9月2日は娘とデイト。餃子で有名な銀座「天龍」に連れて行ってもらった。
「60年変わらない味、変らない行列」がキャッチコピー。
10㎝大の餃子が8個も出てきてビックリ。 他のお料理も頼んでしまったので、く、苦しい~~。
5時台では普通に入れたが、帰る頃には大行列。エレベーターを降りた一階にも行列ができていた。
腹ごなしに日比谷公園へ。
今日3日放映の「池の水全部抜く」で日比谷公園の池が取り上げられた。
ならば、今池に行けば水がきれいなはず、「見てみよう」という事になった。
だがすでに夕闇が池を包み、ほとんど見えない。心なしかゴミが浮いていない?底が見える?・・・よくわからなかった。
日比谷公園ではオクトーバーフェストを開催していた。
テントを張り、テーブルを出し、各種類のビールを飲むことが出来るお祭りだ。
私達はおなかいっぱいで何も入らないので、横目にながめて通り過ぎた。
皆楽しそう。でも夜のためか、若者しかいないわね~。
東海道だらだら歩きの続きです。
橘樹神社
この地の氏神。天照大神を祀る。 橘の大木が数本ある。
帷子橋(かたびらばし)
公演の中に近くを流れる帷子川の橋を再現していた。
香像院
このお釜の意味が分からなかった。この奥に古い地蔵、観音像があったが、本殿は新しい。
天徳寺
大蓮寺
線香の置き方にルールがあるのかもしれない。初めて見た。
高札場跡。高札場では法令のお知らせだけでなく、宿場の宿賃、隣の宿場までの運搬料などの規定も掲げてあった。
今の観光案内所、情報センターと言う役割も果たしていた。
この辺は保土ヶ谷宿の中心部でもあり、問屋場跡(荷物運搬や飛脚通信を担った)、本陣跡などもある。
旅籠屋(本金子屋伝左衛門跡)
中が見学できないのが残念!
昼食。千歳屋さん。
何もない場所なのに、空腹になると、なぜか目の前に食堂が現れる。お年寄りの経営で、美味しかった。
保土ヶ谷の一里塚跡(江戸から八里目)、見附跡
一里塚は目立つように様々な工夫が凝らされていたようだ。
外側神社、出羽三山供養塔(出羽三山の湯殿山をご神体とした山岳信仰の供養塔)を横目に見て歩く。
もう萩が咲いている。
樹源寺
庭の手入れが行き届き、清々しいお寺。
坂を上がる。 この坂がお正月のマラソンで有名な「権太坂」
坂の名前を問われた老人が自分の名と勘違いして「権太」と答えたところからこの名になったという。
坂登りはさすがに苦しいわ。
登りきると、小さな昔からの商店街に出る。
和菓子栗山。 ここで地蔵最中を売っている。 店内で和菓子を頂き一休み。
最中があるので、近くにお地蔵さまがあるはず。 しばらく歩くと境木地蔵をみつけた。
境木地蔵の中の大欅が武蔵と相模の国の国境だったそうだ。
右の道標にはこれより相模の国、戸塚宿までは一里九丁と書いてある。
ここから焼餅坂を下る。
品濃一里塚跡。 向かい側の一里塚公演には馬頭観音がある。
東戸塚駅から帰った。
実は4日が次の6回目の東海道歩きなので、急いで書きました。
飛ばし気味で申し訳ありません。
焼餅坂は、だれかとの仲を嫉妬し、
焼餅をを焼いた・・・のではないそうです。
焼餅のお店があったらしいです。
私も少し、なぁんだと言う感じでした。
私も日比谷公園の池の水を抜く番組見ました。
外来生物が少なく、日本古来の生物が多く居たのには驚きましたね。
東京のど真ん中なのに!
境木地蔵の中の大欅が武蔵と相模の国の国境ですか
境木というのもそこからでしょうね
権太坂の名前の由来も可笑しかったです
息を切らして上る坂は昔も今もでしょうか
焼餅坂の名は何処から?
日比谷公園の池の水を抜く様子見ました
薄暗くてよく見えなかったらしいですが今頃はきっと澄んだ池になっているでしょう
あいにくの雨、それでも仲間と歩くのは楽しいものでした。
tonaさんはずっと東海道線に乗っていらしたのね。
私も大森に住んでいたので、近距離ですが、
夏など東海道線に乗りました。
東海道が整備されたのは割と最近でしたね。
30年?40年?ほど前だったかしら、新聞に日本橋から京都までの道筋がわかってきたという記事が載ったのは。
その時に、歩いてみたいなぁと漠然と思いました。
それが実現するなんて・・・私も感慨深いです。
戸塚宿から藤澤宿ですか。お疲れ様でした。
>何もない場所なのに、空腹になると、なぜか目の前に食堂が現れる・・・いつもこうだといいですね。おかしくて笑ってしまいました。
東海道線に乗っていると、全然想像もつかない旧東海道があるのですね。高校から藤沢へ、その後は大学、社会人、結婚後もずっとこの電車に乗って東京へ行っていながら旧東海道のことを一度も思ったことなかったです。
ひょなことで歩くことになって感慨深いです。そして同じように歩いている方がいらっしゃることも。