人間が話したり書いたりする言葉のもとは、脳のどこかの記憶装置に貯められている。そこから口に伝わったり手を動かしたりする通り道が、うまくつながれば確かな文言となり、渋滞すれば意味不明の譫言になる。
何カ国語もすらすら話す人は、道のつけ方がどんな場面でもうまくいくような、上等な頭を持っていなさるのだろう。
私らの木偶あたまの場合は、交通整理に外付けの道具を持ち出さないと、さばききれないことがある。
半世紀以上お世話になっている道具がある。
国立国語研究所の作った「分類語彙表」という、中表紙と奥付まで入れると366ページの本である。
手元に置いてときどき開くと、本の書き込みを嫌っているくせに、その時の気分で書きこまれた字が見つかることもある。新語など書き込まなくても忘れはしないのに。
毎日1ページずつ覚えてしまえば、うるう年なら全部頭に入る勘定になる。
この間小学校の同窓会で、いままでそんなことを話したこともなかった人が、三省堂のコンサイス英和を全部覚えてしまったと言っていた。
そんな真似はとてもできない。
久しぶりにこの道具を引っ張り出したら、これまで気づかなかったことを見つけた。
「分類語彙表」という書名どおりの、言葉の分類の問題なのだが、話が長くなるので、また明日にしよう。