二人の孫は近所の年下の男の子たちとよく遊んだ。暗くなるのを待って夕食後に男の子の男親が付き添ってクワガタやカブトムシを捕りに出かけた。これも玉川上水の恵みの一つである。甘酸っぱい香りの樹液が出ている樹を子供たちは「蜜の樹」と呼んでいた。近所の遊び友だちとのお別れの行事となった庭先での花火会や、レストランでのランチ会に私は参加したことがない。
これは孫たちの祖母の提案で始まったことだが、夕食が終わると二人は競って日記を書くようになった。ひらがなに今年覚えたカタカナが混じることがある。毎日それを担任の先生に提出してコメントをいただくようにした。担任の先生の協力のおかげで日記を書くことに意欲的だった。日本の子供たちの漢字の宿題に相当するものだ。アトランタに帰る日が近づくと、日記帳のほかに写真や手紙の整理をした。帰りを待つ母親に見せるためだ。
二人は時おり大声を出して取っ組み合いの容赦のない喧嘩をする。爪をたてて薄く出血したりする。妹があるいは両方が泣きじゃくることで終息する。その喧嘩にこちらも逆上して大声を張り上げたりすると自己嫌悪に陥る。しばらくすると怒鳴り合いは忘れ去られ、二人はなにごともなかったかのような顔をしている。この喧嘩ゲームにつ付き合わされた時に私は激しく消耗してしまう。
日本での学習を終えた二人を迎える母親の、子供たちへの対応に私は不満を持っていた。「アトランタに戻ったあと二人の日本語学習に対して、何の手当てもしてない」と。ところが最近になって娘につぎのように告げられて反省した。「孫と日本語で会話ができるだけでも幸せなことじゃない」かと。そこで今年は空港での別れの時に「日本に来てくれてありがとう」と二人に言った。羽田からロサンゼルスまで10時間、乗り換えに3時間、ロサンゼルスからアトランタまで4時間、飛行距離は一万キロメートルである。