段差、格差、差別、とかく嫌われがちな「差」ですが、厭われるのははっきり見えないからで、正体がはっきりして生活に溶け込んでいれば、さほど気にならないものです。
段差も、足元をしっかり見て、そこにあることがわかってしまえば、つまづいたり驚いたりすることはありません。
差がなければ生まれないものもあります。
位置のエネルギーです。
むかしは、澤地や埋立地に櫓が立てられ「よいとまけ」が始まると、そこに家が建つのがわかりました。
学校帰りに見て帰った日だったか翌日だったか、叔父から「よいとまけは見るな」と言われました。
見ていたことがどうして叔父に知れたのか、それが不思議でした。
どうしてわかったのかなどと聞くものではないと思っていましたので、確かめることはしませんでしたが、見ているところをだれかに見られていたのか、あるいは「おやじのためならエーンヤコーラ」というあの歌が口から出ていたのでしょうか。
なぜ見ては悪いのかも、道草がよくないという理由に置き換えられて、わからずじまいでした。
「よいとまけ」は位置の象徴のようなものでした。
位置のエネルギーを利用する装置を、低位置の生活をしている人々が集まって動かします。
人々が綱を引くエネルギーの集積されたモンケンが落下するところに、そこに建つ家に、少々の地震では傾くことのない地固めの位置が定まります。
差の価値は、広げること、大きくすること、保つことにはなく、活用するところにあるようです。
差の生かし方使い方に目を向けてみましょう。