雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 8月12日(土) 堅すぎる

2017年08月12日 10時51分04秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 8月12日(土) 堅すぎる

 右側がマヒしてるってのは極めて不便で、「要介護」の「障害者」であることに自分は何の疑いもないのだけれど。

 いま午前10時すぎ、則子さんの入れていってくれた「冷たい麦茶」の小さい「マホービン」を左手で開けようとして・・・・開かない!

 あの人が「馬鹿力で力まかせに」締めていったのだ。腹立たしいけど、なんとも、しょうがない。お昼すぎに則子さんが帰ってくくるまで待つか、それとも自分で1階へ降りていって自分で冷蔵庫から開けて飲むか。どうしよう。



雨宮日記 8月11日(金) 雷(かみなり)と雨

2017年08月12日 10時49分47秒 | 雨宮日誌
 
 雨宮日記 8月11日(金) 雷(かみなり)と雨

 今日は「山の日」。先月は「海の日」だったから、来月あたり「空の日」が欲しいと「航空自衛隊」あたりが言い出すんじゃないか。

 昼閒は愛知で大雨。夜になってこっちへ雨が移ってくる。遠くでかみなりが鳴っているのが聞こえたので、慌ててパソコンを消す。

 ひどい雨になり、窓を閉めて寝る。

雨宮日記 8月10日(木) 則子さんは急用で東京へ

2017年08月12日 10時48分16秒 | 雨宮日誌
 雨宮日記 8月10日(木) 則子さんは急用で東京へ

 9日夜10時半ごろに、則子さんの携帯にある人から電話がある。すぐに行動すべきだがもう交通手段が無い。

 則子さんもボクも、まんじりともしない眠れぬ夜を過ごす。

 則子さんは仕事だが電話して急遽、休みに。朝6時20分浜松発の新幹線始発で東京へ向かう。7時50分品川着。

 無事、目的を果たして帰る。午後は仕事へ。

 これで今日は夜、2人ともぐっすり眠れる。

 雨宮日記 8月9日(水) 長崎の日

2017年08月09日 21時48分49秒 | 雨宮日誌
 雨宮日記 8月9日(水) 長崎の日

 今日は雲がなくて、暑い。則子さんは浜北へ行って孫(長男)をお昼まで預かってくる。3歳半でおしゃべりですごく面白い。

 まだ我が家のウサギが怖いようだ。

 午後は、ビデオ撮りをする。まあインタビューということ。だいじなのは、今、「情報の発信者」になるということ、「情報の消費者」でだけではね、ということ。

 夜、うっかりUSBメモリーを2つ洗濯してしまう。16ギガと32ギガだが、一応Vだったようで、無事読める。やれやれだ。

 例の埼玉の暴言代議士の公設秘書に、青森県のある町議がなるという。びっくり。おかしなことが起きるおかしな時代だ。


雨宮日記 8月7日(月) 台風5号がやっと上陸

2017年08月07日 20時40分22秒 | 雨宮日誌

雨宮日記 8月7日(月) 台風5号がやっと上陸

 今日は原水爆禁止世界大会(長崎)の代表の出発で、毎年、則子さんは朝、JR浜松駅へ見送りにいく。

 そのあと則子さんは、午前中、浜松市役所へ被爆者の会の「原爆と人間展」の準備にいく。

 台風5号は和歌山県に上陸。速度が遅いので、台風から抜けるのは明日になる。


新・本と映像の森 79(マンガ12・SF19) 萩尾望都『ポーの一族 春の夢』小学館、2017年

2017年08月07日 14時52分38秒 | 本と映像の森

 新・本と映像の森 79(マンガ12・SF19) 萩尾望都『ポーの一族 春の夢』小学館、2017年

 193ページ、本体648円

 萩尾望都さんの「ポーの一族」の40年ぶりの新作。

 時代は1944年のイギリス西部。だから「1940年 オービン 年取ったリデルに会う」(『ランプトンは語る』)直後の時となる。

 姉ブランカと弟ノアは、ユダヤ人が迫害されるドイツからイギリスに逃れ、エドガーとアランに出会う。

 シューベルトの『冬の旅』「春の夢」を唄い、共鳴するエドガーとブランカ。

 そこに不思議な能力をもつパンパネラ・陽気なフランス人ファルカと、別のパンパネラ一族・オットマー家がからんでくる。

 大老(キング)ポーも登場する。

 そして、やはり、今回の主人公はブランカとファルカだ。

 ちょっと能力の方向が違うような気もするけど、次回作は期待する。とくに「キリアン」のその後には。

 ではともかく、「さようなら、またいつか会えるまで」。



 雨宮日記 8月3日(木) 台風が近づいて風強し

2017年08月03日 21時08分46秒 | 雨宮日誌

 雨宮日記 8月3日(木) 台風が近づいて風強し

 台風5号が本州に近づいて、風が強く涼しい。

 原水爆禁止世界大会のチケットが郵便で届いたので、則子さんは届けに行く。ごくろうさま。

 おじいちゃんが「4日の夕刊がない」と則子さんに言っている。ぼけた訳ではなくて単に間違えただけだと思うが、自分の間違いは絶対認めず、どこまでも言い張るので、則子さんも怒れてしまう。



雨宮日記 8月1日(火) 文庫版を買ってもらう

2017年08月03日 21時07分56秒 | 雨宮日誌
 雨宮日記 8月1日(火) 文庫版を買ってもらう

 今日から8月。

 昨日までで中日新聞連載、葉室麟さん著『影を慕いて』が終了。毎日読んでいたので、則子さんに頼んで、文春文庫版の葉室麟さんの前作『いのちなりけり』『花や散るらん』を買ってきてもらう。

 主人公藏人と咲弥の夫婦がいいんですね。

 もう一つ、原田伊織『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』講談社文庫、これもきわめて面白い。


「自伝 青い地球とオレンジの花」への断章 ① ワープロ・パソコン人生の始まり

2017年08月03日 10時26分59秒 | 青い銀河とオレンジの花
 「自伝 青い地球とオレンジの花」への断章 ① ワープロ・パソコン人生の始まり

  「自伝 青い地球とオレンジの花」を少しづつ書いていくことにする。「断章」として、記憶のあるところから書き綴ることにする。 

 30数年前、1980年代の半ば、時点は今となっては特定できないが、精神的に苦渋の日々、うつうつとした日々を過ごしていたぼくを見かねたのか、則子さんが「何か気晴らしをしたら?」という。それで「気晴らしを兼ねて、「青い地球」<注>を作るのに、ワープロで遊びたいな」と言ってみた。

 則子さんが「いいよ。いくらくらい?」と言うので、当時、まだ発売初めの頃で、記憶装置は別になく、打っている画面上のROMだけという「キャノン・ワードボーイPW-10」という機種を、今はもうない連尺の伊勢屋という文具屋で買ってきた。
 領収証が残っていて「昭和60年(1985年)5月23日 本体78000円、アダプター5000円、合計8万3000円」と書いてある。
 「ワープロ」=「ワードプロセッサー」というのは今のパソコンにプリンターが合体していて、便利といえば便利だったと思う。
 それが「ワープロ人生」の始まりである。その「キャノン・ワードボーイPW-10」は、いまでも「記念に」奧の部屋の本棚の一つに収まっている。
 
 いまウインドウズで使っているワープロ「一太郎」を使い始めたのは、たぶん80年代の終わり頃だと思う。そのころに学習協の会議に参加し始めてパソコンオタクのYさんに出会った頃から、ボクはNEC9801を使い始めてワープロも「一太郎」に切り替えた。以来、30年の一太郎ユーザーである。あの使いにくいワードを何が好きで使わにゃならんのかボクには理解できない。ちらしも使い慣れた一太郎で創っていた。
 当時はデータベースに一太郎グループの「桐 きり」を使っていたが、これはさすがに「エクセル」に切り替えた。

 たぶん最初は、5インチの大きさのぺらぺらのフロッピーデスクを使ったと思う。その後、もう少し小さな3.5インチのフロッピーデスクの時代が続いた。
 30年経ってみると、パソコンの記憶装置は100ギガを越えてしまい、普通に文章を保存するには十分となった。移動用のUSBメモリーも数十ギガとなった。

 ただしボクたちのようにビデオ編集をしていると。それでも足りない。1日の撮影料が100ギガを越えることもあるから、因果な仕事である。
 
 2017年で30年以上、ワープロを扱っていることになる。今は右手はマヒしていいるので、左手だけで文書を打っている。まだまだ文書ワークは続く。


  <注> 「青い地球」 当時ボクが担当者で作っていた浜松市平和委員会の機関紙。1980年創刊。