キーワード主義というおかしな様式がはやっています。
いま言われている「主義」は、単なる手法に過ぎないものがほとんどなので、本質は「様式」の部類にあるキーワードも主義と名づけておきます。
キーワードとは、あるものごとのキモ、あるいはヘソのような、大事なおさえどころを、短い言葉に圧縮して、それを解きほぐす鍵のようなものであったはずです。
鍵は、それを正当な方法で手に入れた人に使う権限があるのですが、コピーのばらまきという手法をメディアが仕事に使い始め、キーワードはその名の意義などどうでもよくなってしまいました。
キャッチコピーは、キーワードの部分とそうでない部分を組み合わせて作られます。
耳に入ると記憶能のどこかに引っかかる、その引っかかりを利用して関心をとらえ顧客を集める、この双方向のキャッチ作用に、キーワードが大きな役割を果たします。
それを聞けば、面白さを感じ、覚えておきたくなり、ときには言ってみたくもなります。
キーワードと呼ばれるものが、ネット情報の検索にも使われ、ぶつ切りの言葉を並べていくと、雑魚の中に獲物が混じってぞろぞろ引っかかってきます。
これを逆手に使って、文章の中にキーワードと呼ばれる定形熟語をちりばめておいて、検索で引っかかるようにする方法もあります。
ひどいのになると、同じ意味の文章を、いわゆるキーワード群を並び替えるだけでいくつもの文章に作り変えてネットにばらまき、引っかかり率を上げようという、幼稚に見えてばかにできない手法も使われます。
ばかにできないと言ったのは、それが世論の制御に使われることもあるからです。
あるグループが、こういう世論を構成したいと考え、世相モデルを作ります。
モデルに向かって話を合わせていくようにキーワードを忍び込ませたニュースやドラマが続々と作られ、メディアに載せてばらまかれます。
人々が首を縦に振りそうもないことは、キーワードを何度も聞かせ、はやり言葉のようにして気持をだんだんそちらに向けさせ、ついには納得させます。
やすもののギャグを詰め込んだカラ騒ぎや、雑音をバックにただ蛮声を張り上げるだけの歌で、無意味感に慣らされた人々には、それより少しだけ気のきいたキーワードは何の抵抗もなく受け入れられます。
狙った世論が出来上がったとき、それがリソース:資源になります。
あるグループにとっては「票田」、あるグループにとっては「購買力」です。