのどれか1日を、次のシフトが組まれた時点で、定休から有休に振り替えさせて貰う。
 勿論、こんな有休の使い方は邪道です。でも、腐らせる(時効で消えていくに任せる)ぐらいなら、そのうちの何日かを賃金補填に回す方が、まだよっぽどマシです。

 有休をどう使うかは労働者の自由であって、経営者がどうこう言える問題ではありません。しかも、今回の場合は、定休を有休に振り返るだけなので、他の誰にもしわ寄せが行かないし、経営側が時季変更権で対抗する事も出来ない筈です。
 実は、私の勤め先には、有休の届出すら、ちゃんと所定の書式のものが無いのです。有休を事前申請する時は、メモか口頭で済ませてきました。しかし、それで「申請した/していない」とトラブルになって、欠勤扱いされては堪りませんので、私の方で勝手に書式を作りました。それが下記写真の「自作の有休届」です。私がまず最初にこれを使って見せて、それを他の同僚にも広げていこうと考えています。
 当該「有休届」の末尾に、わざわざ参考資料として、労基法39条に基づく勤続年数別有休付与日数の表を添付したのも、自分の覚書の為というのも勿論ありますが、それだけでなく、申請者自身にも権利の自覚を持たせる事で、職場から奴隷根性の一掃を図る狙いがあるからです。

 

 これが60年代のべ平連・全共闘の時代や、70年代の公害反対運動・共産党躍進の時代なら、ここまで「奴隷根性」がのさばる事はありませんでした。それが、革新自治体が次々潰され、中曽根・土光による国鉄等の分割民営化で総評・社会党が解体を遂げ、「ベルリンの壁」崩壊を機に左翼が衰退するにつれて、代わりに新自由主義がのさばるようになった。それに、折からのIT化・経済グローバル化の進展や、ジャストインタイム・細切れ労働の蔓延によって、社会がますます分断される方向に進んでしまった。そんな中で、次第に人々の間から、「闘争経験」や「闘う術」が失われてしまった。それが、私の職場でも見られる「奴隷根性」「諦め感」の蔓延に繋がっているのではないでしょうか。

 バイトの別称としての「フリーター」という言葉が、世に出て早や30年ぐらいになろうとしていますが、世人を欺くという意味では、これ以上の反語もそうないのでは、という気がします。その意味する所は、資本にとっての「フリー」であって、決して労働者にとっての「フリー」ではありませんでした。
 その「見せかけの自由」「偽装フリー」の象徴が、「たかが手書きの書式1枚の改善も出来ない」、或いは「無理やりバイトを休ませて、人件費・労働時間圧縮の形だけ取り繕い、却って過密労働に陥っている」、今の職場の状況なのです。まずは、ここから変えていこうと思っています。

※以上、5月13日23時51分47秒 投稿、14日23時42分14秒 編集済
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5 コメント

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訂正予定 (プレカリアート)
2010-05-14 06:02:12
この記事の最終段落については、後で改めて書き直すつもりです。
ここで私が言いたかったのは、決して「旗を振り回しても=闘っても無駄だ」と言う事ではありません。そうではなくて、「今の私の職場では、まだそこまで闘いの条件が熟していないから、まずは、その条件作りから始めていこうと思う」と言う事でした。ところが、この段落の書き方では、前者の様に誤解される恐れがありますから。
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頑張れっ!!! (バッジ@ネオ・トロツキスト)
2010-05-14 08:56:59
ただし、最後のパラグラフは頂けませんね。
まだそんな一面化、矮小化から抜け出せないんですか。残念ですよ。

若年層や女性の二人に一人が「非正規」雇用の下で働いているという現在の日本の状況は、たしかに異常に貪欲な資本の欲求を野放しにしている政治の後進性の表れであり、一刻も早く雇用主の側を厳しく規制しなければならない問題ですが、しかし、左翼の立場に立つ政治家や学者は「フリーター」の言葉に秘められているものを看過してもいけない!
まこと板に書いたように、非正規就労拡大の一因には、分業への隷属の別名でしかないかつてのソ連や日本の常勤終身雇用に対する人間の側からの反発や、資本主義経済における産業構造の高度化という普遍性などもあるのですから、「フリーター」も今日のその継承形態も多面的にみなければなりません。
「フリーター」を絶滅してしまおうなどというのは彼らの一部にとってはまったく「有り難迷惑」であり、そんなことを強行したらエンゲルスが警告したように「勝利したプロレタリアートはせっかくつかんだ勝利を台無しにしてしまう」でしょう。
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みせかけの自由ではなく本物の自由を (プレカリアート)
2010-05-14 22:49:38
 バッジさん、

>バイトの別称としての「フリーター」という言葉が、世に出て早や30年ぐらいになろうとしていますが、世人を欺くという意味では、これ以上の反語もそうないのでは、という気がします。その意味する所は、資本にとっての「フリー」であって、決して労働者にとっての「フリー」ではありませんでした。(私の当該記事)

 上記の文章が、何故、下記の評価になるのでしょうかね。

>まだそんな一面化、矮小化から抜け出せないんですか。残念ですよ。
>「フリーター」を絶滅してしまおう(バッジさん)

 そもそも、当の私自身にしてからが、生協正規職員の社畜人生に嫌気が差して、自らフリーターの道を選んだ人間ですよ。その「分業への隷属」「常勤終身雇用」に反発する当人が、自分で自分を「絶滅」に追いやる真似なぞ、する筈が無いじゃないですか。

 当時の選択については、今も後悔していません。あのまま正職員でいたら、今頃は生協に過労死させられていたかも知れないのですから。そこまで行かなくとも、今のようにブログを書いたり、自主的に集会やデモに出掛けたりなぞ、到底出来なかったでしょう。

 少なくとも、バイト(フリーター)の方が、正職員・正社員よりも、会社からは自由であるのは確かです。前者が、成果主義に絡め取られて、会社人間から脱却出来ないのに対して、少なくとも後者については、「仕事は飯の種」と割り切る事が出来る。そして、仕事以外の、もっと有意義な事に、エネルギーを費やす事が出来る。

 でも、それでも限界はあります。それは、所詮「フリーター」であっても、正社員よりはマシというだけであって、「資本の下僕」である事には何ら変わらないからです。
 今までは、不安定雇用(日本ではこれに低時給が加わる)と引き換えに、相対的な自由を獲得できていた「フリーター」も、徐々に正社員並みの働きを要求されるようになってきました。即戦力としてベテラン並のスキルと、一定の作業管理・労務管理能力が、求められるようになってきました。待遇は、依然として前のままに据え置かれたままであるにも関わらず。

 ところが、実態がそうであるにも関わらず、それを「フリーター」という言葉で、体よく誤魔化してきた。実際は、「不安定」と引き換えの「多少マシ」な自由しかなく、その「自由」も次第に切り縮められてきているにも関わらず、恰も「全く自由」であるかの様に偽装して。
 こんなのは、「偽装フリー」「まやかしの自由」であって、本当の自由ではない。だから、私は、この「フリーター」という言葉も、余り肯定的に評価する気にはなれないのですよ。

 しかも、その「相対的な自由」も、あくまでも「不安定雇用」の代償でしかない。しかし、そもそも、「自由」にしても「安定」にしても、そんな「何かの見返り」として与えられるものでしょうか。
 違うでしょう。「自由権」も「生存権(社会権)」も、どちらも基本的人権として保障されるべきものでしょう。
 だから、「自由か、安定か」ではなく、「自由も、安定も」求めるのが、本来在るべき姿ではないですか。それは、「フリーター」というよりも、寧ろ「自由労働者」と表現されるべきものではないでしょうか。
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有休消化の必要は無くなった。 (プレカリアート)
2010-05-23 08:45:47
>折角、有給休暇の権利があるのだから、これを有効に使います。どうせ禄に使えず、2年で時効を迎えてしまう有休なら、せめて時効で消えてしまう分ぐらいは、こちらで好きな様に使わせて貰います。月9日休みのうちのどれか1日を、次のシフトが組まれた時点で、定休から有休に振り替えさせて貰う。(当該記事)

 この件に関しては、その必要は無くなりました。というのも、今月度から月8日→9日休み(最低でも完全週休2日)のシフトに変わりましたが、「各人の休日増→1日当たりの出勤人数減」となって、作業終了が遅くなる分については、残業の割り振りで対応する事になったからです。
 交代で毎日2人ずつが2時間残業して、残務を片付ける事になりました。今後は、毎月4回、そういう当番制の居残り残業日が回って来る事になります。

 何のことは無い。従業員個人にとっては、毎月1日休日増が、2時間×4回の計8時間残業に置き換わっただけです。時給制のバイトにとっては、休日増に伴う賃金目減りの懸念も払拭されたので、わざわざ定休を有休に振り返る必要も無くなった訳ですが。
 しかし、そもそも会社が休日増を言い出してきたのは、出勤人数カットによる人件費削減を狙っての事だったのでは。それがこれでは、却って残業代の出費が増えるだけでは。

 確かに、それでも分母(毎日の出勤人数)は確実に減少するので、見かけの作業効率は上がります。しかし、そんなものは紙上の計算にしか過ぎない。その事で、逆に人員に余裕が無くなり、物量増やイレギュラーな事態に対応出来なくなる方が、会社にとってもマイナスだと思うのですが。どうも、最近会社のやる事は良く分からない。

 若いバイトの子なぞは、残業代が少しでも稼げるようになったので、今回の措置は概ね好意的に受け止めています。でも、私としては、無理に休日を増やされるよりも、休みは今まで通りの日数で良いから、ある程度余裕を持って仕事が出来、確実に定時で帰れる方が、有難いのですが。
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逆オランダ・モデル (プレカリアート)
2010-05-25 22:43:49
>何のことは無い。従業員個人にとっては、毎月1日休日増が、2時間×4回の計8時間残業に置き換わっただけです。
>しかし、そもそも会社が休日増を言い出してきたのは、出勤人数カットによる人件費削減を狙っての事だったのでは。それがこれでは、却って残業代の出費が増えるだけでは。

 前コメントの上記評価については、ここで下記の様に訂正しておきます。「個人にとっては同じでも、会社にとっては残業代を払っても充分ペイ出来るだけの利益がある」と。
 何故なら、個人では休日1日増でしか無くても、在籍26名の昼勤シフト全体では、毎日確実に1~2名減で仕事が回せるからです。時間当たりの削減数で比較すれば、居残りメンバーに1日2時間分の残業代を支払っても、充分お釣りが来ます。

 しかし、このやり方は、ワークシェアリング(仕事の分かち合い)で雇用確保を図ろうとする「オランダ・モデル」と、全く正反対の行為ではないか。例えて言うならば、食べる為に(1)より稼ぐ、(2)労働者の取り分を増やす、(3)1日3食を2食にして量はなんとか確保する、の3つの選択肢があるとすると、(1)は幾ら稼いでも元請にピンハネされるからダメ、(2)は「奴隷」の分際で畏れ多いからダメ、で泣く泣く(3)の「禁じ手」を選ぶようなものだ。

 普通は、(3)の様な「蛸が自分の足を食う」が如き選択なぞはしないものだ。若し、仮に選ばざるを得ない状況に立ち至ったとしても、それはよっぽどの場合に、あくまで緊急避難として選択すべきものだろう。それを、昨今は、恰もそれが当然であるかの様に看做される。「頭おかしいんじゃないの?」と、愚痴の1つも言いたくなる。
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