寄る年波はあっても引く年波はない。
年齢は戻らない齢である。
今度生まれたときはなどと言ってみても、ほとんど実感は伴わない。
齢も昔も、決して戻っては来ない。
この世にただ一つ、戻る齢があった。
月齢である。
月齢は、月の満ち欠けを暦にのせて知るための目安に、月と太陽が同じ方向に来た瞬間の朔(さく)からの経過を日数単位で表したもので、日ごとに名がついている。
1:朔(さく)/新月(しんげつ)
2:既朔(きさく)
3:三日月(みかづき)
7/8:上弦(じょうげん)
13:十三夜(じゅうさんや)
14:小望月(こもちづき)/幾望(きぼう)
15:望(ぼう)/満月(まんげつ)/望月(もちづき)
16:十六夜(いざよい)/既望(きぼう)
17:立待月(たちまちづき)
18:居待月(いまちづき)
19:寝待月(ねまちづき)/臥待月(ふしまちづき)
20:更待月(ふけまちづき)
22/23:下弦(かげん)
29/30:晦(つごもり)
これは、月の満ち欠け(月相)と連動するが、必ず一致するわけではないそうである。
月の軌道が楕円であるため、満ち欠けの速度が一定にはならないからである。
望(満月)の瞬間の月齢は13.8から15.8の間で変動するという。
数え方の出発点は0ではないかと思いはじめると話が面倒になる。
ところどころ2日にまたがっていることもあって、細かいことを言わないのが好ましい。
1から30までにべったり名がつけられてなく、ときどき見え隠れするものも、雲に隠れる様子を映しているようで面白い。
ひとことひとことに難癖をつけたがるくせにいい加減な人間の多いこの世に、月だけは鷹揚で、しかも周期を違えない。
月が鏡であったなら、という昔の歌を思い出す。