雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月19日(水) 尖閣諸島問題は「北京問題」「東京問題」です

2012年09月20日 06時07分52秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月19日(水) 尖閣諸島問題は「北京問題」「東京問題」です

 「尖閣諸島問題」は「領土問題」というけど、どっちの領土かと争われている「尖閣諸島」に問題があるのではないと思います。

 つまり、問題は中国の首都、北京と、日本の首都、東京にあります。とくに、中国共産党大会を10月に控えて最高指導者(総書記)が交替する北京にあると思います。

 中国共産党は任期4年、2回、つまり8年で最高指導者が交代します。1年で交替してしまう日本より安定的でいいですが、その8年ごとの交替が来月にあります。

 つまり胡耀邦さんから習近平さんに交替するので、今回のいろんな事態は、当然、習近平さんの許可と指導の下でおきていると思います。

 「東京」の方は、震源地の東京都知事石原さんと、首相官邸の対応が割れていて、統一的でないのが問題ですが、1960年代に毛沢東さんのいうことを聞かなかった北京市長の時代と違って国と言うことの違う北京市長などありえない習近平さんには「東京問題」は分けがわからないかも。

 習近平さんは、尖閣諸島の日本「国有化」は「茶番劇」だと言ったそうですが。尖閣国有化が茶番劇なら、中国の「国有企業」も「茶番劇」になりますね。

 習近平さんも、石原慎太郎さんに似て、品位にかける指導者なのでしょうか。

 習近平さんや、中国の支配体制のことは、これから調べて考えたいと思います。

 


原発と放射能の本 13 肥田舜太郎さん著『内部被曝』扶桑社新書、2012年

2012年09月20日 05時56分30秒 | 原発を考える1

原発と放射能の本 13 肥田舜太郎さん著『内部被曝』扶桑社新書、2012年、定価724円+消費税、

 この前(9月中旬)に本屋さんで見付けてすぐに買いました。

 以前に。「原発の本 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』ちくま新書、2005年 2012年03月16日 21時24分09秒 | 原発と放射能の本 」を紹介しましたが、この本は今年出版ですから、3.11以後でそのことも書いてあり、必読だと思います。

 肥田さんは「広島で被爆して以来、6000人の被爆者を診てきた95才の医師が警告」と帯にあります。

 目次は以下の通りです。

 第1章 原発事故の影響でこれから何が起きるのか

 第2章 体を侵す放射線障害

 第3章 低線量被曝のメカニズムを解明した「ペトカウ効果」

 第4章 低線量・内部被曝の怖さ

 第5章 被爆体験と「原爆ぶらぶら病」

 第6章 “一億総被曝社会”を生きるには

 第7章 原発のない社会に向けて

 


雨宮日記 9月18日(火) 日本は大雨、中国は日本企業を襲う火と破壊

2012年09月19日 06時02分52秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月18日(火) 日本は大雨、中国は日本企業を襲う火と破壊

 ぼくは「尖閣諸島は日本の領土である」と認識していますが、中国の政府や集団や個人が「尖閣諸島は中国の領土である」と主張すること自体には反対ではありません。

 言論は自由ですから。

 しかしデモ行進ではなく、暴力で日本企業の中国工場を破壊・略奪・放火したり、日系のお店を襲ったり、日本人に暴力を加えるのは、してはならない行為です。

 ひどいですね。

 ところが中国政府は、今日の新聞に寄れば、こういう中国人の行為について、逮捕や損害賠償をする気はまったくないようです。日本の態度に責任があるという理由のようです。

 とすれば、これは中華人民共和国が、まったく法治国家ではなく、政府の容認する行為をすれば法律は適用されないという、まったくの「無法国家」であることになります。

 ぼくは、中国政府にたいして「犯罪当事者の逮捕と法律による法廷での裁判、そして当事者への損害賠償、当事者に賠償能力がなければ政府が責任をもって賠償することを求めます」

 こういう内容で、中国大使館に郵便を出そうかなと、思います。


雨宮日記 9月16日(日) 中国で激化する「反日行動」いや「反日暴動?」

2012年09月17日 06時07分24秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月16日(日) 中国で激化する「反日行動」いや「反日暴動?」

 「反日の行動自体は正当だが、暴力は不当だ」というのが公式的な意見だろうと思います。もちろん、それは正しいと思いますが、なぜ中国のたぶン青年たちの行動が暴動化するのかという点です。

 テレビで見る限り、日本のたとえば反原発行動と違うのは、第1に、日本は平和的行動で、暴力や直接行動は主催者が抑制しています。

 第2に、参加者は中国は若い男性がほとんどで、日本のように子連れの女性や家族がほとんどいません。

 第3に、日本では主催者によって行動の性格はそれぞれですが、中国の行動は、報道では誰が主催者なのかもわかりません。もしかしたら本当の主催者は中国共産党で、一般人はそれに参加しているだけなのかもしれません。

 中国のデモを見ていると、近代以前というか、市民社会以前というか、日本では、たとえば日露戦争終結反対デモや、米騒動や、あるいは1960年の安保闘争の頃まで、でしょうか。

 どっちが正しいとか、間違っているとか、じゃないですよ。

 なぜそうなるのかを、解明しないと、どんな問題でアレ、日中間、あるいは中韓間、日韓間、などの問題は解決しないような気がします。

 問題の内容はそれぞれ違っていても、問題の解決の仕方はかなり似ているということです。

 


原発ニュース 9月14日 政府「革新的エネルギー・環境戦略」決定

2012年09月16日 16時33分41秒 | 原発・放射能ニュース

原発ニュース 9月14日 政府「革新的エネルギー・環境戦略」決定

 政府「エネルギー・環境会議」は9月14日(金)、「革新的エネルギー・戦略」を決定公表しました。

 その全文(PDF)は以下でダウンロードできます。全文で22ページ。

 http://www.npu.go.jp/policy/policy09/pdf/20120914/20120914_1.pdf

 問題点は自分で呼んで自分で考えましょう。


古代史の本 こうの史代さん画『ぼおるぺん古事記(一)天の巻』平凡社

2012年09月15日 20時21分15秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物

古代史の本 こうの史代さん画『ぼおるぺん古事記(一)天の巻』平凡社、2012年(平成24年)5月25日初版第1刷~7月7日初版第2刷、127ページ、定価1000円+消費税

 こうのふみよさんは、1968年9月、広島市生まれのマンガ家。主なコミックは、広島原爆を描いた『夕凪の街 桜の国』、戦時下の呉に住む女性とその家族を描いた『この世界の片隅で』、現代エッセイ『ぴっぴら帳』などです。

 今年は「古事記」1300年なので、他にも里中美智子さんが描いているようです。

 こうのさんのペンタッチは「ぼおるぺん」的で、あまり陰影を描きこまないので、題材が暗い場面でも暗くならなくて、芯のある明るさがあって、とてもいいです。

 文章は、ほとんど原文に近いのでしょうか。現代文になっていませんが、絵で読めるので、非常に読みやすいです。

 目次は その1 なれりなれり、その2 あなにやしあなにやし。その3 うみうみ、その4 よみよみ、その5 そそぎそそぎ、その6 べそべそ、その7 さがみにかみ、その8 ゑらぐゑらぐ、その9 くさぐさ、その10 なづちなづち、その11 すがすが。

 (二)地の巻は9月中に、(三)海の巻は11月に刊行予定だそうです。(四)以後はあるのかな?

 

   


遠州古代史 イナサと小国神社と「国譲り」神話

2012年09月15日 16時51分01秒 | 遠州古代史

遠州古代史 イナサと小国神社と「国譲り」神話

 「古代史の本」で紹介した「池田潤著『古事記のコード 太陽のラインと隠された古代地図』戎光祥出版、2011年」に解明されていたことを紹介します。
 新浜松市の北区に「引佐町」があります。この「いなさ」「引佐町」は合併前からの古い町名です。この「引佐」に関連した点です。


 まず出雲神話で高天原からの遠征隊が出雲に降り立って、出雲の王者「大国主(おおくにぬし)」に「国譲り」を迫った歴史的な事件です。この時点で、日本列島の支配権が出雲国家から新しい「天孫族」に移ったわけです。
 この遠征隊が降り立ったのは「稲佐の浜」でその真東に大国主の大神殿「出雲大社」があります。この国譲りは有名な話しです。

 ところがあまり知られてない、別の国譲りの話しが伊勢にあります。『伊勢国風土記逸文』によれば西から進撃してきていったん敗戦で南から大和に侵入したイワレ彦(後世名、神武天皇)が天日別命(あめのひわけみこと)に、ここから東へ行けと命令されて兵を率いて伊勢へ行き、土着の伊勢津彦という神を「国譲り」させ、追い払って(信濃に移住したとあります)伊勢をヤマト国家の領土にしたという話です。
 そしてこの伊勢の地にヤマト国家が創った伊勢神宮が、じつはヤマトのいなさ山の真東にあるのです。

 つまり、2ヶ所で「いなさ」は天孫族による土着の国つ神へのお「国譲り」と関連しています。そして「いなさ」と重要な神社は東西線に乗っています。とすると、浜松の「引佐」も、そういう関連を予測することができます。遠州は出雲系の神々が多いところです。

 遠州の一宮は森町の「小国神社」です。祭神は出雲系のオオナムチ命です。大國主と同一視されますが、それが正しいかは別にしても出雲系であることはたしかです。
 さらに「大国主」「大きい国」にたいする「小さい国」「小国」は呼び方が合っているのではないでしょうか。 
 しかも、小国神社から西に延ばした東西線は、引佐町の中をつっきっています。何か、この線の上に重要な山や神社があるでしょうか?あるいは古墳?

 今日発見したのですが、この線をさらに西に延ばすと、西隣の「三河国」の一宮である「砥鹿(とが)神社」が同じ線上にのってきます。祭神は同じオオナムチ命です。
 漢字にすると「大己貴命」です。
 ネット「ウィキペデイア」で見ると、小国神社は北緯34度50分51秒。砥鹿神社は北緯34度50分51.59秒。わずか0.59秒の違いしかありません。基準点は不明ですが、偶然の一致ではないと思います。どうでしょうか?

 考えられるのは、この遠州にも他の2カ所のような「国譲り」の神話が本来存在して、弥生の出雲系の在来勢力をヤマトから来た新興勢力が征服した実話と物語があったのではないでしょうか。
 


 


遠州古代史ニュース 9月12日 東区天竜川町「松東遺跡」で銅鐸破片発見

2012年09月15日 05時30分48秒 | 遠州古代史

遠州古代史ニュース 9月12日 東区天竜川町「松東遺跡」で銅鐸破片発見

 浜松市文化財課は、天龍川町の「松東遺跡」内の穴の中から銅鐸破片を発見したと公表しました。
 破片は縦約20センチ×横約25センチで、銅鐸の「釣り手」部分です。
 松東遺跡はJR天竜川駅前(北側)にある、天龍川平野の微高地に位置して、周囲に壕を廻らせた集落が確認され、これまでにも銅鐸の小片が出土しています。
 今回の破片は弥生時代後期の「近畿式」です。
  ☆
 弥生時代後期にこの地域の銅鐸文化圏の勢力が、銅鐸を信仰しない新しい勢力、つまりもっと西からやってきて古墳文化の剣や鏡や玉を信仰する勢力に征服もしくは屈服して、これまでの文化を自ら放棄して破壊したか、新勢力が破壊したか、ではないでしょうか。

 ちょうど「 日本古代史 銅鐸の古い名称は「沼(ぬ)」? 2012年09月13日 06時01分2秒 | 雨宮日誌 」を書いたら、その日の朝の新聞記事で掲載されました。偶然ですが、すごいヒットです。 

 松東遺跡は以下で紹介しました。

遠州の遺跡・寺社 57 東区和田町「松東遺跡」の「銅鐸」の耳飾り破片出土地2011年10月19日 05時52分33秒 | 遠州古代史

  ☆

 同日、昼間に補足。歴史学者の網野さんが、土の中は、人々にとって「異界」であると書いていました。とすると土中に埋める行為は、何を意味するのでしょうか?すくなくとも各地で銅鐸をそのまま埋める場合と、今回のように破砕して埋めるのとでは意味が違うようです。

 


日本古代史の本 池田潤著『古事記のコード』戎光祥出版、2011年

2012年09月15日 05時27分03秒 | 日本と世界の古代史・遺跡・遺物

日本古代史の本 池田潤著『古事記のコード 太陽のラインと隠された古代地図』戎光祥出版、2011年(平成23年)12月1日初版初刷、267ページ、定価1800円+消費税、
 
 この本は、『古事記』『日本書紀』などの日本神話と地名に関連して東西ライン、夏至冬至線などを追求した、日本列島のレイラインの「まとめ」の様な本です。とくに「消された富士山」の謎を追っていて、必読です。
 たとえば富士山を通る北緯35度21分の東西線を西へ辿ると、古代の13の国を通ります。この13の国のうち7つでそれぞれの国の「一宮」がこの線上に位置しているのです。
 あるいは現在の宮崎県「日向(日に向かう)」から夏至の日の太陽の日の出の方角に、四国の足摺岬、室戸岬、伊勢の朝熊ヶ岳、そして富士山があり、最期に「日立」に至るラインも指摘されています。
 こういう目で著者はイザナギ・イザナミや神武天皇の通ったという道を辿ってその意味を解明していきます。
 以下、ここに展開された古代の地名や古代の神々の解明は,別途個々に紹介していきたいと思います。

 


原発ニュース 9月11日(火) 国会原発事故調査報告書が徳間書店から市販

2012年09月15日 05時17分25秒 | 原発・放射能ニュース

原発ニュース 9月11日(火) 国会原発事故調査報告書が徳間書店から市販

 これは本来は「原発と放射能の本」で書くべきですが、まだ実物を手に入れていないので「ニュース」としてお知らせします。

 国会の事故調査報告書は、7月5日に衆参議長に提出された報告書の全文を本にしたものです。

 徳間書店から9月11日に発売、なんと594ページで、定価1680円です。

 内容については、手に入れて読んでから判断します。

 なお、政府事故調、東電事故調は本になっていないようですので、しょうがない、ネットでダウンロードするしかないですね。

 


雨宮日記 9月12日(水) 運転していて横から車が…

2012年09月13日 06時34分28秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月12日(水) 運転していて横から車が…

 則子さんを助手席に乗せて家へ帰る途中、二俣街道、曳馬6丁目のレンタルショップ「つたや」から車がいきなり出てきて、ぼくはうわっと慌てて、自分のアルトをハンドルを大きく右へ切ってよけました。

 なんとかぶつからずにすんだようで、則子さんと「危なかったね。ハンドル切らなかったら、則子さんの左からまともにぶつかってたよ」「ぜんぜんあの運転手見てなかったね」

 名古屋市民生協にいたときに、朝の牛乳配達をする前提でお金をだしてもらって運転免許をとったのが1974年でした。それから38年目、今のところ警察に記録されるような「事故歴」は、ありません。「交通違反歴」は3回だけ、ありますが。

 まともにぶつかりませんでしたが、何かかすったような感じがしたので、家へ帰って、車の左側後部を点検してみたら、こすった線がありました。

 この程度ですんでよかったです。


日本古代史 銅鐸の古い名称は「沼(ぬ)」?

2012年09月13日 06時01分28秒 | 雨宮日誌

日本古代史 銅鐸の古い名称は「沼(ぬ)」?

 浜松・遠州の遺跡・古墳・寺社だけではなく、日本の古代史のことも少し書いていこうと思いますが、あまり系統的ではなく、適当です。

 まず日本古代史の謎「銅鐸」の名称から。 この話題は、以前に紹介した「 本と映像の森74 古田武彦さん『盗まれた神話』ミネルヴァ書房 2010年08月28日 23時05分 」に書かれていたものです。

 このミネルヴァ書房版は、古田さんの以前の著書を再刊していくシリーズで、古田さんの補筆がされています。元の文章はいっさい修正はないと思いますので、良心的だと思います。

 その補筆「日本人の生きた歴史(三)」の「第二 「古事記と銅鐸」論」(p411~417)で、次のような新説を述べています。

 大阪府柏原市に「鐸(ぬで)神社」があり、祭神は「鐸比古(ぬでひこ)・鐸比売(のでひめ)」です(柏原市の管野拓さんの情報)。

 これは「鐸神社」という古名を新しく「ぬで」と読んだのではなく、「ぬで神社」という古名に「鐸」という漢字をあてたのであると古田さんは解釈しています。おそらく正しいと思います。

 そして古田さんは銅鐸というと青銅器だけを考えるが、本来の銅鐸はつるして鳴らす楽器だから、青銅器の取っ手「ちゅう」に「ひも」をかけて使う。だから青銅器と紐がワンセットで「銅鐸」ではないのか。すると。「ぬで」は「ぬ+で」、つまり「ぬ+て(手)」のこと。

 古田さんは青銅器としての銅鐸は「ぬ」ではないかと予測しました。

 そういう目で「古事記」のなかの「ぬ」を探すと、ありました。

 まず「国生み」では「天の沼矛(ぬほこ)」とあります。つまり青銅器である「銅鐸」と「銅矛」のセットです。

 ところが古事記のいちばん古い写本である「真福寺本」では「沼矛」ではなく「沼弟」なのです。「ぬの弟?」、これは当然「おとうと」のことではなくて「音」を万葉文字的にあてはめているのです。

 意味は。当然「沼の音」つまり「銅鐸の音」です。

 つまりイザナギ・イザナミによる日本の「国生みは」、銅鐸の音とともになされたのです。

 というのが最新の古田武彦さん説です。

  ☆

 以上、書いてきたことは「沼弟」と読めるなら、という前提で書いています。これが成り立つかどうか、ボクはまだ確かめていません。みなさん、自分で確認してください。

 ぼくも自分で確認します。今や自称「専門家」「学者」だけに「考証」をまかせる時代ではありません。重要なのは市民自身の手による「テキスト・リテラシー」だと思います。


雨宮日記 9月11日(火) 福島原発事故からちょうど1年半。「浜岡行動」の始まり

2012年09月12日 05時48分59秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月11日(火) 福島原発事故からちょうど1年半。「浜岡行動」の始まり

 今日はN・Yの「9・11同時多発テロ」の日、そして「3/11」「東日本巨大地震・巨大津波」「福島第1原発過酷事故」から1年半の日です。「東日本大震災」とひとくるみで言葉にしてしまうと、巨大地震・巨大津波・原発過酷事故という3つの角度が薄くなってしまうような気がして、こう書きました。

 「御前崎市役所から浜岡原発まで往復で歩きます。ぜひおいでください」というメッセージがあったので、則子さんと車で浜岡へ向かいました。

 ガソリンがほとんど無かったので、いつもの有人スタンドで給油して、浜松から150号線をずっと東へ走ります。曇りの天気で、ときどき雨粒が落ちてきます。

 浜松から1時間くらいで着くかと思って、浜岡原子力館を事前に見てみようと思ったのですが、意外に浜岡は遠くて、見る時間は20分くらいだけでした。それでも、いろいろ発見がありました。後で書きます。

 御前崎市役所へ行って、駐車場に車を置いて、地元のみなさんといっしょに、浜岡原発前まで「原発いらない」を訴えて歩きました。

 午後4時出発で、往復歩き、帰り着いたのは午後6時前。さすがに脚が疲れましたが、心地よい疲れでした。地元のみなさん。参加させていただいてありがとうございました。

 帰りは、赤い夕陽の西空に向かって車を走らせました。

  


雨宮日記 9月9日(日) 新婦人神無月班原発小組の原発学習会第2回でした

2012年09月11日 05時37分00秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月9日(日) 新婦人神無月班原発小組の原発学習会第2回でした

 ぼくが講師で、連続4回の原発学習会の第2回でした。前回の「原子核と放射線」を受けて、今回は「原爆と原子炉」です。

 かなり綿密に準備したつもりですが、まだやはり、不十分な面もあったと思いますが、則子さんが、あとで「あそこが悪かった」「ここは治せ」とネチネチ言わないから、まあ合格水準だったのかな?

 2回とも来てくれる、若いお母さんが生後六ヶ月の赤ちゃんをつれてくるので、参加者に大人気です。

  ☆

 学習会を無事終えて、家へ帰り、夕食をしてから、則子さんに「講師料は喫茶店シーンのコーヒー一杯でいいよ」と強要して、シーンへおいしいコーヒーを飲みに行きました。至福の時でした。

  ☆

 これを読んでいるみなさん「雨宮智彦の 原発出前学習会」を企画しましたので、ぜひ講師として呼んでください。出前に行く範囲は、近場だけです。謝礼は不要。講義は1回から数回まで。できたら3~4回にしてください。

 

 


雨宮日記 9月8日(土) 静岡市へ県学習協の会議へ久し振りに参加

2012年09月11日 05時25分11秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 9月8日(土) 静岡市へ県学習協の会議へ久し振りに参加

 土曜日というのに、早めに起きて、静岡へ出かけました。本来なら、浜松での原発学習会「原発と放射能 大山塾」の第3回なのですが、どうしても重なってしまい、ぼくが静岡へ行くことにしました。

 久し振りに参加した会議ですが「雨宮さん、久し振りですね」と言われ、3年分の会費を支払いました。

 天気予報では午後から静岡は雨となっていたので、透明な傘を持っていこうとしたら、則子さんが「行ってらっしゃい。でもその傘は絶対忘れるから、この折りたたみ傘にしなさい」と言ったけど「忘れないから」と言って家をでました。

 静岡県評の会議室が会場だったのですが、会議が終わり、帰ろうとして傘を持ったら、会議室の隅に置いてあった販売中のパンフと本が目にとまり、一度傘とリュックを置いて本を買った瞬間、傘のことを忘れました。

 則子さんには、まだ、ばれていません。

 「雨宮さん、すぐカエル?飲んでかない?」と言われたけど「明日は、原発の学習会で講師なので」と泣く泣く断って、家へ帰りました。

  ☆

 わが家に宿ったアゲハチョウの幼虫2匹が消えてしまいました。サナギになるとき、何処かへ移動してサナギになると書いてあったと思いますが、ほんとうに影も形も見えません。どこまで行ったんでしょうか。