むかし、日本の常識と世界の非常識という言葉をはやらせた人がいた。
いま、司法の常識と社会の非常識が問題になりそうである。
世の中では、それは非常識な行いだとされていることが、司法に携わる人たちにとって常識になっていたのでは、何かにつけて法で裁かれる制度のもとでは、とんでもないことが起こりかねない。
「人間は弱いのだから、まあまあ」は、それですまされることと、そうでないことがある。
法治国家でなく法恥国家、その恥部がチラチラあらわれたのでは、放置国家ではないかと言われそうだ。
これは一大事、放置できない問題である。
六法さんも肩身が狭かろう。