うっかり何かにつまづくと、転びそうになります。
転びそうになるのはバランスが崩れるからで、バランスの崩れる原因はうっかりにある、だからうっかりしなければよいのだと順を追って納得します。
世の中で起きるたいがいの事故は、うっかりをなくせばなくなると言われます。そうでしょうか。
「うっかりはだめだぞ」「うっかりするなよ」と言い続けたところで、効き目はさほどありません。
ギリシャに、四元徳というわれわれ凡夫にはどこかが足りなそうな徳目があります。
思慮、正義、忍耐、節制です。
徳の反対は悪徳で、蛮勇、横暴、卑劣、貪欲だと言う人もいます。
自分に向かって眼を凝らしてみると、後の四つのほうが近そうなのが情けないところです。
四元徳は、技芸の才能とは違って、どれかに秀でていればよい、とりえがあればまあまあ、というものではありません。
バランスがだいじなのです。
歩いてつまづくのも、うっかりするのも、アンバランスがそうさせるのです。
はじめにつまづくからバランスが崩れるのではなく、注意力のバランスが崩れているからつまづく、そして体のバランスがまた崩れるのでした。
うっかりはつかまえようがないので、それだけやめようと思ってもまくいきません。
何によらずバランスに気を配っていれば、うっかり癖も抑えられます。
何かをするときには、まともにしなければバランスが崩れます。何でもかでも愉快な気持でなどと、そんなに都合よくはいきません。
むきにならないようにと思い過ぎれば、まともさとのバランスがまた崩れます。
だらしのないほうに傾きやすいのは、自然界の法則どおりのことですから、まともの反対側に意識を向けて行けばバランスはたちまち崩れます。
バランスが崩れはじめると自復力を失うことは、積荷のバランスを軽視した船舶の、あの非常識事故の例でもはっきりわかります。
なんでもいい加減に、すんでしまえばそれまでという会社ぐるみの性癖が、だいじなところでバランスを保ち得なかった不幸な結果をもたらしたのです。
呑み会の帰りに「靴、ちゃんと履けますか」と言われたわけがわかったような気がします。