東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

山形県 緑環境税と間伐

2010年03月07日 | 林業
今日はスキーの板をかんじきに履き替えて、田舎の山林を歩き回ってみた。
実は山形県が導入している緑環境税を使い、希望する林家の間伐を行ってくれるという制度があり、1月~2月の真冬にも関わらず実施された。

林家にとっては願ったり叶ったりの嬉しい制度で、昨年申し込んだ場所はなんと全て承認され、年度末ギリギリになって滑り込みセーフで完了した。何もこんな雪が多くて作業性の悪い時にとは思うが、お役所仕事丸出しの様だがとにかく感謝です。

山林の荒廃は全国何処もご存知の通りで、山主が代替わりしてからなお更関心は薄れる様で、自分の山の有る場所や境界線などサッパリ解らんという事態になっている。こんな制度なら誰でも喜んで応募しそうな物だが、意外と申し込みは少ないのか殆ど大半が承認されている模様。

但し、この制度には条件が有り、対象は過去30年間に除伐や間伐が実施されていない事に加え、間伐後は20年間に渡って立ち木や山林の売却が禁止される。つまり、相続するしかない事になり、これが足を引っ張っているのかもしれない。

しかし現実にはすっかり杉の値段は最盛期の1/4位に定着し、20年後でも立ち木の価格は上がるとは限らず、もっぱら山林の荒廃防止と環境の保護が目的で、今や金儲けの対象にはならんのです。原因は外材の輸入を全面開放した事に有り、輸出立国日本の犠牲になった産業でも有ります。
しかし、一人当たり年間¥1000を支払って頂いた県民の皆様、まことに有難うございます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作並で歓迎されないお客様

2009年02月09日 | 林業
                  作並温泉付近 国道48号線傍で

先日の作並温泉の国道脇で遭遇したイノシシ君だが、最近は宮城県での勢力範囲を県北まで押し上げ、今では畑の作物を荒らし回る悪者のイメージが定着している。食性は雑食性であり,ヤマイモ,クズ,タケノコ,ドングリ,昆虫,ミミズなどを食べるが、畑を荒らされた農家の方は恨みが募るでしょう。

しかし、始めて見る野生のイノシシ君の図体は意外と大きく、普段見慣れたカモシカより一廻り大きく見えて、道路を挟んで対峙した時に視線が合うと、今にも突進されそうな気になってくる。熊だったら山で2度遭遇した事はあるが、こちらが気がつく前に相手が先に察知し、意外と恐怖感などを感じる事もあまり無い。しかし相手の手の内が解らないとこちらも困ったもんだ。

イノシシ君は道路の反対側の我々を観察しているのか、結局10分以上はウロウロして最後には元来た雑木林に姿を消した。車が頻繁に通過する国道にも関わらず、堂々とこの白昼に出没するとは実に大胆不敵なヤツだが、もしかすると道路を渡るタイミングを計っていたのかも知れない。

実は宮城県内でもイノシシは年間50~70頭前後が駆除されているようだが、最近は耕作放棄された田畑が増え、中山間地の集落が次々と消滅した事も原因の一つとも言われている。温暖化の波は確実にやって来ているという事ですか?
 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森林の頼もしい助っ人

2008年10月23日 | 林業

この機械をご存知の方は少ないと思いますが、果樹農家などでは畑の草刈に使用さている草刈機です。椅子の下には1m位のプロペラの様な物が付いていて、その先にはスェーデン鋼で出来た10cm位のハンマーナイフが付いている。
やや大型でエンジンの大きいこのマシンはパワー抜群で、3cm位の潅木などバリバリなぎ倒し、狭くて急な作業道でも登攀力抜群の頼もしい相棒。小さな岩なら火花を散らしながら砕いて行く。全て刈払い機でやったら1週間は掛かるだろうが、これだと2日のあれば楽勝でしかも乗用タイプ。

幅が4mほどの作業道は3~4年すると潅木で覆われ、やがて軽トラの通行も出来ない荒れた道となる。4WD2トン車の通行を確保する為にも草刈は必須で、毎年この時期になると登場する頼もしい奴。しかし林業は産業として成り立たなく立った様な業界で、今時こんな事をやってる人も少数派だろう。現状では残された山林の保守・管理だけで手が一杯で、これだって何時まで続くかか解らないが・・・。

しかし下刈り・間伐でも同様だが、刈り払った道を省みると気分はすっきりして満足感があり、登山とはまた違ったストレス発散の場でも有るのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミズナラ・コナラの悲鳴

2008年09月29日 | 林業
                太さ1.2m位のミズナラの大木もこの状態

今期の沢登りは一度だけで終了し、余り行けない釣りも最終回となった。
しかし昨日からの雨で増水した三面川水系は水が引かず、ようやく辿り着いた岩井又沢F1手前で徒渉ができなくなり、予想外のギブアップで今年の全てが終了した。元々こんな時期まで朝日界隈の沢をうろつく人は稀なようで、殆どの釣り人が茸取りに転進したらしく沢の中は静まり返っていた。

しかし、昨年も見たニズナラ・コナラの「ナラ枯れ」は深刻で、三面界隈では1年前から比べて更なる広がりを見せている。三面ダム周辺は紅葉とは別物のくすんだ様な色合いで、紅葉の時期特有の燃えるような鮮やかさと勢いが無く、四季折々の躍動感が感じられない。それ以上に林の中のミズナラ・コナラの姿は哀れで、太い老齢の樹木ほど被害が目立ち、無数のカシノナガキクイムシの穴と食い散らかされた木の粉が悲惨な状況を物語る。

深い森の中には孵化したと思われる多量の白い小さな蛾がひらひらと舞い、まるでトトロのアニメで見た様な不思議な光景だった。蕨峠を超えて小国方面に入ってからも事態は変らず、何処を見ても今や手遅れの様な雰囲気が感じられた。

最近では薬剤注入による防御対策が試みられているが、未だに試験的な段階の為抑制効果は未知数で、今や山形県の置賜・庄内を越えて秋田方面まで北上している。以前から問題になった松枯れを遥かに上回るスピードが問題で、人間の手に及ばない自然環境の異変が進行している様だ。

ミズナラ・コナラは里山では主役となる樹木で、古くからマキや木炭となって人間の生活を支え、落ち葉は集められて畑の堆肥となって野菜を育てた。事実、子供の頃には家の中にシバ(マキにした後の残った枝)の置き場が有り、囲炉裏と風呂の焚き木当番は私の仕事だった。その副産物として山菜・茸が集落に潤いを与え、人々は毎年山の神に感謝する文化が育った。しかし集落の過疎化によってそのサイクルが断ち切られ、人手の入らない山は荒れてしまって後戻りが出来なくなる。そして追い討ちをかけるようなナラ枯れが里山にも襲って来たら事態は深刻だ。

確かに今の所身近には特に困ったことは無いが、原木ナメコ・シイタケのホダギはミズナラ・コナラの木が主役の為、将来これが無くなれば生産者の暮らしは脅かされる事になる。また、ミズナラ・コナラの根元に出るマイタケも試練の時を迎え、マイタケ取りのセミプロ諸氏を落胆させる事にもなりそうだ。畑や田んぼの病害虫や病気は人間の手で食い止める事は可能だが、無限の広がりを持つ大自然を相手では殆ど無力だろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深刻なナラ枯れの被害

2007年10月05日 | 林業

「ナラ枯れ」って聞いた事ありますか?
この被害は紅葉の時期でも無いのに、ミズナラ、カシワ、コナラ、クリの木が枯れてしまい、葉が赤くなってやがて枯死してしまう現象である。話には聞いたことが有るが実物を垣間見た事は無く、先日の朝日連峰の三面コースを訪れた折、その被害の深刻さをまざまざと見せつけられる事となった。

奥三面ダムを出発して三面小屋を目指し、心地よいブナ林を散策気分で歩いていた時、太いミズナラの木下に多量の木屑が散らかっていた。最初はなんだか解らなかったので良く木を観察した所、樹皮には5mmくらいの無数の穴が開き、そこからまだ新しい細かな木屑がこぼれている様だった。その数は2~300ヶ位は有ると思われ、その木を見上げてみると葉がすっかり赤く色づいている。急激に枯れだした為か葉は落ちていなかったが、まだ紅葉など程遠い沢筋の林での姿は異様に感じられる。
それよりもこのすさまじい被害の進行を見ると、何か恐ろしい自然破壊が起きている様で薄気味悪さを感じる。

ナラ枯れの原因はカシノナガクイムシという害虫が穿入し、その媒介によってナラ菌が多量に繁殖し、形成層が壊死して通水障害を起こして木が枯れる。その数は何百・何千にもなるらしい。そしてその進行の速さは急激で、枯れ始めてから3ヶ月ほどで枯死が終了すると言われている。この被害は北陸、新潟を経て山形県の庄内に達し、現在は秋田県の一部にも及んでいる。現在、薬剤注入などが試みられているが今の所有効な防除方法は無く、成虫になったカシノナガクイムシが飛散して広がる一方で、この状況が続けばナメコ・シイタタケのホダ木となるミズララ、コナラなどは大きな被害を受ける恐れがある。やはりこれも温暖化と無縁では無さそうに思える。

       おびただしい虫の繁殖力

 

          三面ダムの湖畔にて

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

割り箸受難の時

2007年07月25日 | 林業

最近、割り箸の問題がチラホラ取りあげられている様ですが、何となく釈然としない思いを感じています。

日本人で割り箸のお世話になっていない人は殆どいないと思いますが、何時の時代に登場したのか知りませんが、このアイテムは日本人独自の創意工夫、世界にも類を見ない素晴らしい発明だと思っています。いや、大げさに言えば日本を象徴する文化的な遺産とも思えます。なぜなら箸を使う中国、韓国、ベトナムなどでも、箸といえばあの少しごつい塗り箸が普通で、使ったらポイ捨てをいう事はまず有りえない。

お風呂好きの日本人で想像がつく様に、この使い捨ての箸は清潔で利便性抜群。日本では時代の変遷を経て今なお重要な役割を果たしている。外食産業では必須のアイテムで有る事はもちろん、家庭内でさえ消費される量も多く、日本人にとってはなくてはならない必需品。

しかし、最近この割り箸が非難の対象となり、環境保護・地球温暖化の意識向上と共に非難される立場になって来た。しかし、居酒屋で「マイ箸」を持つのがスマートと見えるが、本当はただの「新しい物好き」または「環境に優しい症候群」では有りませんか?つまり地球資源保護・環境保全という永久不滅のテーマの基、いかにもマスコミ受けする様なキャンペーンが目立って来た気がする。

現在割り箸は日本では中国からの輸入品が90%を占め、最近は中国政府からも輸出の制限を受け、@100ショップなどでは本数を半分にして対応している。いかにも森林の少ない中国からの輸入はまるで環境破壊そのものと思えるが、しかし中国製品の箸の源材料は殆どロシア・モンゴルに頼っている。つまり中国は格安な加工所を提供しているに過ぎない。しかし残念ながら日本では間伐材の伐採・運搬・製材・加工となるとコスト高となり、人件費が10分の1以下の中国産とまともに勝負できない。

もともと日本の割り箸は杉丸太を製材した時の端材を使った物で、「もったいない精神」を受け継いだ、日本人特有の文化的副産物だった。その為、建築現場で使用されている様な型枠材・集製材・合板の材料などの膨大な資源の消費とは異なり、素材生産の総量からするとほんの微量でしかない。

しかしなぜ国産の割り箸が衰退したかと言うと、中国でシベリヤ産の丸太をかつら剥きする低コストの生産方式と異なり、手間のかかる端材の非効率な生産方式のコスト高によるところが多い。零細しかも高齢者が支えてきた生産者は激減し、国内の割り箸業界は殆ど壊滅状態と言われる。

最近有名な某居酒屋チェーンの社長さんがTVに登場し、一切の割り箸を使わず塗り箸に転換すると言っていた。しかしいかにも安易なマスコミ受けを狙った感が有り、この塗り箸を使うならばより多くの水道水とガス・石油を使い、必ずしも大会社が大好きな「環境に優しい」という心地よいフレーズとはかけ離れるのでは?こういう意地悪も言ってみたい気分にもなる。

今は違法伐採が横行しているロシア産丸太が問題視され、出所を明示した森林認証制度が関心を集めている。また、シベリヤで切り出されカラマツなどは日本と異なり、凍土の上に載っているだけのため、伐採されると3000年位は再生しないと言われている。それに比べて湿潤かつ温暖な日本の植生では、仮に樹木を伐採しても20年くらいで天然更新が進み、50年も経てば立派な森林に再生する。まあ、土砂が流出する様な状態を防いでのはなしだが・・・。

つまり言いたい事は、杉・檜などを使った割り箸をもっと活用してもらいたいと言う事です。20年ほどの若い間伐材ではきれいに割れない為不適だが、25~50年くらいの間伐材を活用し、しかも低コストな割り箸があっても良い。最近日本では無駄なく心材までかつら剥き出来る機械も開発され、殆ど無駄なく活用できる工夫がなされているらしい。名前は「間伐材活用」ではなく、れっきとした「国産材使用」と明記してもらいたい。

あの有名な居酒屋チェーンの社長さん、どうせやるなら会社で零細割り箸生産者に機械をプレゼントし、間伐材で生産した割り箸を使ったらどうですか?居酒屋チェーン店はもちろん、老人介護施設などでも需要が有り、割り箸の袋には環境問題に真剣に取り組んでいる旨を書けば良いのです。

それとあの逆境の中国製品と言えば、あの白過ぎる割り箸は一抹の不安が付きまといます。

※ 雑用に追われ、未だに山は遠ざかる一方です・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草木塔

2007年07月16日 | 林業


「草木塔」?。この名前をご存知の方はどの位いるでしょうか?実は自分も名前は聞いた事はあったが、その歴史的な背景とそこにこめられた意味を知ったのは最近の事だった。

草木塔は、江戸中期の安永年間、上杉鷹山公の時代に建立されはじめた草木の魂を供養するための石碑です。 草木にも人間と同じように霊魂が宿り、その草木を伐り倒し恩恵を得ることに対する感謝と供養の心が込められています。全国的で100基に満たないとされる草木塔のうち、60基余りが山形県の米沢市を中心とした置賜地方で確認されています。素朴さと優しさを感じさせるその石碑は、草木への感謝の思いをこめ、静かに風景な中にあります。この五十八基のうち最古のものは、米沢市塩地平にある草木供養塔で一七八〇年(安永九年)に建立されました。

このきわめてユニークな石碑の由来は、草木の生命を人々の生活に取り入れるために採取したり、伐採したりした草木の霊を慰めようという思想から生まれたものと考えられています。今、世界中でフロンガスによるオゾン層の破壊や、二酸化炭素増大の一因とされる木の伐採による緑の減少など、これらの環境問題が大きくクロ-ズアップされていますが、先人の残した教訓はいまに改めて認識すべきものでしょう。

【ある草木塔に寄せた梅原猛氏の讃】

「草木塔」というものが山形県にたくさんあることを聞いて、私は一種の感動を禁じえなかった。それは、少なくとも私の住んでいる近畿地方には存在しないが、まさにそれは日本仏教の《山川草木悉皆成仏》という思想を具現化したものである。私は、日本に仏教が入って《山川草木悉皆成仏》というような思想ができたのは、もともと日本には草や木に生きた神を見る思想があったからだと思う。
 山形にこのような草木塔が多いのは、そこには多分に一木一草の中に神性を見る土着思想が強く残っていたからであろう。
 今ここに新しい現代の草木塔が建立されるという、それは目立たないけれど、甚だ時世にそった快挙であると思う。今、世界の人はもう一度人間の生命がいかに草木の生命とつながっていて、草木とのつながりなくして人間の生命がありえないことを深く認識しなければならない。この時にあたって、新しい草木塔の建立は、時代に一つの警鐘を与えるものであとうと思う。」 梅原猛 国際日本文化研究センター所長 哲学者

○ 梅原猛/1925年、仙台市出身。哲学者、文化勲章受章。ものつくり大学初代総長等を歴任。著書:「梅原猛の授業 仏教」2002年、「水底の歌 柿本人麿論」1973年、など多数。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

これも地球温暖化?

2007年06月04日 | 林業

今回は山菜取りの終盤戦となるフキ取りに早朝出かけた。場所は毎年まとまった収穫の出来る、扇状に斜面の広がった杉の植林地で、1時間半で12.0kgをむしり取って満足感に浸る。杉の木が生長するに従って勢いは落ちてくるが、土の養分が集まる下部では太くて長く、斜面が湿潤な為柔らかくて上物が揃っている。

そんな気分で植林地を登って行くと驚いた。樹齢80~100年位になる杉の木が8本程、途中で折れたり弓なりになって裂けている姿だった。ここは長伐期のそろった良木揃いで、中でも自慢の大切な林だった。折れた木は無残な光景で、大きく裂けた弓なりの杉は鋭い悲鳴を上げ、まるで何かを訴えているようだ。

今年は7年前の雪害の時とは異なり、60~100年位の木に被害が多く、その殆どは東斜面の上部に集中している。7年前の同時期の雪害の原因は積雪150cmのドカ雪だったが、今度のケースは12月の後半に雪が60cm降り積もったのみだが、その雪は今までに無い様な湿った雪だった。その時は西風が重い雪を東斜面に運び、それに耐え切れなくなった木が幹から折れたと思われる。もともと杉の木には雪への防御能力が有り、寒くなると水分は少なくなって幹が硬くなり、雪の重みに耐えて冬を乗り切る。しかし今シーズンはその備えが整わないまま、突然の雪から守るすべがなかったと思われる。流石に85歳になる年寄りも始めて見る光景で、驚きとと共に大きな落胆を味わう結果となった。

今、地球温暖化が全世界的にクローズアップされているが、殆どは50~100年後の心配事として我々にまり実感はない。しかし山林を守る為に手入れを行ってきた立場からすると、どうしようもない自然の変貌が身に迫っている様に思える。100年以上も手を掛けて立派な木に育ててもそれを失う時は一瞬で、大自然の猛威にはまったく対処のしようがない。これから叉同じことが繰り返されると、雪国の山林は本当に困った事になってしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

切捨て御免

2007年05月13日 | 林業
              私ではありませんが

久しぶりにチェーンソーを回したら良い気晴らしになった様な気分?
早起きしてゼンマイ・ワラビを取りに行ったらこれがまったくのスカ。この地ではまだ1週間ほど早い様で、まだはしりのか細い物がチョロチョロ程度で、とても収穫する程の代物ではなく退却。作戦変更で2度目のタラノメ・コシアブラを取りにいったらこれがもう遅く、しっかり開いてしまって後の祭り。3日も経つとすっかり盛りを過ぎてしまう。何処も中途半端でこれほど収穫が無いのも珍しい。

すっかり朝からストレスがたまってしまったが、気を取り直して杉の被害木処理でチェーンソーを回すと、何か気分がすっきりした様で良い汗を流した。切捨て間伐の要領でバッサバッサと切り捨てる。まあ、毎日本業でやっている人なら別だろうが、サンデーウッドマンにとっては良いストレス解消の時間ともなる。暗くて荒れていたのが見違えるような林になった時、満足感も十分で後で呑む酒も旨いという寸法。これに山菜のツマミがあれば言う事は無いのだが・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今が嬉しい山の恵み

2007年05月07日 | 林業

この時期は山に感謝したい最も好きな時期だ。実家の裏山は樹齢45年ほどの杉林だが、今の時期はコシアブラ・タラノメ・コゴミが取れ、自家消費が出来ない量は親戚・知人などに配り歩くのが楽しみの一つ。特に最近人気の有るコシアブラ・タラノメはちょうど良いタイミングで、1時間半くらいでタラノメ2.5kg・コシアブラ3.0kgの収穫。おまけに畑に植え付けた山ウドもどんどん成長し、3.0kg位引っこ抜いた。

じつはこの恵み、最近の里山の状況と無関係ではない。最近の中山間地では過疎化が進み、下刈り・間伐がされず荒れ放題になり、森林の荒廃が問題となっている。伐期40年以上になる杉林だが、殆ど手入れされていないとどうなるか?杉の木はモヤシの様ないわゆる「線香林」となり、細く密生した林の中には光が指さなくて暗く、広葉樹の生えてこない殺伐とした世界になる。当然にカモシカまたはウサギ、リス等の小動物、あるいは小鳥なども生息できず、死んだ林といって良い様な世界となって行く。

しかしここで人間が下刈り・除間伐・間伐など適正な手入れを行うと状況はまったく変わる。杉の木の枝が触れ合う程度に管理されると、満遍なく光が地面に差し込み、風通しも良くなって広葉樹が生長を始める。杉の木も活力を取り戻して青空に向かって伸びて行き、自然とカモシカなども生息する豊かな森となる。
その副産物として恵みを受けるのが、コシアブラ・タラノメなどの人気の新芽だ。特に下刈り6年目の林は1.5~3mくらいに成長したコシアブラで溢れ、山菜取りファンにとってはたまらない。特に良く日が指す場所ではタラノメも良く取れる。6月頃になると昔は桑畑だった平地が広大なミズの畑となり、原木ナメコ・シイタケを栽培するのにも適地となる。

つまり、一度人の手に掛かった人工林は放置する事は出来ず、植林~下刈り~間伐~主伐~植林のサイクルを持続しなくてはならない。立派な杉の木を育てる事と同時に、それによって自然の恵みを享受できる。それを人間が放棄した時、自然界の力では容易に復元出来ない、生態系の混乱が人知れず進んでしまう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地球温暖化?

2007年04月22日 | 林業

毎年のこの時期には山林の林道を点検するのだが、今日はあまりの雪害の様子に驚き、落胆してしまった。今年は暖冬で雪害などまったく予想しなかったが、昨年12月に降り積もった湿った雪の被害で、多くの杉の木が途中から折れたり、根元から倒壊していた。

たしかに7年ほど前の大雪の年にもひどい雪害が有ったが、今回は樹齢60~80年、あるいはそれ以上の商品価値の高い木の被害が目立つ。人工林は放っておくと林が荒れ、土壌が雨で流されて土砂崩壊まで引き起こし、どうしても人の手入れは欠かせない。長い年月に渡り手入れをしてきた立場からすると、落胆と共に自然の力の脅威を肌で感じる結果となる。

通常12月頃の雪は積もっても風などでやがて落下し、異常な大雪の時を除けば大きな被害は出ない。積雪はたかだか30~40cm位だったようだが、気温が高くひどく湿った雪だったようで、85歳の年寄りでも今までこの様な記憶は無い様だ。この予期する事の出来ない変化が人知れず進行し、一気に牙を剥くとこの様な被害となる。何か大自然からの危険なメセージのように感じてしまった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉の枝打ち

2007年03月11日 | 林業

この時期特にとかく悪者扱いされる杉の木だが、冬季期間に良く行われる枝打ち作業をやった。なぜ今頃かと言うと訳があって、切り口から雑菌や病害虫が進入しない冬場が適しているのだ。しかも積雪が多いと高い所までノコギリが届き、雪の締まったこの時期なら移動が楽で都合が良い。
普通に行われる枝打ちは地上2.5mくらいまで、長い柄の付いた枝打ち用のノコギリで切り落とすが、今回は樹齢45年くらいの林で樹高が高く梯子を使っての作業となる。この山林は民家に近く、農道に隣接しているので枝が張り出しており、見るからに手入れが行き届いていない雰囲気で見栄えがしない。杉は明るい方向に向けてどんどん枝を張る為、片側方向の空間に向けて太い枝に成長する。いわゆる「暴れ木」と言うやつで、木は大きく成長するが製材すると大きな節だらけで商品価値は低い。
木にしっかり固定した梯子から枝に乗り移り、高さ8m前後までの枝をノコギリで落としてゆく。枯枝に体重を掛けて折れるとえらいことになるので、慣れるまでは枝が信用できなくてちょっとビビリ気味。しかしクライミング用のウエストベルトにシュリンゲを結び、自己確保さえ出来れば何も不安はない。要領は上から下に順々に切り落とし、木にくぐしたシュリンゲを下にずらして行けがば良い。
終わってみると林はすっかり明るくなり、太陽もふんだんに差し込んで内部の木々の生長も良くなる。確かに山村の風景としては農家の裏山は座敷林となっており、枝打ちされて手入れの行き届いた風景は美しく、山主の山林に対する畏敬の念を感じさせる。作業を終えると気分もすっきりし、これからもどんどん成長してくれと願うばかりだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間伐材の出番

2006年10月23日 | 林業

この35年位の間には国産材の価格が低迷し、以前は商品価値を認められていた間伐材も需要そのものが無くなってしまった。かつては貴重な現金収入を見込めた間伐材も、今となっては切り捨て間伐が当たり前で放置され、やがては虫食いが広がって最後は土に返る。

かつて杉の木で建てた日本家屋は寿命が長く、田舎の民家などは50~100年位が当たり前だった。例えばかつて自分の育った実家の古い家はは30年ほど前に解体したが、茅葺の家の歴史は実に150年程はあった。山間地では冬には150cm程の積雪に耐え、また夏は盆地特有の猛暑の夏を乗り越えて、長年に亘り田舎の人々の平穏な暮らしを守って来た。この過酷な自然条件を生き抜くのは豊かな人間の知恵だが、もう一つにはその土地の気候風土に合った杉の木の活用が不可欠だった。

伝統的な木造家屋の柱や梁、分厚い床板や天井板、引き戸や板襖、箪笥や棚、果ては梯子から農機具、味噌樽など、ありとあらゆる物が杉材で出来ていた。杉の木は柔らかくて加工し易くまた耐久性が有る。それだけ生活と密着した杉材は大事にされ、この土地でもおそらく150年くらい前から植林され、大事な収入源と財産形成の基盤を成して来た。

こんな不遇な間伐材の復活と活用をしようと、小さな公園造りに取り掛かった。前に間伐して杭を作ったのでこれと使い、三方を杭で土留めしてスペースを作り、テニスコート1枚分くらいの広場を作ってみた。作業はとても自分の手に負えない為、近くのパルプ材の伐採業者に頼んだが、パワーシャベルや高性能林業機械を動員して完成した。今のところ具体的な使用目的も無いが、ナメコ、シイタケのホダ木を並べたり、一面に生えるミズ畑、辺りに生えているタラノメ、コシアブラ、アイコなどの山菜取り広場などこれからが楽しみもある。つまり老後の対策とでも言うやつでしょうか。それと哀れな間伐材の供養にもなるかも?


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間伐にも良い季節

2006年10月02日 | 林業

先日、久しぶりの間伐作業をやってきた。樹齢40年くらいの杉林なのだが、以前は冬になると多くの杉の木が伐採(主伐)され、伐採業者がトラックで搬出して市場へ向かって行った。柔らかくて加工がし易くまた耐久性もあるので、当時は3寸角(9cm角)、3寸5分角(10.5cm角)として住宅用の柱材、梁用材に良く使われていたが、今となっては輸入材の米松、集整材にとって替わり、市場価値は下がり価格も低迷している。

現在では価格は米松と殆ど同じくらいかむしろ安い位だが、乾燥が不十分だと曲がって狂いが出やすく、効率と価格を最優先する今の建築市場には競争力があまりない。しかも流通量が少ない為供給量が不安定で、品質の整った安定した流通システムが出来ていない為に、次第に悪循環に陥っているのが現状です。

何でこんな事になったかというと安い外材の輸入が野放しになった事も一因だが、実は設備の整った乾燥施設も無く、流通システムも複雑で旧態依然としている事にも原因がある。業界全体が零細企業で利益の出る体質ではなく、品質の良い商品を安定的に供給しようとする、ビジネスとしては当たり前の自助努力が欠如している事に大きな原因が有った。30年位この状況が進行すると次第に事態は悪化し、どうやっても利益の出ないどころか赤字が累積する、産業としては成り立たない所まで追い込まれた。つまり見捨てられた産業と言える。

そんな理由で、今は40年ほどで主伐することは少なくなり、60~80年の長期伐期を目指した山林経営が主流となっている。しかし問題はそれまでの面倒を誰がどうやってみるのかという事だ。間伐、枝打ちにも僅かばかりの補助金が交付されるが、人件費、機材、油代等などを差し引くと実質赤字が当たり前。国有林、県有林などでは森林組合などが請け負い、山間地の活性化の為行われているが、民間の林でこれをやろうとする人は稀。国の補助金をもらって自分の財産を整備する事はどこかおかしいが、ポリシーが無くまた有効に機能しない国の政策が現実なのです。

今回は気晴らしを兼ねて25本程間伐したが、これはいわゆる「切捨て間伐」と言うやつで、活用のしようがない間伐材は枝を落とし、5m位に玉切ってそのまま放置した。中には坪木の冬囲い用に使える細木を何本か確保したが、林の中は直径20~30cmくらいのスギの木がゴロゴロ転がっているとい状態となる。林道から5m程しか離れていない場所だけに、ああもったいないと思いながら汗を流しておりました。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

間伐杭

2006年09月18日 | 林業

今日は田舎の山でちょっととした間伐作業で汗を流した。
「間伐」をご存知の方も多いと思いますが、これは杉の林が成長して混み入ってしまい、林が暗くなって下草が生えなくなり、定期的に本数を間引きする作業の事を言う。これをやらないと杉の木は細くモヤシの様な線香林となり、下草も育たないと表土が雨で削られ、大雨の時に根こそぎ流される事も有る。

しかし現実には適切な時期の間伐がなされず、殆ど手入れされずに放置されているのが多い。なぜかというと間伐に掛かる費用がかさみ、しかもその間伐材は今や商品価値がなくなって売れない。したがってわずかな補助金をもらっても間伐する人は少なく、日本全国で30~50年くらいの杉林が惨めな姿をさらしている。

30~40年位前ならば間伐材は特に土木関連で需要が有り、一定の収入の見込める大切な山仕事だった。その為杉林は見事に手入れが行き届き、40~60年で主伐(出荷する為の伐採)された木は高値で取引された。その当時は下手なサラリーマンや公務員などよりは高収入が得られ、山間地は今と違って大変活気づいていた。

その後はご存知のように安い南洋材、北米産の米松、今はシベリアから多量に輸入され、国産材の杉の木、檜は次第に市場から駆逐されて行く運命にあった。しかも現在は大手住宅メーカーが市場を握り、日本伝統の軸組み工法の家から鉄骨系、もしくは北米産の木を使ったパネル工法へと移り変わり、国産材そのもののニーズが先細りとなっている。

今日は法面の土留めに使う目的で樹齢35年程の木10本を間伐し、10~20Φcm×1.8mの杭を40本に切りそろえた。杉の木といえども腐りやすい皮を剥ぐと地中では2~30年は持ちこたえるので、手頃な土木工事の材料としては適している。ただし搬出の手間のかからない林でないと面倒なので、今回は作業道が整備された近所の家の林を無料で間伐させてもらい、その間伐材をありがたく頂くというものである。

この地のような山間地では集落内で相互扶助の雰囲気が強く、お互いに持ちつ持たれずの関係が良く見られる。ましてや不在地主となったサラリーマンた多く、こういった申し出などは大変歓迎されて好都合。綺麗に間伐された林を見ると気分も良く、ストレス解消にも結構役に立ちそうです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする