人の言動のほとんどには目的があります。
目的がつかめない言動は、どこか不気味です。
人が人に何かを言われたとき、目的がわかりやすいと安心できます。
しかし、なかには、あっては困る目的があります。
それは裁判の目的です。
わからないこと、決めがたいこと、それを判定するのが裁判で、こうでなければという目的が、あらかじめ決まっていたのでは、裁判とは言えません。
裁判という手続きを踏むだけの宣託行為に過ぎないからです。
裁判に持ち込まれた言い分どおりか、あるいはその逆か、どちらにせよ、はじめから望ましい結果を求めて行われる裁判は、私刑の性格をもった恐ろしい行為と言わなければならないでしょう。