娘は昨年の春、日系企業の帝人から東京鋲金に変わった。リクルーターをしていた彼女の知人が、自分の最後のリクルーターの仕事として勧めてくれたという。サラリーは上がるのだけど、とても地味な小じんまりした会社だと言い、日本人の常として大会社指向の私には不安の残る選択だった。事実訪米時、双方の会社見学の機会はあったが事務所の構えが全く違った。賃貸ビルとはいえ、総ガラス張りに近い所から各種の螺子釘を常備する倉庫に事務所が付いているという変化であった。
その会社の社長さんと3人で去年、今年と夕食を共にした。普段より娘から、会社の業績は好調で社長との会食も少なくない、と聞かされていたので甘んじて受けさせてもらう事にした。10名弱の職員達は職位で呼ばず、まるで同僚を呼ぶように姓で呼んでいるらしい。彼は日本で働いたのは3年で、以来外国勤務という。外国で生まれ育った子供達も、長じるにつれ帰国し単身赴任歴は10年来という。たまの滞在で戸惑うばかりの私には、長年外地にあって、日本の得意分野である企業の責任者の方と夕食を共に出来る事自体が嬉しい。限られた3時間ばかりの中で、その方の店員や私達に示される振舞や言葉に「グローバルな‥‥」と感じたと言えば大げさ過ぎようか。
そこで土曜日夕はブレーブスとヤンキースとの試合を、全社員で応援に行く話になった。田中将大投手の登板を期待しているらしい。前もって聞かされていた私は留守番(12才以下の子供だけはダメ)と決め込んでいた。それが私の帰宅前夜に相当すると知った社長は、娘に「それはよくない。そんな大事な日は家族全員が一緒に居るべきだ。私もさんざん妻に言われてきた。そんなもんだ」と言われた。当初言葉を返していた娘も遂にはその言葉に従うことになった。さてさてその夕とは明晩である。出前母親(祖母)の役割も最終盤を迎えている。