仕事も勉学も訓練も、喜びを感じながらがよい。
ぼやきながらの仕事も、徹夜に近い勉学も、叩かれながらの訓練も、内に感じている喜びは、他人にはわからない。
どう嬉しいとか、何が楽しいとか、口に出たことは、すでに変容の後だから、実際のところはわからない。
「今のお気持ちは」というインタビューの決まり文句があるが、あれはインタビューの本質を知ろうとつとめない、もっとも安直な儀礼様式である。
安直な方法で無理やり引き出された言葉はカスに近いから、そこにほとんど真意は残っていない。
喜びの気持ちは、ひとこと、崩れる顔、何気ない所作に、瞬間に現れすぐに消える。
どう感じているかは、相対しているそのときに受け取らなければわかるものではない。
仕事も勉学も訓練も、喜びを感じながらがよい、と繰り返すが、喜びを感じなければそれをしないと言い始めれば、何かに喜べるという尊い感覚には、たちまち鈍化が始まり、小さな喜びさえ湧く力を失ってしまう。
喜びは、悲しみ、苦しみよりも敏感で繊細なものらしい。