毎年8月はアトランタで過ごし6年目を迎えた。訪米して丁度2週間になるのに、未だ安定しない睡眠時間が私を悩ませる。その原因は、遅い日の出と遅い日の入りというサイクルの違いだろう。夜は8時過ぎても明るく、朝はその分夜明けが遅い。眠剤に頼っても思うほど奏功しない。たまたま昨夜はビールから赤ワインに変え軽い酩酊を覚えたので、これ幸いと11時前飲んでみたが目覚めたのは3時前。その間すらトイレに起きるのだから、熟睡感が得られないまま起床する。私の眠り様は日本でも同様だが、日本ではNHKの「ラジオ深夜便」に救われて再度眠りに陥っていた。つくづくとラジオが恋しい。
今日は土曜日。新学年初の週末に当たる。孫の在日中の2か月間、私は日本の生活習慣に沿ったルール,躾を通してきた。しかしここは娘の生活の地アトランタ。私は身内と言えどもあくまでも第3者でしかない。私と娘を超えた孫に至っては猶更そうだろう。広いアメリカで大らかに暮らす人々、対、長らくの習慣に捕らわれ頑固の鎧をまといつつあるに違いない私。娘の為を思えばの発言もおせっかいになることもあるようだ。孫に対しては躾は完全に放棄した。うっとおしがられてはコチラだってたまらない。母親が仕事から帰宅するまでは全くの自分時間を過ごしている。私は傍らで見ながら夕食つくりに励む。
当地の習い事は全て保護者の送迎付きが鉄則だ。従って仕事を持つ親の都合も加味する必要があって厳しい。体育会系だった娘は自分の子にサッカーをやらせたいと念願していたのだが、やっと子供達の同意と自分の都合が合致し3か月間トライすることになった。今日はそのグランドで、大学生の試合を見学することになっている。緒レッスンでいいのは3か月間のトライ期間に自分に合った競技を見極めるられる事だろうか。しかし真夏の外気の中を走り回るサッカー。練習衣、器具を揃えるのはいいとしても、娘の念願に沿って長らく続けたいと言ってくれるかどうか? サッカー少年として育ち続け、今も尚サッカーを楽しむ息子を持つ親として、気のもめる事である。