東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

東成瀬三合目~焼石岳 2015.06.21

2015年06月23日 | 山歩き
焼石岳を訪れるのは二回めだが、今回は中沼コースの混雑を避けて秋田県側の東成瀬三合目登山口から山頂を目指した。花で名の知られる焼石岳は6月に登山者が集中するようで、山頂に立つと岩手県側の中沼コースからは次から次へと登山者がやって来る。

日本海側から吹き付ける風は冬に多量の降雪をもたらし、比較的なだらかな斜面に積もる多量の積雪が高山植物の花の楽園をもたらすと言われている。その為、女性の登山者が特に多いのも特徴の一つで、しかも若い方々が多いのも最近の世相を物語っているようだ。

残念ながら澄み切った青空の焼石岳では無かったが、まだ残雪の残る山肌は少しガスに覆われてその気品を保ち、暑さを感じさせることもない清々しい世界は快適だった。

山スキーでは訪れたことはないが、3月頃だったらアプローチの長さにもめげ無ければ山々の走破も興面白いだろう。積雪豊富な焼石岳はまとまった連峰を形成し、飯豊・朝日とはまた異なる親近感を感じるのは自分だけか?









































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飯豊連峰 大日杉~切合小屋~飯豊本山 日帰り山行 2012.07.29

2012年08月01日 | 山歩き
飯豊連峰に通って40年になるけれども、夏山登山は今度で2回目の山行だった。40年前ワンゲルに在籍した時に全山縦走したが、その後この時期に訪れることはなかった。

当時は6泊7日で杁差岳から三国岳を縦走したが、40.0kg程あるキスリングを背負っての山行はきつく、重いビニロンテントに生米・生みそ・生野菜を担いだ思い出は懐かしい。ポリタンクには2.0kgの水と2.0kgのガソリンが入っているが、今の様に水をむやみに飲んではいけないという不文律があった。当時は水を飲めばばてると言われていた。

夏にも関わらずカッターシャツはぶ厚いネルの木綿生地で、ニッカーホースは厚いウールの代物で登山靴は重いビブラムソールの皮のドタ靴だった。今から思えばクレージーなスタイルで、とても楽しい登山とは言い難く、義務と難行苦行だけが思い出に残るつらい山行だった。

部の活動は合宿とたまにあるの筋トレし程度で個人山行は殆どなかった。個人で山行計画を立てる意欲のある人は殆どいなかったのだ。こんな事をやっていると山の奥深い魅力など理解できるはずもなく、卒業すると殆どの部員は山から遠ざかり、結局何の為かといえば麻雀仲間や飲み友達を求めていただけにも思えた。そんな事で、無断で個人山行を繰り返していた自分の居所はなく、入部1年目で退部して社会人山岳会の門を叩いた。(これが別世界へ転落の始まり)

山歩きは最近すっかりのご無沙汰で、山スキーも殆ど出来なかったので体力低下は自覚していた。でもスピードは出ないがゆっくり歩けば本山日帰りは何とかなるだろうと思い、AM4:30大日杉をスタートして山頂を目指した。すでに3パーティーほどの先行者があり、かっぱ巻きと牛乳で朝食を済ませて後を追った。

ザンゲ坂を通過して御田辺りで5人を追い抜き、その後一人の先行者を追い越してどうやら先頭になったようだ。スパイク地下足袋スタイルは珍しいようで、挨拶すると注目されてなんとなく自慢げになってしまう。最初はスローペースで歩き出して体を慣らし、呼吸が乱れ無い程度にペースを合わせて地蔵岳を目指す。高度を上げてゆくと早朝の冷気を感じて清々しい気分で心地よい。

地蔵岳を通過すると残念ながら飯豊本山は頂上がガスで覆われていたが、この先は曇り空になってきて気温が上がらずかえって歩き易い。切合小屋へ至るコースは雪渓コースをとったが、豊富な雪渓とスプーンカットの斜面が嫌われたのか余りトレースされた跡はなかった。スパイク地下旅はここでも歩きやすく、雪渓の冷気で体が引き締まって気分も乗って快適に高度を上げる。

切合小屋には5人の登山者が休憩中で、休んでいる間にも登山者が次々に通過して行って今までの雰囲気が一変する。さすがに全国区の代表的百名山で、首都圏は勿論関西方面からも続々と登山者が押し寄せる。小屋の前の水場で十分に水を補給し、お楽しみの主稜線歩きに心を小踊らせながら山頂へ向けて出発する。

生憎山頂はガスに覆われてなんとなくがっかりしたが、きれいに刈り払いがされて快適な登山道を歩くのは心地よい。御秘所付近では多くの登山者が通過していたが、30代位と思われる登山者が多いのが意外で、中には高校生の山岳部とも思える若いパーティーも目についた。多くは切合小屋か三国小屋からのピストンか、あるいは全山縦走を目指すパーティーだろうか?

本山への登りは適度な傾斜で道も良く整備されて歩き易い。ただ、登山者の増加に伴う登山道の露出や崩壊も多く見られ、地道な修復作業が成された跡も多く見られた。高度を上げるに従い肌寒さも少し感じるが、半そで姿で本山小屋を通過してからそのまま本山ピークを目指す。少し時期遅れのニッコウキスゲの群落が残り、ようやくやや視界不良の飯豊本山のピークにたどり着いた。

帰路に本山小屋に立ち寄ると人影はなく、意外と静かな雰囲気でランチタイムとする。しかし、本山からの下りでは次々に登山者が上がって来るが、どうやら多くが本山宿泊の様だった。もう少し頑張ればこの先は快適な御西小屋だが、殆どの登山者は本山小屋泊なのだろう。

下りの御秘所を通過するとガスが晴れて本山が姿を現し、日が差してくると気温が上がって額から汗が流れ落ちる。切合小屋では十分に水を補給して休憩をとったが、気温が上がるに従って体の動きは鈍くなる。帰路は同じ雪渓コースをとってスピードを上げたものの、縦走路に戻ったころには急に足が重くなる。地蔵岳までのアップダウンにうんざりしたが、その先の下降はもっと辛い時間帯だった。

地蔵岳からの下りで思いっきり左足に体重を乗せてしまい、親指の爪を痛めてしまって急にスピードが落ちてくる。歩き慣れた地下足袋だったが下降はつらく、結局3回ほどの休憩を入れて大日杉にたどり着いた。

例年は6月上旬に計画していた山歩きだが、所要で都合がつかずこの時期となってしまった。暑さに弱い自分にとっては間違った選択で、やはり涼しい時期の6月または10月頃が適期だった。8年前の6月に大日杉から大日岳を日帰りした事があったが、今となってはとても叶わない山行だった。ただ、花の写真を撮りながらのゆったりペースも悪くはなく、終わってみれば久しぶりに夏山縦走の醍醐味を味わった山行だった。


【コースタイム】

4:30大日杉~6:31地蔵岳~8:30切合小屋~11:10飯豊本山~13:10切合小屋~15;26地蔵岳~17:30大日杉










































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湯殿山神社~月山山頂は紅葉の最盛期 2011.10.10

2011年10月11日 | 山歩き

中々時間も取れず加えて左足ふくらはぎの痛みが取れない日々だったが、ようやくタイミングが訪れて今回は湯殿山温泉から装束場経由で月山を目指した。

積雪期には何度も訪れている月山だが無積雪期は初めて。当初は毎年今頃訪れている飯豊連峰のはずだが、夕方まで仙台に戻るとなると行き先は限られる。結局、月山では登りごたえのありそうな、湯殿山神社から月山へと落ち着く。

湯殿山神社手前の湯殿山温泉の有料道路のゲートは閉鎖され、8:30AMまで待っているヒマもないので歩き出し、有料道路に沿った湯殿山神社参道を進んでゆく。丁寧に刈り払いされた道は遊歩道の様で、落ち葉でふかふかの道は地下足袋が良く似合う。

人気のない湯殿山神社を通過するとザンゲ坂の急登となるが、まるで石段を歩く様な道は歩きやすく、踏まれて丸くすり減った石は深い歴史を感じさせる。

装束場で初めて登山者を見てここで一息つき、すぐに金姥へと続く緩やかな登山道を進んでゆく。紅葉は今が最盛期の様子で、湯殿山を振り返ってみると真っ赤な楓や黄色い紅葉がまばゆく、主役のナナカマドがアクセントになって素晴らしい光景が広がる。

しかし、金姥に到着すると雰囲気は一変する。登山道には何処かで見たような人々が列をなし、次から次へと登山者が上がってくる。中高年はもちろん、小学生を連れた家族連れや若いカップル、ツアー客と思える元気な団体さんなど、日頃の山行では絶対遭遇しない異次元の光景だった。

夏の道は石畳と階段が見事に整備され、虎ロープで規制された国道をただ上を目指す。仕方がないけれども追い越しもし難いのが困る。天候は前線が南下して薄曇りの空で、せっかく持ち込んだカメラも今一つさえない。

山頂付近にはこの前降った初雪が残り、次第にガスに覆われて風は強まってすでに冬の兆しが伺え、寒さで登山者は雨具を着込んで休んでいた。一人だけ缶ビールを飲んでいると「寒くないですか?」と声を掛けられた。地下旅姿ではなおさら場違いの雰囲気の様で、主役は中高年に混じった「山ガール様御一行」の様子。

どこかのアウトドアショップのマネキンがそのまま歩いている様で、意外と若いカップルが多くてその彼氏も実に決まっている。中には後ろ山ガールで表は元祖・・・でドキッとする事もあるが。

キツイ・汚い・危険の3Kを代表する山登りも、今やファッション感覚最優先の世の中となる。若い人が増えてくるのは大歓迎で、明るく賑やかな山も悪くはない。仕掛けた出版社やメーカーは潤ったでしょうが、この流れが一過性のブームで終わらないことを願います。

湯殿山温泉6:57~装束場8:59~月山10:51~装束場12:43~湯殿山温泉2:31














































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朝日連峰 小朝日岳 1年ぶりの山歩きはつらい1日 2011.09.21

2011年09月20日 | 山歩き
ようやく時間が取れて山歩きを計画した。ほぼ1年ぶりの山歩きは歩き慣れたはずの大朝日岳だったが、日頃から左足のふくらはぎに痛みを感じて、今ひとつ調子が上がらずさっさと小朝日岳で諦めた。

しかし結果はこれで良かった様で、その先は足を引きずるような格好で鳥原山を通過し、やっとの思いで古寺鉱泉にたどり着いた。

台風の接近で秋雨前線に向かって湿った南風が吹き込み、今日は真夏と変わらないような酷暑の日となった。しかし、早朝の引き締まったような空気と、Tシャツを吹き抜ける風は実に清々しく、風が木の葉を揺らす音や雲の流れまでが新鮮に映る。

普段は感じることの出来ない充実感と共に、山に帰って来たという実感が沸き起こり、やっぱり体が山に同化する様な気がしてならない。日々のストレス発散という事よりも、山の鋭気を取り込んで体は元の力を取り戻し、気持ちだけは先を急いで山々を駆け巡る。

とは言っても日頃の不摂生は明らかで、何時もペースの半分ほどではいかんともしがたい。せめて新調したカメラでワンショットを狙ってみても、まだ紅葉には2週間ほど早い様で雰囲気がまるでない。特にブナ枯れですっかり葉の落ちた光景は少し異様で、山全体が退色した様で勢いが感じられない。

しかし、鳥原山湿原地帯のナナカマドはすっかり紅葉し、秋一番乗りの代表選手の務めを十分果たしている。思い出してみるとこのコースを夏・秋に歩くのは初めてだ。何時も山スキーでしか歩かないコースも新鮮に映る。

最後はヨレヨレになって古寺鉱泉にたどり着き、体を癒すために柳川温泉を目指したところが、3月11日の大震災でお湯が出なくなって閉店状態。目標を朝日町のリンゴ温泉に変更して帰路に就いた。





































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正月の飯豊連邦登山者

2006年03月05日 | 山歩き
              朝日連邦 ユーフン山から竜門山 後ろは以東岳

今年の正月は年末の大雪(豪雪といった方があたっている)と思っていた。確かに北アルプス、北陸、越後方面そして朝日連邦方面も多くの登山者が雪との格闘を強いられたようだ。私達は正月の朝日連邦で運良く登頂できたが、重い腰までのラッセルに苦しめられ、稜線まで届かなかったパーティーも少なくなかったようだ。
 
そんな正月の飯豊連邦に、梶川尾根から北股岳に登頂したパーティーがあって以外に思った。パーティーは新潟の峡彩ランタン会の皆さんで、本隊8名、支援隊他15名、総勢23名の大部隊。確かにこのコースでは少人数、速攻スタイルは不向きで、組織力を動員したパーティーが有利だろう。さすが11月に梶川尾根を登った時、登山道に多量のデポ旗が荷揚げしてあり、相当の意気込みが感じられた。

もう30年くらい前の古い話だが、同じく北股岳を目指して無謀にも丸森尾根に取り付いたが、泳ぐようなラッセルを強いられ、尾根の途中から逃げ帰った事が有る。つまり、まだまだ無知で未熟だったという事だ。その当時も玉川を2~3度徒渉してから丸森尾根に取り付いたが、右も左も雪崩れのコースでその当時ビビッて通過したものでした。

しかし新潟の山屋さんは層が厚く、レベル的にも高い方が多いと思います。このシーズンには別パーティー(名前は忘れました)が西俣峰から頼母木山に登頂しており、その他にも松ノ木尾根から飯豊本山を目指したパーティーが有るようです。どうやら中心メンバーは私らと同じ「中高年登山者」で、パワー全開という感じででした。



峡採ランタン会 「冬合宿 飯豊連邦 北股岳」2005~2006

http://park16.wakwak.com/~h0823/kh180101/kh180101.html


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