今年になって通勤途中の公園でいつものゲートボールが行われていない。ときどき見かけていた世話好きの親父さんのことが気になっている。今になって思うのだが、これが最後と去年の暮れ仲間のために献身的に競技の準備作業をしていたのだろうか。どこかで元気でいるものと信じる。それとも今は中断しているだけで暖かくなったら再開するというのだろうか。
これまで私の通勤手段に変遷があった。マイカーの期間が最も長い。それほど長くはないが電車通勤もあった。電車通勤のきっかけは明確には思い出せない。思い出したくないのかもしれない。車ではよく事故を起こした。家の近くで電柱やブロック塀にこすりつけたり、T字路で横のドアに衝突したり衝突されたりした。自動車保険の適用はたしか2度で、幸い人身事故は無い。運転者として気質的に欠陥があるということは自他共に認めている。きっかけは自動車運転に対する自信の無さだったのか。こんなわけで勤務の最後の5年が自転車通勤であったことは真に喜ばしいというべきだろう。
自転車通勤の一つのきっかけは自ら招いたあるトラブルのためだ。情けない自分に喝を入れようという気持ちであった。恰好悪いことに動機が健康のためでも地球環境のためでもなかった。ちょうど長男が愛用していたスポーツタイプの自転車が放置されてそこにあった。中学の入学祝に彼が祖母から贈られたものだ。5年前私はこの自転車を乗り潰して廃棄することを自らに課した。慣れてしまえば片道13kmの約50分も苦にならない。玉川上水緑道というコースにも恵まれた。チェーンやペダルは磨耗し、タイヤを支える心棒も折れるなどして3年かけて乗り潰した。長男を知る家の近くの自転車屋さんの協力もあった。ここまで乗ってもらえれば自転車も本望ですよと誉められた。
その後に新しい自転車を買って2年近くになろうとしている。最近、前のタイヤが細かいガラスの破片によってパンクした。その修理のとき後のタイヤの磨耗に気付かなかった。最近の朝、職場の近くまできて突然ペダルが重くなり後のタイヤがパンクしていた。道の半ばでなくてよかった。よく見るとタイヤは完璧なまでに磨耗していてのっぺらぼうのゴムからは白い繊維がのぞいている。このような場合これまでならパンクする前にタイヤを交換していた。仕方なく職場の近くの初めての自転車屋さんでタイヤを交換した。これ方がまたいい方で、前のタイヤは交換しなくても大丈夫かと聞くと、パンクするまで乗るのがいいでしょうと言った。家の近くの自転車屋さんは私と違い前のタイヤのパンク修理のとき後ろのタイヤの磨耗はとっくに気付いていたと思った。