7時半に駐車場に着いたら車で既に8割方は埋まっていた。まだまだ残雪の乗る月山は谷筋から涼しい風が吹き上げ快適で、姥ヶ岳、月山山頂は花の見頃で多くのお客さんで溢れていた。お目当ての月山山頂のクロユリは2~3日前に終了したようで既にしぼんでいたが、山頂付近は多くの種類の花が咲き誇って華やかな雰囲気は実によい光景。
姥ヶ岳と月山山頂は花目当ての方々でいっぱいで、お子さん連れは少なかったが20代~70代まで幅広い人気を誇る月山はその存在価値が大きい。今年は例年になく残雪が多くて木道も一部隠れている。残雪に歩きなれない初心者ほどアイゼンに頼っているが、それに頼ってばかりいると本来のバランス感覚は育たず、足の鍛錬には成りにくいのではないかとも思う。余計な心配ですが。
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宮城蔵王 南屏風岳コガ沢 2021.03.07
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東北地方には、葉山信仰と呼ばれる信仰がある。葉山は「羽山」「端山」とも書かれ、里から離れた「奥山」に対し、里に近い山という意味をもつ。葉山には農業の神が住むとされ、季節の折々に山に登り、五穀豊穣を祈った。村山葉山は特に、役小角が山を開いて以降は修験道の山となり、山麓に寺院や宿坊が作られ、江戸時代初期までは羽黒山・月山とともに出羽三山の一山に数えられていた。のちに出羽三山の一山となる湯殿山を奥山に見立て、その手前にある葉山という形である。葉山の神は、「葉山薬師権現」と呼ばれていた。
初期には、天台宗・真言宗兼学の慈恩寺が葉山別当寺であり、この地を領していた大江氏、最上氏の庇護を受けつつ葉山修験の中心となっていたが、天文年間に慈恩寺が葉山と関係を絶ち、三合山(十部一峠)を奥の院としてからは葉山の山岳修験は衰退し、いつしか出羽三山からも外れることとなった。
江戸時代には、寒河江市畑にあった天台宗大円院が葉山修験の中心となった。かつては12坊の壮大な伽藍を誇り、新庄藩の庇護を受け、新庄藩の祈祷所でもあった。葉山は、農業の神のみならず、最上川水運の守り神として、船頭からも尊敬されたという。
明治時代になると、葉山修験はますます衰亡し、1946年(昭和21年)大円院の敷地がGHQアメリカ陸軍大高根演習場の着弾地に指定されると、大円院への立ち入りが禁止され、寺院は取り壊されて葉山修験はほぼ消滅してしまった。なお、大円院は規模を大幅に縮小して1950年(昭和25年)に村山市岩野に移転し、寺院として現存している。また、もともと葉山で修験を行っていた坊が、慈恩寺の坊として寒河江市慈恩寺に現存する。
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平日の鳥海山は実に静かで、七高山を目指すお客さんは6名ほどのみ。紅葉は朝日や月山程の鮮やかさは見られないが、今年はナナカマドの当り年なのか、鉾立駐車場廻りでは爆発的な勢いで際立っていた。
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