電車の回生電力活用は、ずっと前からあちこちで行われているが、回生電力を電車を動かすこと以外に使っているところはあまりなさそうである。
電気はどこでどう使おうと電気であることに変わりはないのだから、駅の構内に使うぐらいは自由だろうと思っていたが、何かが邪魔になっていたのだろうか。
直流と交流を別もの扱いにしていた古い考えもそのひとつかもしれない。
もっと範囲を広げれば、駅ビルにもと思いつきはしても、回生の量を考えればそこまでは及ばないとも言えるが。
と言って話を絶縁してしまうのでは、まだまだ考えが浅い。
どんなことにもエネルギーを使い切れない分、あるいは使いカスは出てくる。
それが熱になって飛んでいってしまうのは、無駄でしかない。
無駄になっていた膨大なエネルギーを、これまで放っておいたのは、捕まえ、集め、貯めておくためにまたエネルギーが必要で、そのほうがかえって無駄だと、みなが思い込んでいたからだろう。
捕獲、集積、貯蔵を効率よくすれば、地球温暖化などとぼやいていないで、それをまた利用する道も拓けてくる。
技術者群は、問題提唱を業とする人たちのご都合にしたがって、それを前提にものごとを考えていたのでは、思考のエネルギーを一生かかって無駄にすることしかできないのである。
(参考)
「駅の省エネの実証実験」
http://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2013/0130-b.html