304 名前:名無し物書き@推敲中?[sage] 投稿日:2010/05/13(木) 10:42:21
【世界の常識 vs 日本の常識】
世界の常識:過労死するくらいなら抗議したほうがいい
日本人:抗議するくらいなら黙って自殺したほうがいい
世界の常識:悪政に苦しむくらいなら革命するほうがいい
日本人:革命するくらいなら悪政に苦しむほうがいい
世界の常識:我々を搾取する奴がいるなんて許せない!
日本人:我々の中に搾取されてない奴がいるなんて許せない!
世界の常識:汚職を批判しないのは真の社会人ではない
日本人:汚職を批判するのは真の社会人ではない
世界の常識:責任ある行動をとるのが大人というものだ
日本人:責任を逃れる行動をとるのが大人というものだ
世界の常識:普段は競争していても、危機が迫れば手を組む
日本人:普段は群れていても、危機が迫れば足を引っぱり合う
世界の常識:物事がうまくいかないなら、うまくいくよう改善しよう
日本人:物事はどうせうまくいかないし、もう少し悪くなってもいいや
http://ayacnews2nd.com/archives/51638655.html
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上記文章の元々の出典は不詳です。恐らく2chかどっかでしょう。既にあちこちのブログで紹介されていて、私もそれで偶々知る事になりました。そんな怪文書ながら、内容が余りにも面白くまた悲しくて、思わずこちらでも紹介する事にしました。
取り分け上から二番目の、「革命するくらいなら悪政に苦しむほうがいい」のくだりなんて、上には何も言えずに、ひたすら下にしわ寄せする事で、自分たちだけ姑息に生きながらえようとする、事なかれ主義の我が社の社畜ども、そのもので。同じく三番目の「我々の中に搾取されてない奴がいるなんて許せない!」も、自民党・「みんなの党」支持者やネットウヨクによく見られる発想ですしね。
更にネットで検索したら、新自由主義者の池田信夫も、前後の言葉を入れ替えただけでほぼ同名の記事を書いていました。但し、書いている事は、「もはや額に汗して働くなんて時代遅れだ」「これからは、たとえ借金増やしても、もっともっと自由化して外資をどんどん引き入れ、日本をシンガポールやドバイみたいな国にすれば良い」という事でしかありませんが。
それで日本から農業や商店街を一掃して、マクドナルドやコンビニだけになってしまったら、日本はジャンクフードだらけの国になってしまいます。それとも、自分たちさえ潤えば、「後は野となれ山となれ」なのでしょうか。しかし、本当に世界中から「額に汗して働く」人がいなくなれば、誰も生きていけなくなるのですがw。
結局この論は、「額に汗して働く」役回りを一番弱い誰かに押し付けて、自分はそれを見て見ぬふりして不労所得(搾取の代価)でのうのうと暮らしながら、さも「俺たちは偉いんだ、お前らみたいなカスとは違うんだ」、或いは闇金ウシジマくんのように「搾取されるぐらいなら搾取する方に回る」と、嘯ているだけなのです。
一部に日本経団連の御手洗執行部批判とも取れるような事も書いてますが、それすら「もっと弱肉強食に徹せよ」という立場からの批判でしかないのですから、お里が知れます。「極右からの自民党批判」と同じで、見るべきものは何もありません。
なぜ性懲りもなく自民党やみんなの党が支持されてしまうのか...
やはり「国民が馬鹿だから」なのでしょうか?そう考えたくないし,このような安易な結論は絶対避けなければならないとは思うのですが...
ただ,戦争中どんなに悲惨な状況になっても軍部・天皇を支持し続けたことや,戦後天皇の責任を一切追及しなかったことを考えれば,やはり日本人は昔から奴隷根性の抜けない馬鹿だと結論せざるを得ないですね。
共産党の選挙戦術が拙劣だ等々といった,どんな「分析」をしてもただただむなしくなるばかりの選挙結果です...
なぜ性懲りもなく自民党やみんなの党が支持されてしまうのか...(Bemshaさん)
「民主党」以外は「自民党」や「みんなの党」しか勝てないと思い込んでいるからでしょう。そして、それは残念ながら今はその通りなのですが。
そういう意味では、「社共は無力」だったし「国民は馬鹿」でもあるのでしょうが、それでも「馬鹿は馬鹿なりに、今の現状には怒っている」のも事実です。決して現状に満足している訳ではない。それは職場の状況からも直に感じます。
という事は、現状打開の展望が誰にも分かる形で提示さえすれば、一気に状況が変わり得るのでは。
そういう立場から、自分の参院選総括を書こうかと、考え始めています。
それは、事実上「コミュニズム」に等しい基本的立場であったはずです。
しかし、20世紀のスターリニズムや社会民主主義は、この、マルクス主義に固有の魂をことごとく裏切り一国主義の中に閉塞していきました。一方の「反スタ」を自称する新左翼諸派もまた、トロツキーの「ヨーロッパ合衆国」戦術についてさえまともに検討することさえなく、暴力的盲動と反議会主義の中で解体していきました。
今日、この、マルクス主義的国際主義を再興することは不可欠であり不可避になっています。
諸国労働者の賃金や労働条件の問題でも、法人課税をはじめとする資本に対する規制の問題でも、環境問題や人権の問題でも、人類生活の平和と安全の問題でも、諸国民の国際的連帯や協調に基づく運動を行わない限り目的達成は困難なのです。
途上国の低賃金劣悪労働条件や先進国の失業問題を改善することも、法人税の国際的ダンピング競争の防止をはじめとする資本に対する規制強化の課題も、途上国の環境破壊や先進国の社会崩壊を防ぎ人類の再生産を保障することも、今日では、国際主義の立場に立った連帯の運動によってしか実現することは出来ないでしょう。
いよいよ本物のマルクス主義政治勢力の出番です。
幸い、日本にはすでに50万人を超えるアジア系同胞も居住しています。国際主義政治勢力の一大センターを創出することは十分可能なのです!
万国の労働者、東アジアの労働者たちよ、団結せよ!21世紀の国際主義運動を一刻も早く開始せよ!
「書生論」しか口に出来ない小児病左翼は、「正論」や「目標」、「解釈」、「解説」などを人々に示すことは出来ても、民衆に「展望」を与えられません。
「展望を与える」ということは、ただ単に「正論」や「目標」を示すだけではなく、そこに至ることの可能性や必然性、確実性、そこに達することの現実性、実現性を十分な説得力をもって示すことなのです。
民衆を「その気にさせ」、鼓舞・激励し、その「正論」や「目標」の実現可能性を確信させ、共に立ち上がらせることが「展望を与える」ということでしょう。
20世紀左翼は、多くの場合、「正論」提示や「解説」どまりだったのです。左翼や革命家が本来もつべき、そしてかつてはもっていた、「展望提示能力」を喪失しているのです。
「正論」だけでは民衆は動きません。「分かった」だけでは民衆は立ち上がりません。
要は、「そこに至る道」と、その実現可能性を人々に「信じさせる」能力を磨くことなのです。科学に、道徳や芸術、場合によっては宗教の要素さえ加味しなければならないのが革命派の政治なのです。
財源問題で国民を心配させたまま(=「正論」の不足)だったり、抽象的・一般的な支持や自党の前進を訴えるだけ(=実現性提示の弱さ)では、「自分たちにキャスティングボートを握らせてください!」と訴えて人々をその気にさせた「みんなの党」以下の能力したもっていないことを証明しています。
だから選挙前にもオレは忠告してたんです。
「良いことを言っているけど勝てないのではないか?」と人々に思われているようでは、展望を与えたことにはならないのです。
人々をして、未来(=正しい目標)とその実現(=勝利)を確信させてこそ、はじめて左翼的な「展望」を与えたと言えるのです。
「展望を与える」には、正しい未来の中身の提示とその実現性・現実性の提示、この両者を必要とします。
その点でスターリン主義的左翼も社会民主主義左翼も新左翼も、20世紀型左翼は全て失格だったのです。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794802919/
この本はスウェーデンの中学の社会科?教科書ですが、日本の教育内容との違いを実感させられました。
例えば、憲法の労働三権や労働基準法などについては、日本の中学でも「言葉」としては教科書には登場します。しかし、飽くまで受験のために「言葉」として学ぶだけなので、現実社会で生きていくための実用的な知識として身についていません。たがら、社会に出てサービス残業だとか深夜割増賃金か未払いでも、それらが不法行為であることすら認識出来ない若者が大多数なんですね。
しかし、スウェーデンのこの教科書では労働法制の社会的意義を丁寧に解説した上で、社会に出て労働者として不当な扱いを受けた時にどの窓口に駆け込めば良いのかを具体的に記述しています。また、立場の弱い労働者は団結することで経営者に臨むことができること、またそれが法で保証された市民の権利であることに触れたうえで、職場でどのように労働組合を結成すれば良いのかまで教科書で概説しているんですね。
また、失業などして生活に困窮した時に公的な扶助を受けることはスウェーデン市民の権利であり、社会的弱者への社会保障がスウェーデンの社会全体の安定に寄与することに触れたうえで、生活に困窮した際にどこの窓口に行けば良いのかを具体的に説明しています。
このような教科書で学んだ子どもたちは、少なくとも日本の子どもたちよりも市民的権利の大切さや市民が社会的に連帯することの意義を認識することでしょう。
(以上、人民食堂掲示板にも掲載。)
日本の教育の欠陥って、教科書の問題だけじゃないんですよね。より根本的なのは、認知能力偏重主義だと思います。
つまり、「学而不思則罔、思而不学則殆」の「学而不思則罔(=学びて思わざりしは暗し)」という弊害です。日本の教育は、詰め込みで教え学ばせる(=丸暗記)ばかりで、生徒・学生にほとんど考えさせない。
明治維新以降、遅れた日本を早急に先進国入りさせるために必要だったのか、脱亜入欧主義、追いつけ追い越せ思想が、教育界で「教学思想」となって骨化してしまった。
アメリカなんかでさえ、教育は自分の意見を形成させることに重点が置かれていますよね(もっとも、アメリカは社会教育的方面での能力育成努力は弱いみたいですが)。
スウェーデン人も日本人より良く考えますね。
この前参加したイベントでもそれを感じました。環境保全と農業の関係の問題でも労働問題のような社会問題でも、スウェーデン人はイベントに参加していた大方の日本人よりはるかに知識も見識(=意見)をもっていて発言していました。一般人でさえです。
この日本の教育の欠陥って、大企業から左翼の政治組織にまで共通しているようですよ。
共産党の一般党員から中央方針に対する意見や批判があまり出ないのも、「決定の学習」しかさせられていないからじゃないかな?www