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北条鉄道 コロナ予防と平和の旅

2020年03月19日 23時29分00秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ

今や新型コロナ感染症の影響でどこもかしこも自粛ムード一色ですが、せっかくの休日なのに、いつまでも家に閉じこもってばかりではストレスが溜まります。いつも休める身分ではないので、せめて休日ぐらいは自由に過ごしたいです。安倍首相も先週土曜日の記者会見でこう言っていました。「密閉空間の人混みや至近距離での会話・発声を避けよ」と。だったら、広々とした自然の中で、人もあまり行かないようなマイナーな観光地に、自分一人だけ行くのも良いかも知れません。むしろ、そちらのほうが、密閉された賃貸マンションの中で閉じこもっているよりも、よっぽど新型コロナ感染症の予防になると思います。

そういう事で、先日の休みに、兵庫県の北条鉄道に乗って来ました。北条鉄道は、JR加古川線・神戸電鉄粟生(あお)線の乗換駅である粟生駅と、北条町(ほうじょうまち)駅の間を結ぶ第三セクター鉄道です。国鉄北条線が、1985年の国鉄分割民営化を機に、赤字を理由にJRから分離され、第三セクターとして再出発しました。全長13.6キロの区間に全部で8つの駅があります(上記写真)。沿線には有名な観光地もありません。しかし、ユニークなサービスで、最近乗る人が次第に増えてきたと聞き、私も乗ってみる事にしました。

出発駅の粟生にはJRでも神戸電鉄でも行く事が出来ます。私は、時間は多少かかるが運賃が安い神戸電鉄経由で行きました。約2時間弱で粟生に着きました。着いたら北条鉄道の気動車が既に粟生駅の3番線ホームに止まっていました。北条鉄道はほぼ1時間に1本のダイヤなので、沿線を効率よく回ろうと思えば、どうしてもレンタサイクルを利用しなければなりません。レンタサイクルとセットの1日フリー切符は北条町駅でしか買えないので、まずは終点の北条町に向かいます。

左:北条町駅で借りた折り畳み式レンタサイクル。右:北条鉄道1日フリー切符。

北条鉄道の気動車は全てフラワー2000型という形式です。全部で3両あります。通常は1両のみで走っていますが、朝夕の通学ラッシュアワーの時間帯のみ2両編成となります。もう後の1両は予備車で、ずっと北条町駅のホーム裏側にある検修庫の中で待機しています。私が乗ったのは10時9分粟生発の北条町行き列車で、車内には20名弱の乗客がいました。平日のオフタイムの割には結構人が乗っているように感じました。但し、そのうちの数名は、明らかに鉄道ファンと分かる人たちでした。鉄道ファンの人たちは、車内でも盛んに写真を撮ったり鉄道の本を読んだりしているので、すぐに見分けが付きます。

北条町駅で折り畳み式のレンタサイクルを借り、今乗ってきた列車で途中の法華口(ほっけぐち)駅まで戻ります。折り畳み式なら車内にも持ち込めます。北条鉄道の駅の中でも、法華口・播磨下里・長(おさ)の3つの駅は、昔からの駅舎がそのまま残っており、国の有形文化財に登録されています。駅や沿線の見所も多いので、北条鉄道に乗りに来た鉄道ファンのほとんどが、この区間で乗り降りします。私の他にもう一人、兵庫県の三木市から来られた方も、同じようにレンタサイクルを借りて、法華口で下車しました。この後、長駅の先まで、この方と行動を共にする事になります。

 

左:法華口駅の三重塔。右:駅舎内のパン屋「モン・ファボリ」。

法華口駅は法華山一乗寺というお寺の参拝駅として開設されました。今もお寺の三重塔の模型が駅舎の横に建っています。戦時中には近くの鶉野(うずらの)という所に軍の飛行場や訓練基地が作られ、紫電改(零戦改良機)の搭乗訓練や特攻の為の訓練が行われるようになりました。駅の周辺には今も当時の戦争遺跡があちこちに残っています。最近は、駅の中に「モン・ファボリ」というパン屋もオープンし、焼き立てのパンが食べられるようになりました。私たち二人も、そこで昼食のパンを買って食べました。

左:掩体壕の入口。右:掩体壕の全景。

昼食のパンを食べた後は、レンタサイクルで鶉野飛行場跡まで行き、紫電改の展示や掩体壕(えんたいごう=半地下の防空壕)、高射砲陣地の跡などを見学しました。紫電改の資料館は新型コロナ感染症の影響で休館していました。紫電改の写真も外のガラス越しからしか撮影出来ませんでした。しかし、近くのため池の横で、紫電改の実物大の展示を見る事が出来ました。お年寄りの方が数人、展示のペンキ塗りをやっておられて、その方たちから戦争の体験談を伺う事が出来ました。その方たちは、紫電改の資料館で時折ボランティアで解説もされているとの事でした。その方の話によると、終戦間際にようやく零戦の改良にこぎつけた紫電改も、米軍機の改良スピードの方がはるかに早くて、「同じ負けるにしても零戦よりは多少マシ」程度の戦果しか挙げる事が出来なかったようです。「我々の仲間が大勢、特攻で亡くなっているのに、特攻作戦を指揮した司令官たちは戦後も生き永らえ、アメリカに尻尾を振りながら、再び戦前賛美を始めている。わしらの犠牲は一体何だったのか?」と憤っていたのが、大変印象に残りました。

左:閉館中の資料館の外からガラス越しに写した紫電改。右:ため池の横で復元中の紫電改の模型。

レンタサイクルは最後に北条町駅のサービスステーションに返却しなければなりません。そこで私たち二人は、再び法華口駅まで戻り、播磨下里・長(おさ)・播磨横田と、北条町駅の方に向かって走る事にしました。法華口から長にかけて、沿線の西の方には加西アルプスの峰々が連なっています。加西アルプスは善坊山と笠松山という2つの山で成り立っています。どちらも標高200メートル台の低山ですが、非常に険しいので「アルプス」の名が付けられるようになりました。頂上付近には山城の跡があり、吊り橋もかかっていて、古法華自然公園として整備されています。播磨下里はその登山口として賑わった駅で、駅の中には石庭が作られています。次の長駅も、昔は加西アルプスの採石場で掘られた長石の出荷駅として賑わいました。駅の中には長石の彫刻が置かれています。

左:長石採石場跡の遠景。右:長駅で展示されていた長石の彫刻。

長駅と播磨横田駅の間に菜の花畑があり、既に花が咲き誇っているというので、二人でレンタサイクルを漕いで観に行きました。まだ満開には日がありましたが、久しぶりに春の気分を味わう事が出来ました。この後、三木市から来られた方は、まだ回りたい所があるという事で、長駅の方に戻って行かれました。私は、大阪まで戻らなければならないので、北条町駅の方に漕いで行きました。ほどなくして播磨横田駅に着きました。この駅には駅の用地を寄付した地元の方の作品を集めたギャラリーが併設されていました。あいにくギャラリーは閉館中で、作品を堪能する事は出来ませんでしたが、ガラス越しに中をのぞく事は出来ました。駅にはステーションマスターの名前が掲示されていました。

左:長駅の駅名標。右:長駅など3駅に掲げられていた登録有形文化財の銘板。

「ステーションマスター」というのは、各駅に配置されたボランティア駅長の事です。北条鉄道の駅は、本社や車庫のある北条町駅以外は全て無人駅です。無人駅のままでは荒れ放題になるので、ボランティア駅長を各駅に配置しているのです。ボランティアとして北条鉄道に登録すれば、名誉駅長として、自分の創意工夫で、いくらでも駅を盛り上げる事が出来ます。播磨下里駅のボランティア駅長は大阪の梅田にある太融寺のお坊さんです。そのお坊さんが、時々駅にきて、「下里庵」と銘打って説法を行うのです。長駅では日曜日にステーションマスターが婚活紹介所を開設するようになりました。

「ボランティアと言えば聞こえがよいが、本来なら給料払って雇わなければならない駅長の仕事を、無償でやらしているだけではないか」と、私は最初、この制度に対して余り良い印象を持っていませんでした。ところが実際は、駅の清掃もやりたくなければやらなくても良いのだそうです。仕事や規則で縛るのではなく、あくまでも本人の自由意思で、好きな時に来て駅を盛り上げてくれさえすれば良いのだそうです。例えば、私がこうやって北条鉄道の駅の紹介記事を書くだけでも、ステーションマスターとしての任務をこなしている事になります。その程度なら、別にそんなに苦痛にはなりません。そんな応援の仕方もあるのかと、妙に感心しました。

北条鉄道には「ステーションマスター」以外にも、様々な関わり方があります。例えば「枕木応援団」などです。会社に申し出て、1口4500円の出資金を振り込めば、1本の枕木に3年間自分の名前が書かれたプレートを取り付ける事が出来ます(上記写真)。出資金は枕木の交換費用に充てられます。2口なら2本の枕木に取り付ける事が出来ます。「枕木応援団」に登録すれば、枕木に取り付けられた自分のプレートの写真と一緒に、1日分のフリー乗車券が送られてきます。

北条鉄道の沿線には有名な観光地はありません。あってもせいぜい、お寺と戦争遺跡、山城のハイキングコースぐらいです。でも、いろんな関わり方で、鉄道を盛り上げ、自分もその活動に参加する事が出来る。鉄道ファンとして、これ以上の喜びはありません。だからこそ、一時は年間5千万円台にまで落ち込んだ運賃収入が、今や8千万円台と、80年代に第三セクターとしてスタートした頃と同じ水準にまで回復する事が出来たのです。しかし、その一方で、現実は厳しいものがあります。売上こそ8千万円台ですが、営業損益は4千万円台の大赤字なのです。加西市の中心市街地である北条町に鉄道で来るには、北条鉄道を利用するしかありません。だから、加西市も、北条町駅の駅前広場を整備して、商業施設や市立図書館を駅前に誘致したのです。

 

左:北条町駅の枕木応援団登録者名簿。右:北条町駅前の商業施設「アスティアかさい」。

でも、中国自動車道を車で走れば大阪・吹田ジャンクションから約1時間で加西インターにたどり着く事が出来ます。鉄道と自動車では、自動車の方がはるかに便利なのです。でも、世の中は自動車に乗れる人ばかりではありません。自動車に乗れない交通弱者も決して少なくはありません。これは通学の高校生や高齢者だけに限った話ではありません。低賃金の非正規雇用労働者にとっても、今は自動車は高嶺の花です。しかし、そういう人にも居住の自由や移動の自由はあります。そのような交通弱者の基本的人権を保障する為にも、北条鉄道のような頑張っている第三セクターには、国ももっと補助金を交付すべきではないでしょうか。それが国の本来の仕事であるはずです。ボランティアで出来る事には限界があるのですから。いつまでもボランティアだけに頼っていてはいけないと思います。

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