他の高校を四年間経験した後に○○に来ました。顧みますと、その時から三十三年の月日が流れています。教員としての希望や意欲は満々でしたが、教えることに十分な自信があったとは言えません。着任早々に驚いたことがありました。数学科の教員に 「日々の演習」 というプリントが毎週配られているのです。教師に出された宿題でした。切磋琢磨とはこのことでしょう。前の職場と比べて身の引き締まる思いでした。しかしこの問題を解くか解かないかはあなたが決めることですという雰囲気でした。強圧的なものは全くありません。
中学で三回、高校で五回の担任を務めました。やはり楽しい思い出が多いのは、三十代での中学の担任のときでした。特色ある宿泊行事では、生徒も教員も懸命に取り組んでいました。私がいちばん夢中だった時と呼んでみたいぐらい仕事で幸福な充実感を味わいました。
○○独自なものの一つに瞑想法である凝念があります。例えば冬の朝の冷気の中を、誰一人として私語する者もなく凝念が行われます。心静かに心臓の鼓動を感受して、まずは自己の存在を確認するのでしょう。おごそかで、心が引き締まるような瞬間を持ちたいと思います。その意味でも、私のこれからの生活の中で凝念の習慣は大切にしていきたいと考えています。
教科の枠をこえて数多くの同僚諸氏から無言の教えをいただきました。その背中を見て、私は情けないほど感激ばかりしていました。また、生徒諸君に教えることは私が学ぶことでした。生徒諸君の中にも、友人に教えることで自分の理解が進んだという経験をした人は多いのではないでしょうか。わかるから教えるのではなく、教えるからわかるということがあります。ほんとうにありがたいことでした。また寛大で理解ある多くの保護者の方々に出会いました。貴重な提案や助言をいただきました。万人が私の教師を肝に銘じる日々でありました。
この一年間に特に視力の衰えを感じるようになりました。なるほど定年制というのは私にどんぴしゃりの制度だと妙に得心しているところです。私がこれまで勤めることができましたのも多くの皆様のお力添えによるものです。長い間ありがとうございました。心から感謝申し上げます。
(季刊のPTA通信から要請があって書いた。タイトルは「教えることは学ぶこと」。配布はこれから)