・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

間違はさまざまいろいろ

2013年02月07日 | つぶやきの壺焼

間違いと間違いごととは言葉の響きが違う。
「ごと」が付くと、近頃はやりの「事案」という奇妙な呼び方に変えられる。
「事案」は、古い辞書にはないが、問題になっている事柄をそう呼ぶらしい。
間違いごとも、問題にされない小さなことは事案とは呼ばない。
問題にされると、事案と呼ばれ一種の格が付く。

問題にするというのは、また間違いが起きないように考えるよりも、騒ぎ立てる材料にすることに重心が偏りやすい。
間違いであると指摘されれば、原因究明という作業が自動的に要請される。原因究明は問題の膨張剤にもなる。
ついやってしまった本人以外に、周りの人たちにその染みがだんだん広がっていく。
家族、友人、知人、組織体、社会と、悪者仕立ての染みの面積は広がり、ついには目立たなくなってしまう。

また間違いが起きないようにするのは、本人以外にはできないことであるのに、管理体制強化などと決まり文句を発表したところで事案という名札ははがされる。
そこで本人にくだされる罰や処分には、同じ間違いを防ぐ力はない。
罰や処分は、外側からそれを眺める人たちの気が済むだけのことでしかない。

間違いに本人が気づき、それを本人が改める気になり、本人が間違いを起こさないように努める以外に、同じ間違いを防ぐことはできない。
ほかの人が起こす間違いは、また次の、その人の問題なのだから。

間違いも、やはり浜の真砂なのである。