東北アルパインスキー日誌 ブログ

東北南部の山での山スキー、山歩き、山釣りなどと共に、田舎暮らしなどの話を交えながら綴っています。

パチンコ

2006年07月06日 | 山スキー
フィットフェルト締め具 画像は「天然食館」さんサイトから転載させて頂きました。

「パチンコ」 山スキーヤーでこれをご存知の方はど位いるだろうか?パチンコとはまたの名を「フィットフエルト」とも言う。この締具は革製のバンドにフック式の金物を取り付けたもので、ヒールフリーで登山靴、スキー靴、またはゴム長靴でも使用できる便利な代物だ。フィットフエルトもご存知の方は少ないだろうし、もしご存知であれば少なくても私より年代は上の山スキーヤーでしょうか。

自分は長年山スキーをやって来て、ある意味でラッキーな体験をした一人と思っている。いま使っているビンディングは多機能、かつ高性能のディアミールだが、ここまで至る間の変遷は実に長い。これは子供の頃の遊び道具を含めての話だが、山スキー関連という考えからすると次の様になる。パチンコ(フィットフェルト)→カンダハー→ジルベレッタ100?(初期のワイヤー式)→サレワツアービンディング→ディアミール。

ディアミール以前はあまり山スキーをやっていなかったので、当時山スキーで主流を占めたジルベレッタ400系を使ったことはなく重要な部分が欠落しているが、それ以前のパチンコとカンダハーには色々とお世話になった経緯がある。えらい大昔の話も同然でこうしたかつての愛好家はきわめて少数派だろうが、自分にとってはスキーの変遷を辿る上で貴重な経験と思って実に思い出深い。

フィットフェルトとの最初の出会いは小学生1年生の頃、ゴム長靴に単板スキーに竹のポールというスタイルの時代だった。板にはエッジなどは無く、ソールも今のようなポリポロピレン製では無く木にラッカーを塗った安物だった。購入先はスポーツ店などではなく、近くの金物やとか本屋などで買った思い出がある。要するにスポーツ用品でもなく、生活に直結したした用具でもない、単なる遊び道具、要するに「おもちゃ」だった。

この単なるおもちゃの締具なだが、実は今の山スキーの基本的な要素を含む多くの思い出がある。子供の頃はといえば山奥暮らしで、冬になると子供の遊びばソリとスキーが唯一熱中できる時間だった。近くにスキー場などというものは無く、フィールドは裏山の伐採地跡とか杉の植林地で、もちろん踏み固められた斜面などは無く、自分の板で踏み固めてコースを作るのが常識。

スキーは直滑降オンリーでターンする知識も技術もなく、ひたすらスピードを出す事とジャンプごっこをしてはしゃいでいた。そして同じ斜面に飽き足らなくなると雪を掻き分けて山のてっぺんを越してゆき、次の山の斜面を物色してコースを踏み固める。山を越した時の新しい発見と驚きに心が躍り、ジャンプ台を作って飛んだ時は興奮物だった。わずか5~10m位だったろうが20m位は飛んだ気分になって有頂天だった。散々転んで全身雪まみれになりながらも深雪との戯れの時の感触は楽しく、それは今の山スキーでも同じだ。

このヒールフリーの便利なこの締具こそテレマークスキーの初期スタイルであり、滑りにジャンプ、それに雪山を縦横無尽に歩き回れるスキーは、ソリ遊びと違って無限の可能性を持った夢の様な遊び道具でもあった。たとえスキーシールなど無くとも階段登行で殆ど斜面は登り切る事が出来た。今思えばこうした雪山での思い出が摺り込まれ、今の山スキー道楽に通じているのかも知れない。おそらく自分に限らず、東北を中心とする雪国生まれのご同輩には共通する経験、思い出ではなかろうか?

今年の1月に亡くなられた故、三浦敬三先生が八甲田で見事なパウダーのツリーランをされている映像を見た事があるが、おそらくこのフィットフェルト時代のものではないかと思う。ここまでに辿り着くスキルは相当高度なもので、すっかり用具に頼り切った我々のレベルとは無縁の物かもしれない。

ちなみに自分の夢は自衛隊ご用達のあのウロコ付きの板で、南屏風のパウダー斜面をウエーデルンで下る事です。何とかあの板を調達する方法は有りませんかね?

コメント
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