江戸時代の浅間神社廿日会祭(はつかえさい)
舞楽を奉納する稚児が建穂寺(たきょうじ)を出て
安倍川を渡り浅間神社に向かいました。
「お踟(おねり)はどこだい、安西五丁目」と言われますが、
この言いまわしは、建穂寺を出て安倍川を超えて市中に入る稚児の行列を
安西五丁目で山車が出迎えたことに由来します。
安西五丁目からは、山車を従えた稚児の行列が賑やかに浅間神社まで
向ったといいます。
明治になり神仏分離により建穂寺が廃寺になったこともあり、
大正期からは七間町の別雷神社(わけいかずちじんじゃ)と
紺屋町の小梳神社(おぐしじんじゃ)から隔年で出発するように改められました。
その400年の歴史を誇る伝統行事が
毎年4月5日に行われる「古式稚児行列」というわけです。
本年は小梳神社から出発する年で、
11時に4台の輿に乗った稚児が浅間神社へ向け出発しました。
そのあとに従う形で、神武車(じんむぐるま)、咲耶車(さくやぐるま)、
木花車(このはなぐるま)、稲荷車(いなりぐるま)、暫車(しばらくぐるま)の順に
5台の山車が続き、呉服町通り、中町、浅間通りと進みます。
5台の山車とはいえ、総勢1000人は超える大行列ではあります。
▽ 4台の輿に乗った稚児の列
(稚児は、かつては幕臣の子弟から選ばれたという)
▽ その後を5台の山車が続く
▽左:手古舞姿の少女 ▽右:幼稚園児くらいの少年の見事な面踊り
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